地球の、欲望に満ちた人のことが理解できない人

2026-05-17公開 (2026-04-13 記)
トピック: スピリチュアル

このような人が一定数存在します。

この辺り、素性に応じて地球の人の欲望に詳しいかどうかというのも変わってきます。

地球に生まれて長い人であればそのような人の形態にも詳しいのかもしれませんが、宇宙由来の人は、欲望に満ちている人の生態というのがよくわからなかったりします。捻くれる人、というのも理解できなかったりします。そうすると、呑気なカモにもなってしまいます。詐欺師のことも見抜けずに何度も騙されることもあります。

危険な獣は人から離れたところに生息させておく必要があります。それと同様に、獣のような人は遠ざけておくのが良いのです。そのためにも、生態を観察して多少は理解が必要なのです。

宇宙から、呑気にも技術提供をして、結局、その技術は独り占めされて儲けの道具と化したり、戦争の手段として使われたりしました。宇宙の存在は、割とお花畑の人も多いのです。激しい気性の宇宙人もいますが、割と、能天気で楽観的な宇宙人も多く、地球に助けをしても期待外れのことが多くあります。

地球に転生をして、周囲の人を助けてあげていると思っていても、結局は、人々の欲望を満たしてあげるだけだったりします。よくある「拝み宗教」の教祖様にそういう人がいたりして、当人は人々のためにと思っていても、助けを求める側が結局は低級な欲望しかなかったりしますから、そのような低級なところに力を与えたとしても、歪みが拡大するだけになったりします。欲に満ちた人に願いのまま財産を与えても富を独占したり他者を虐げたりして、よほど酷いことになるわけです。そのような「拝み宗教」が昨今は減ってきたのは、能力者が表に出なくなったというのもありますけど、助けても意味がないことを宇宙由来の人が学んだことにもよります。

一部の宇宙から来たライトワーカーは単純に「地球の人たちの欲望は良くないものだ」という価値観に満たされている場合もあります。その場合、そもそも地球の人の欲望に興味がない、あるいは、悪いものとして断罪を繰り返すのも当然であると言えます。

又、元々この地上に暮らしていて人間の欲望やら嫉妬に飽き飽きしている大勢の人にとって、この種のお話を再度されても「またか、そんなのはうんざりだ」という気持ちになるのもわからなくもありません。

どうしてある種の人たちはそれほど嫉妬深いのか、欲が強いのか、どうして捻くれているのか、宇宙由来の人にとっては、いくら探求しても、そもそも根本のところがきちんと理解できないのです。ですから、何度でも「んー。あれって、どういうことだろう? 世の中にそういう人がいるのはどうしてだろう?」と思うわけです。この種の、どうしても理解が難しいもの、それが地球にいる強欲な人のことです。あまり理解できないからこそ観察しているのですが、それを傍目からは「低級な欲望に囚われている」「雑念を捨てることができない人」と見られてしまうこともあります。地球で、どうしてあんなに捻くれた性格の人がいるのか、よくわからないわけです。わからなければ理解しようとするのは当然だと思います。そういう点を追求するのも、地球の人にとっては「何を一体、そんなことに興味を持っているのか・・・」と思われてしまうようです。

地球の欲望は、全てのライトワーカーがある程度は理解した方が良いことかもしれないのです。

それは、どうやら理屈というよりも、低次の感情によって突き動かされた結果であるようなのです。それは、わかっている人にとっては当然のことであるかもしれません。理屈ではなく、逆らいようのない欲求がそこにはあるようなのです。ですから、他者に対して酷く憎悪したりするのです。

俗に言うアドラーの3番目に似た状態でもありますが、もっと単純なお話だと思います。単純に、見た目で、目の前のものを手に入れたいという直接的な欲求がヒステリーや憎悪を生み出しています。最初は、そのような単純な感情から始まります。

そして、もう少し精神が成長すると捻くれたり、陰謀を巡らせるようになります。そこで、ひねくれた人は自己肯定するために他人を責めたり足を引っ張ったりするわけです。つまらないお話と言えばそうですけど、そうして、そのようなつまらない理由で他者との関係に一生懸命になっているような人もいるわけです。何かしらの内的な不足や不安を抱えているわけです。ある種の行動も、認識の限界から生じているものなのだったりするかもしれないのです。それは同情する必要はあまりなく、単に、そういう生態だと理解すれば良いわけです。

初期的な欲求としては、とても単純な、目に見えるものを手に入れたいという感情そのものであり、もう少し発展すると捻くれた感情になるわけです。それは、更にもう少し発展するとアドラーの3番目のように明確に自己意識の肯定みたいなお話にもなりますが、どうやら、それ以前の単純な感情の欲求であるお話も多いわけです。自己肯定のお話に至る前に、単に獣に近い欲求が先に来る人が一定数いるわけです。

  • 獣に近い欲求(貪り)
  • 感情の欲求(捻くれも含む)
  • 自己肯定の欲求

このような人々を理解できない宇宙由来の人は、関わってはいけないこの種の人に関わった挙句、手助けをしようものならその成果は当人のためだけに利用されます。

ライトワーカーは、欲望をどう解釈するか

多くの人は、理解できないなりに、単に、関わりたくないと思っているだけかもしれません。そのような、「関わらない」と言う態度は、本当に「愛」なのでしょうか。普通の人ならともかく、ライトワーカーを自称して、ライトワークでこの世界に平和と愛をもたらすと言いながら、「理解しない」「関わり合いたくない」と言う、愛ではない態度を正当化するために「善と悪」と言う都合の良いフレームワークを持ち出してはいないでしょうか。

獣は獣として、その論理と世界で生きる分には問題ないと思うのです。それぞれの世界があります。それを否定する必要はないと思うのです。他者の自己擁護など各種の行動の理由はアドラーの3つ目で説明できますが、その根本を辿れば、「知らないこと」による認知の限界に行き着きます。そして、当人の認知においては相応の合理性を持っているのです。

ですから、ライトワーカーへの処方箋としては、善と悪による分離を辞めることです。誰にでも、自己の認知限界と、それ以外を知らないという「無知」があるのです。よって、自分が知らない領域においては自身が容易に「悪」になり得るのです。

これは、今まで散々「善と悪」のフレームワークに親しんできて当たり前と思っている人にとては受け入れ難いお話かもしれません。

ライトワーカーと呼ばれている人たちは、簡単に「善と悪」のフレームに持ち込みます。そして、悪が滅べばこの世界は平和になる、と簡単に当然のように言います。自身は絶対的な「善」であると思い込んでいます。

・・・しかし、それでは、世界は平和にならず、争いが継続するのです。何故ならば、その善と悪と言うフレームこそが分離だからです。分離では平和にはなりません。自身の知らない領域に出た瞬間、それは簡単に他者から「悪」と見なされてしまうかもしれません。その知らない領域で、貴方は自身のことを「善」と言い切れるでしょうか。そして、無自覚に行なった行為が他者から「悪」と見なされた時、それを受け入れる覚悟はあるのでしょうか。

多くの場合、自身の価値観を正当化するために善と悪というフレームを持ち出しているだけで、善と悪というフレームを普遍的な物差しとして捉え直してみたことがそもそもない可能性すらあります。

獣がいて、獣は獣なりに弱肉強食を追求する自由があります。一方、文化的な生活を送りたい人もいます。それぞれ、行いたいことが違うわけです。価値観が違うわけです。理解しあえない部分があるのです。であれば、どちらもお互いになるべく関わらずに生きていけるようにする知恵こそが必要なのではないでしょうか。

ライトワーカーが「悪を滅ぼせば平和になる」という論理でいるかどうかが、今後、地球がどのように変化していくのかに大きく影響するでしょう。それが良いか悪いかというお話ではありません。そのような価値観で地球を運営していくことも、地球に残る人たちの選択の一つであるからです。それが自由と責任ということです。

トピック: スピリチュアル
[ 日本語 ]