2025年6月の瞑想録

2025-06-21公開 (2025-06-01 記)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

6/1

首の後ろが活性化する

いつものように瞑想をしていたところ、本日は特に首の後ろ側に静電気のようなビリビリした感触がして活性化しました。それにより首を通って上昇するエネルギーが少し増えたようにも思います。


6/3

額の内側を緩める

先日に引き続き、目の奥の方から額に向かって斜め上方向にエネルギーを通しつつ、呼吸の特に呼気と合わせて少しずつ頭の表皮に近い部分を緩めていきます。最初は頭の中心部から額まで遠かった感じだったものが少しずつ額に近づいてきて、と同時に、緩みも頭の中心部分から額に近い方に広がっていきます。頭の中心と比べると額の近くで最初は堅い感触がしていたわけですが、内側から外側に広がるようにして内側から緩んでいきます。そして額の表皮も相応に緩んでいきます。完全に緩んだわけではないとはいえ、それは段階的なもので、また内側からもう一段、緩みを深めていく、ということを繰り返します。


後頭部の下側を緩める

場所は特に固定しているわけではないのですが、不意に後頭部の下側が緩むこともあります。その部分がぽこっと膨らむような感触と共にエネルギーが更に通り、活性化します。


帽子が頭から離れないのを引き剥がすように緩める

実際は帽子は被っていないですが、まるで帽子がくっついて離れないような、額より上の部分の頭蓋骨が頭と癒着していて離れない、動きが出にくい状態になっているところを、その癒着を剥がして動きを作るように意図するわけです。

それは力で外側から引き剥がすことが難しい感じがしていて、それよりは、瞑想で内側からエネルギー的に通すことで癒着を内側から引き剥がすわけです。

頭の中心から額に向けてエネルギーを伸ばし、その局所的な部分を緩めつつ、そして、それと同時に頭蓋骨を上に広げて隙間を作り、そうすることで、頭蓋骨あるいは表皮の部分を引き剥がして緩めるわけです。

これを続けていると頭頂の堅さが解消していくのと同時に、目も開きやすくなります。まだ目がぱっちりとまではいきませんが、それでも、目が向かしより開きやすくなってきていることを感じます。


6/6

眉間とハート(アナハタ)が連動して活性化を始めた

アジナ(サードアイ)とアナハタ(ハート)が関連している、というようなことはスピリチュアルや各種で時々語られることではありますけど、こうなるまで、それが「直結している」という実感はそこまでありませんでした。

確かに、ルートとして頭のアジナそして喉のヴィシュッダ更には胸のアナハタは繋がっていて、そのような意味においてエネルギーの流れはよく感じて、それ故に、関連はもちろんしているという実感は以前からありました。

しかしながら、ここにきて、眉間に集中が集まって活性化し、エネルギーが眉間に通り始めた瞬間に、それがハート(アナハタ)と文字通り連動して、それは文字通り連動でありますから、そこの間に距離はなく、それらがゼロ距離のものとしてアナハタとアジナとが直接的に繋がっている状態でそれぞれが個別に、しかし個別でありながら直接的な繋がりを持った連動を伴って、距離がない感覚およびそれぞれが個別、という、一見すると相反するかのような感覚を伴ってそれぞれが活性化し始めたのです。

それはあくまでも個別でありながら、距離がない、という、言葉で言い表そうとすると矛盾と捉えられるような感覚なのです。アジナの活性化、そしてアナハタの活性化、それぞれは別で起こっていながら、そこには距離を感じないのです。場所としては別々でありますから場所は必ず別であり、そこに距離がある筈なのに、感覚としては距離を感じないのです。これは場所が同じだと感じているわけではありません。場所は別々です。しかしながら、何故かそこには距離という感覚が皆無なのです。場所が違うのにも関わらず、その間に距離を感じないのです。

そのような不思議な状態によって、眉間のアジナと胸のハートとが連動して活性化を始めたのです。

おそらくこれは、オーラが線として繋がっているのか、あるいは、円として一体化しているかの違いがあると思うのです。或いは言い方を変えれば、チャクラがそれぞれのチャクラとして動いているのか、あるいは、統合されたチャクラとして一体化して動いているかの違いがあると思うのです。

アジナ・チャクラはよく「統合するチャクラ」であると言われています。それはというと、サンスクリット的には「命令」という意味でありますが、それは、上位のチャクラがアナハタなどの他のチャクラを統合するということではないかと解釈できるのです。アジナも最初はそれ単体で動くわけですが、オーラが一体となって統合したチャクラになる、というお話はスピリチュアルにおいても度々語られます。そういうことかな、と今は解釈しています。


額の皮膚が頭蓋骨から引き剥がされるようにして活性化を始めた

アジナとアナハタが連動して活性化を始めた同日、日中に不意に日常生活を送っている最中にその感覚は始まりました。今朝にそのようにアジナとアナハタが距離を感じず連動している感覚になっていましたので、それが根底にあって、そして、眉間に不意にエネルギーが何度も集中するようになり、それは意図せずしてそのようになり、その結果、皮膚が頭蓋骨から引き剥がされるように、眉間の活性化が始まったのです。

まずわかることは、これはようやくアジナの前側が活性化してきた、ということです。仮面を取るかのように、額および顔の前面の皮膚が頭蓋骨から引き剥がされてきていることを感じます。

それは額の部分の活性化のみならず、意識的な変化にも表れてくる予感があります。まだ少しではありますが、それだけでも意識が自由になってきていることを感じます。新たな夜明けのきらめきを感じます。夜はまだ明けていませんが、夜が明ける予感があります。

これが進むことが、アジナの目覚めなのかもしれません。それを見届けたいと思います。


6/8

鼻根が改めて引き剥がされるように割れた

1ヶ月ほど前にも似たようにヒビのようなものが入って、その後に額や頭頂に流れ込むエネルギーが増大したわけですが、なかなか継続しなかったように思うのです。改めて頭の各所の堅さを一つずつ更に緩めて、特に額の緩みおよび眉間の奥の緩みを進め、額の皮膚が頭蓋骨に引き剥がされたことを踏まえて、改めて、鼻根が再度、そこにまるで堅い仮面があって引き剥がされるように、あるいは、堅いガラスの板が割れてその向こう側が露わになるかのごとく、割れるのと同時にエネルギーの増大を感じたのです。1ヶ月前も基本的には同じだったとはいえ、1ヶ月前は額の部分が頭蓋骨と癒着していて動きがなく、エネルギーが増大しつつも時間が経つにつれてエネルギーが弱まり、安定しにくくかったように思うのです。

今回はというと前回と比べると継続性はあるものの、やはり時間が経つと元に戻ってゆくのは同じのようで、とは言っても短い瞑想で再度開くことができるので、開きやすくはなっているように思います。

そのように、鼻根が鍵となってエネルギー的な増大が起きて、それにより、以下の部分が対応して活性化しているように思います。

・鼻柱(鼻の下側)の内側:お腹、マニプラ(ソーラープレクサス、丹田)、スワディスタナのエネルギー的な活性化
・鼻根(鼻の上側)の内側:額や頭頂、ハート(アナハタ)

これは先日に単純に額が活性化した時よりも顕著です。と言いますのも、その時は鼻根は塞がり気味でしたので、額の単体ではおそらくハート(アナハタ)が繋がると思うのです。一方、このように鼻根やその周辺部が一通り繋がると上のチャクラと下のチャクラとが統合されて動き出すように思います。


6/14

顔の表面と、その裏の頭の全てを別々に2段階で緩める

エネルギー・ルート(ヨーガでいうナディ)は主に顔の前と背骨沿いそれぞれ走っているわけですが、経験上、やり方として、2段階に分けるとうまくいくように思えてきました。

1.首の付け根の後頭部の下側から始め、後頭部の上側、頭の中心、目の奥、鼻の奥、顎や口の奥などにエネルギーを通して緩める
2.左右の犬歯(イダとピンガラのルート上)に舌先(ケチャリムドラ)でそれぞれエネルギーを通し、鼻根および眉間にエネルギーを通して緩める

特に朝起きてすぐは堅さがありますので、堅さがある端の部分から始めるわけです。後頭部の下側は既に緩んでいることがほとんどですので、後頭部の中心から始めて、呼吸に合わせて少しずつ緩めていきます。具体的には瞑想中に呼気に合わせてエネルギーの先を、指で押し込むように(もちろんそこに物理的な指はありませんが)エネルギーの先を呼吸(呼気)に合わせて押し込んでいくわけです。押し込むと、そのエネルギーの強さに応じて堅い部分が押しやられます。そして、最初は堅さによってなかなかそこから先にエネルギーが通らないのですが、何度も呼気に合わせて押しやることでエネルギーが通ると同時にその部分が緩んでいくわけです。時折、とても堅くてとても通らないと思うことがあっても、何度かやっていけばバキッと割れるか全体が動いて緩みが始まります。以前は相当に堅くて全然動く気配もありませんでしたが、最近はというと何回か呼気をすれば大体は緩むのですが、それでも鼻根および眉間の部分はまだまだ手強くて、少し時間を要します。とは言いましても時間がかかるだけのお話で、今までのように時間をかけてもびくともしないという状況ではありませんので、終わりが見えているお話ではあります。そのように、1段階目としては後頭部から始めて目の奥や口の周辺まで緩め、そして、2段階目としては顔の表面をケチャリムドラを使って通していくわけです。


6/16

鼻背が瞑想で活性化する

ここしばらくは鼻根にエネルギー(プラーナ)を通して、それにより額や頭頂のサハスララを活性化させてきたわけですが、不意に本日、鼻背から鼻の先の方、鼻突の先っぽまではギリギリ届かないですけど、鼻背の中央から先に近い部分にかけてオーラが具体的に集まり、脈拍のような鼓動の感覚と共にエネルギーが通り始めたことを感じました。おそらくは今までこの部分にはまだオーラがきちんと通っていなかったようで、ようやく通り始めたということかもしれません。多少は全体的に通ってはいたのですが、しっかり通る、という点において違いがあります。

これにより、今まで活性化してきた鼻根と含めて鼻の全体がより一層、活性化してきたことを感じます。結果、額や頭頂にまでエネルギーが通りやすく、活性化しやすくなったわけです。

まだ鼻の先ですとか口の周りには堅さが残りますし、今回の箇所にしても課題がないわけでもないのですが、それでも、依然と比べると全体的に緩みが一層進んだ感覚があります。


ケチャリムドラの効果が鼻背が緩んだ後に増大した

それ以前はケチャリムドラは上歯の左右、それはおそらくヨーガでいうイダとピンガラという左右のエネルギールートを使って活性化させていたと思うのです。そう解釈しています。それでもケチャリムドラは効果があって、額や鼻根にエネルギーを入れて緩めることができていました。中央に舌を当てても多少の効果がありましたが限定的でした。

本日、鼻背にオーラが通って緩んだことにより、今まで効果が薄かった中央に舌を当てた時の効果が増大したのです。今までは何かにブロックされていて中央からエネルギー(プラーナ)が通らなかった感じだったものが、中央から通るようになったのです。

このことにより、舌を左右にずらす必要がなくなり、自然に舌を上歯の中央に当てているだけで額や頭頂にエネルギー(プラーナ)が通るようになりました。これは瞑想中はもちろん、日常生活においても顕著で、日常生活を送る中で舌を中央の上歯に当てていることで、長い時間、額や頭頂にエネルギーを通して緩めることができます。今までより瞑想中以外の時間を使いやすくなったわけです。瞑想は瞑想で効果がありつつも、それ以外の時間も瞑想的な効果をある程度は発生させることができるようになったわけです。今までも日常生活においてエネルギー的な流れを意識していましたが、今までより遙かにそれをやりやすくなったわけです。


顔の前面とそれ以外がくっつき始めた

鼻背にオーラのエネルギーが通る前までは、顔の前面とそれ以外は別々のものとして活性化させる必要がありました。しかし、通った後は、一体のものとして活性化し始めたように思います。


6/17

瞑想の様々な解釈はエネルギーに帰着する

これは、ここ最近の状態の解釈に基づくものです。

以前からその理解はあったものの、今ほど確信があるわけではありませんでした。今は、やはり、結局はそういうことで、解釈が多様にある、という理解をしています。

瞑想においてエネルギーを重視するクリヤ・ヨガのようなものがある一方で、精神的なもの、あるいは雑念および平穏・静寂な境地を重視している流派もあります。それは表面上は様々ではありますが、結局、エネルギーのお話に帰着するのです。

エネルギーにしても低次と高次があって、低次のエネルギーは感情を司るアストラル界のエネルギーであり、雑念や各種の感情に関連しています。一方高次はいわゆる静寂の境地なわけですが、単に感情や想念のお話では無く、静寂だけのお話でもなく、エネルギーのお話なのです。

ですから、解釈として瞑想は様々に解釈ができて、「集中」だとか「観察」だとか色々と言われていますけど根幹はエネルギーのお話であり、集中なのか観察なのか、というのは単なる解釈のお話なわけです。実質的なエネルギーを見てみれば、それは大して変わらないお話だったりするわけです。

スピリチュアルの各種の流派においても、雑念をなくそうとしているグループ、悟りと呼ばれるものを目指しているグループ、覚醒という目標を持っているグループ、はたまた引き寄せの法則を目指しているグループがいます。それは目的やその表現方法は様々であったとしても、結局、エネルギーのお話をしているのです。

エネルギーとは、人の体でいうならばヨーガでいうプラーナあるいは神智学などでいうアストラル体、はたまたコーザル体(カーラナ、原因)やその他の階層であるわけですが、基本的には多くの場合は感情を司るアストラル体の問題に帰着している場合が多いわけです。そのエネルギーをどうにかすれば良いわけですが、雑念はエネルギーとしてのオーラの問題でありますし、気持ちのよどみもエネルギーであります。

そして、感情に問題があったり、人間関係に問題があるとオーラが傷つき、そして、人の体の重要なオーラのルート(ヨーガでいうナディ)が塞がってしまい、エネルギーの循環が滞ります。そして病気になったりするのです。多くの場合は精神的なものですがそうでない場合に発展したりもします。意識の状態にも多くは関係して、エネルギー的に滞ると意識の状態も淀んで暗いものになります。

人と人との関係において、特に顔のオーラは重要で、顔の前面のオーラのルートが潰れてしまうと体全体のエネルギーに影響を与えてしまうように思います。

特に日本の場合は幼少期からネガティブな否定的感情を植え付けられていますから、顔の前面のエネルギー・ルートが潰れていることが多いように思うのです。そうなると意識がもうろうとして、思考も鈍り、行動が遅く、成果も少なくなります。そうなると、お互いにお互いの足を引っ張って、ますます能力が発揮できない社会になります。日本の世の中の停滞は、元々は能力がある筈の日本の人々の能力をネガティブ感情を使って封印している、というように見ることもできます。

そこから抜け出すには、そもそも子供の頃からネガティブな感情を受けないようにすることです。

そして、昨今では「争うことはいけない」みたいに言われていますけど、ネガティブな感情を言われて顔のエネルギーが塞がるようなことがあれば、他者の攻撃に対して抵抗して拒否するということです。とは言いましても子供の頃は抵抗が難しいこともありますので、周囲がきちんと守ってあげることです。一見すると仲良く見えていても、実のところ、片方がもう片方を操るために共依存になっている場合もあります。その場合、片方の顔の前面のオーラが開いていて、もう片方が塞がっているのです。それはというと、非常に残念なことでありますが、いじめっ子の方が顔のオーラが開いて、虐められている被害者の方が顔のオーラが閉じてしまうのです。このような場合、虐めという形があたかも仲良く見えてしまうため、周囲から見分けが付きにくいのです。しかしオーラを見れば一目瞭然で、片方の顔のオーラが開いていてもう片方が閉じているのであれば、それは虐めの関係にあるということです。エネルギー的に解釈することです。オーラと言わないまでも、片方の表情や感情が一見すると明るくてもう片方が沈んで淀んで鈍くなっているのであれば、それは傍目から仲が良いように見えても虐めの関係にあるということです。

実のところ、このような関係は学校のみならず会社でも存在していて、一見すると仲が良くやっているかのように見える上司と部下がこの関係の場合があります。そのような場合、部下の能力を閉じつつ部下に成果を出せ、と言っているようなもので、部下はどんどん能力が低下する一方で上司からの?咤が増える、という関係になるのです。そして傍目から見ると仕事を頑張っている風に見えて、その一方で、上司が成果を得て部下が使い捨てにされる、というのがこの日本の多くの環境で見られることかと思います。

スピリチュアルを勉強すれば、そのような関係が不毛であり、長期的に見て成果が出なくなる、あるいは人材を使い捨てにすることでしか成り立たないシステムであることが理解できるのです。高度成長期のあった団塊世代であれば人材は掃いて捨てるほどいたのかもしれませんが、それにしても、そのようなシステムであれば上司になって部下を使い捨てにすることでしか成果を出し続けることができないわけです。

さて、スピリチュアル的に考えれば、そのように、顔の前面のエネルギーを塞いでしまうような関係性は不毛であることがわかります。成果を最大限に出すには、体の全面にエネルギーを通して思考や行動を活性化させる方がいいわけで、そうなれば、他者に対して罵ったり怒鳴りつけて萎縮させるのは逆効果であることがわかります。そのようなことをすればエネルギー的に停滞し、思考ができなくなり、成果も出なくなります。


話は少し変わりまして、体にエネルギーを通して癒やしを与えるというワークをしている人が世の中には一定数います。気功ですとかヒーリングですとか、その種のものは、エネルギーを扱っているという点においてある意味では本質的ではあるのですが、この世界には様々な人がいますので、それこそ注意が必要です。

結局、本当のヒーリングとは自分の中のエネルギー・ルート(ヨーガでいうナディ)を開拓して自身の中からエネルギーを湧き出させることであり、それは宇宙のエネルギーと繋がるということですが、他者からのヒーリングはある程度までその助けになることはあっても、最終的には自分でエネルギーを通すことができるようになる必要があるのです。


瞑想においても、エネルギーを通すことやエネルギーを活性化させることに帰着をすれば各種のワークの意味が見えてきます。

ヨーガの呼吸法は流派によって様々なものがあれど、結局はエネルギー・ワークだとすればその根幹は呼吸そのものではなく呼吸と合わせて動くエネルギーの方だということに気がつくのです。

左右のエネルギー、ヨーガでいうイダとピンガラは割とアストラルに近いエネルギーで、呼吸に合わせて動かすことができる次元に近いように思います。

一方、中央のエネルギー、ヨーガでいうスシュムナは呼吸と無関係に常に動いているように思います。

そのように、エネルギーにしても質および階層の違いがあり、呼吸に合わせてワークする段階と、呼吸と合わせて動く面と常に動く面との中間的な階層、そして、呼吸と無関係に常に動く階層、というように分かれるように思うのです。

最初は呼吸と合わせてエネルギーを動かし、やがては呼吸と合わせなくても常に動くエネルギーを通していくわけです。


6/25

後頭部の下側が深く緩み始める

以前にも増して緩みが進んできて、左右にも広がるような、伸びてゆく感覚があります。


より強いエネルギーを後頭部および眉間に通す

基本的には以前と同じ、後頭部の中央から始めて後頭部の上側、頭の中心、そして眉間に向けてエネルギーを通します。後頭部の中央から始める、というのは、そこまでは基本的にエネルギーが通っているけれどもその先がまだきちんと開けていないためにそこから始めるのであって、もしそこに通っていなければその手前から始めるわけですが、基本的に最近は後頭部の中心付近から始めることが多いです。そして、日によっては最初から眉間を重点的に通すわけですが、割と頭の中心はまだ詰まりやすいので後頭部の中心から始めて頭の中央、そして眉間へと順番に通してあげます。

そうして、眉間の付近の緩みが進んでいくと眉間の左右に割れるようにしてエネルギーが通り、活性化します。

まだまだ眉間の部分は完全には開いていないようで課題はあるのですが、以前よりも随分と通りやすくなってきていることを感じます。以前よりも太くて強いエネルギーが通ってきていることを感じます。


眉間のチャクラにエネルギーを通す手段で善か悪かが決まる

善も悪もないのは高次元であればそうなのですけど、ここ物理的な低次元の領域においてはそれが存在して、個人という階層でいうのであれば、眉間のチャクラを開かせる方法によって善と悪とに分類できるように思うのです。


・他人に迷惑をかけずに、あるいは他人を助けて、他人を助けるために、眉間のチャクラを開く


・他人を犠牲にして眉間のチャクラを開く

物事はこの2つに大分できると言っても過言ではないわけです。

悪のわかりやすい例でいえば虐めのようなもので、いじめっ子は他人を犠牲にして自分のエネルギーを高めるのです。

善のわかりやすい例は修行者ですとか他人に助けをして生活をしている人たちです。

悪はというと、エネルギー的に意識することはなくても、結果として、自己訓練、あるいは、某かの勝負に勝つことによって眉間のチャクラを開くわけです。悪と接し、勝負に負けることによって眉間のチャクラが閉じます。これは直接的にそうなることはなくても、間接的に、結果としてそうなるということです。

悪の分かりやすい例としては、他人を罵ったり他人を下に見て馬鹿にし続けると、それが全く根拠がなかったとしても、その行為自体がエネルギーとなって悪者のチャクラを開きます。罵られた犠牲者の方はというとチャクラが閉じます。それは非常にわかりやすい現象で、悪のカルマを引き換えにチャクラが閉じたり開いたりするのです。カルマを持つ人は勝負事に次々と巻き込まれていきますから、結果として、お互いに足を引っ張って、最初は勝ってチャクラが多少開いたとしても、最後はチャクラは閉じることが多いように思います。勝負に勝ち続けなければチャクラは閉じてしまうわけです。

善というのは低次元にのみ存在しているわけですが、力やチャクラという観点では善よりも悪の方が強くなりやすいように思います。それはそうで、他人を犠牲にした方が短期的にはエネルギーが高まりやすい、という、そういうことであるわけですが、その反面、より強い者が現れたら自分が負けてしまう、という弱肉強食の世界であるわけです。長期的にはエネルギーが高まるとは限らないわけです。

結局、チャクラを開いたとて、低い次元の理解しかなければ勝負事に巻き込まれて、悪に食われてしまうのです。それはというとスピリチュアル的に言えばオーラが食べられてしまうということでもあり、あまりありませんが場合によっては魂の消滅ということもあるにはあります。

それはというと、何がゴールなのかがわかっていないがために何か術を使えたり何か普通では見えないものが見えたり、みたいな低い次元のものがゴールになってしまうのです。そして、惑わされ、最後はより大きな悪の存在に食べられてしまうのです。

多くの場合においてスピリチュアルといって人々が信奉するのは力であり、そうであれば、最後には悪に飲み込まれてしまうということです。それはというと巨大な力でもあり、魂の消滅がその一つの行き先です。 では、それを避けるにはどうしたらよいか? というと、力が強いことが良い、という価値観を改めることです。力というのは低次元であり、低次元を避け、高次元に辿り着くしかないわけですが、かといって、言ったところでそうそう伝わるものでもないし、それを求めている人も少ないわけです。そもそも何がどのようなエネルギーかもわからず、そもそもゴールよりも楽しく暮らしたいという人が大半なこの世の中で、そのような答えを示したところで価値は通じないでしょう。

他者のオーラを吸い取って生きているような気持ち悪いオーラを持って、それでオーラを強化して暮らしているスピリチュアルな人がこの世界には一定数います。そういった人には関わらないことです。そのような人はチャクラが多少開けていたりしますが、かといって、それに人格が備わっていないのだとしたら、そこにあまり価値はないということです。


6/27

額に上からオーラを降ろしつつ通す

その前段階として後頭部および頭の中央、そして額や眉間の方へと通すわけですが、以前はというと後頭部や頭の中央に通すのに時間をかけていたわけですが、最近はその部分は基本的に通っているか通っていなくても瞑想で少し時間をかければ通るため、課題としては顔の前面の緩みであることが多くなってきたように思います。

頭の中央の方から額に向けてオーラを通そうとするとなかなか通らない状態で、おそらくこれは次第に解消する筈という解釈ですが少なくとも今は顔の前後は通りにくくて、どこか突破口を見つけてそこから通すような形になっています。

例えば以前ですと口の左右、いわゆるイダとピンガラのルート上を使って左右をそれぞれ緩ませてエネルギーを通すことで鼻根を緩めていたわけですが、最近は中央の鼻根および鼻背が緩んできて中央からでも通すことができるようになってきています。そこで、まずポイントとしては鼻根や鼻背ということになります。

その他に、眉間に対しては緩ませるとハートと繋がる一方で、ハートの他にも、上方向からのエネルギーが降りてきていますので、それを使って額を強力に緩めるわけです。

額以外にも、頭の中央を濃いオーラが通る時に鼻の奥の方や顎など、各種を深く緩めていきます。

これらの3段階の特徴を列挙すると以下になります。

1段階目
・口の左右、イダとピンガラ。
・鼻根、マニプラ、丹田

2段階目
・鼻根、鼻背、マニプラ、丹田がより活性化。

3段階目
・濃いオーラの後頭部(下から上)
・頭の中央への濃いオーラの浸透(後ろから前)
・口の周辺の濃いオーラの浸透、鼻の周辺や、顎の周辺が深く緩む
・額への濃いオーラの浸透(上から下)

この3段階目のオーラは、一応3段階目と書きましたが感覚的には10段階にももっと段階があるわけですが、ひとまず、ここに記載した中では3段階目に当たるのでそう書きました。

こうして、濃いオーラが浸透してきて、頭の各所を深く緩めているのを感じます。


6/29

首により深いエネルギーを通す

元々喉のヴィシュッダ(チャクラ)が私は弱かったのですが、もう一段階、少し深くて太いエネルギーが通りました。


顔の裏側の筋を幾つも緩める

顔の硬さを裏側から少しずつ取っていきます。瞑想でエネルギーを何度も前後左右に動かしつつ筋の硬さを解消していきます。いきなり全部は解消しないですけど、それでも、日々、筋が減ってきていることを感じます。それに応じて顔の表面の堅さも少しずつ相応に解消していきます。