ライトワーカーは、欲望だらけの人をどう解釈するか

2026-05-17公開 (2026-04-13 記)
トピック: スピリチュアル

多くの人は、欲望だらけの人を理解できないために、単に、関わりたくないと思っているだけかもしれません。

普通の人ならともかく、ライトワーカーを自称して、ライトワークでこの世界に平和と愛をもたらすと言いながら、「関わらない」と言う態度は、本当に「愛」なのでしょうか。

「理解しない」「関わり合いたくない」と言う、愛ではない態度を正当化するために「善と悪」と言う都合の良いフレームワークを持ち出してはいないでしょうか。

獣は獣として、その論理と世界で生きる分には問題ないと思うのです。それぞれの世界があります。それを否定する必要はないと思うのです。他者の自己擁護など各種の行動の理由はアドラーの3つ目で説明できますが、その根本を辿れば、「知らないこと」による認知の限界に行き着きます。そして、当人の認知においては相応の合理性を持っているのです。

ですから、ライトワーカーへの処方箋としては、善と悪による分離を辞めることです。誰にでも、自己の認知限界と、それ以外を知らないという「無知」があるのです。よって、自分が知らない領域においては自身が容易に「悪」になり得るのです。

これは、今まで散々「善と悪」のフレームワークに親しんできて当たり前と思っている人にとては受け入れ難いお話かもしれません。

ライトワーカーと呼ばれている人たちは、簡単に「善と悪」のフレームに持ち込みます。そして、悪が滅べばこの世界は平和になる、と簡単に当然のように言います。自身は絶対的な「善」であると思い込んでいます。

・・・しかし、それでは、世界は平和にならず、争いが継続するのです。何故ならば、その善と悪と言うフレームこそが分離だからです。分離では平和にはなりません。自身の知らない領域に出た瞬間、それは簡単に他者から「悪」と見なされてしまうかもしれません。その知らない領域で、貴方は自身のことを「善」と言い切れるでしょうか。そして、無自覚に行なった行為が他者から「悪」と見なされた時、それを受け入れる覚悟はあるのでしょうか。

多くの場合、自身の価値観を正当化するために善と悪というフレームを持ち出しているだけで、善と悪というフレームを普遍的な物差しとして捉え直してみたことがそもそもない可能性すらあります。

獣がいて、獣は獣なりに弱肉強食を追求する自由があります。一方、文化的な生活を送りたい人もいます。それぞれ、行いたいことが違うわけです。価値観が違うわけです。理解しあえない部分があるのです。であれば、どちらもお互いになるべく関わらずに生きていけるようにする知恵こそが必要なのではないでしょうか。

ライトワーカーが「悪を滅ぼせば平和になる」という論理でいるかどうかが、今後、地球がどのように変化していくのかに大きく影響するでしょう。それが良いか悪いかというお話ではありません。そのような価値観で地球を運営していくことも、地球に残る人たちの選択の一つであるからです。それが自由と責任ということです。

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