7/4
瞑想で眉間と額をグリグリと引き剥がすようにしてエネルギーを通す
下側の鼻根の方から濃い目のオーラを眉間と額の方に少しずつ通して行きます.その時、皮膚と頭蓋骨の間の癒着しているような部分を引き剥がすような感覚と共にエネルギーが浸透するのですが、それは堅い風船を広げようとしているようでもあり、また、乾いた川に水が通るような感じでもあります。例えとして川のような乾いた感覚は今はあまりないのですが以前は干からびていて、今は多少は最初からオーラが通っていますけど以前は割とカラカラな状態でした。それでもまだ太い濃い目のオーラは通っていなくて、通った時もなくはないですけど一部で、全体的に通すことで眉間の部分を活性化させていくのです。
これは瞑想中に主に起こることといえばそうなのですが瞑想でなくても起こって、普段の生活の中でも眉間が刺激されてそこにオーラが溜まり、引き剥がされるような感覚が割と常にある時もあります。気にしていない時もありますけど、ふと気がつけば眉間が割といつもグリグリと刺激されているわけです。
昔はこの感覚は瞑想後に時折現れたり何かふとしたときに一時的に現れるとか、あるいは、霊的能力者とかサイキックと一般的に言われている人の近くに行ったときに似たような眉間の感覚が表れたこともありますが、普段から出ているわけではなかったのです。
基本はというと鼻根にエネルギーを通すことで、鼻根にしてもまだまだ開ききっておらず、その鼻根を通って下方のチャクラ(マニプラやスワディスタナ)と繋がり、そして、鼻根から眉間に繋がることで眉間からハート(アナハタ)と繋がり、全体のオーラが活性化するのです。
副次的な効果として、鼻が少し高くなったような、そんな感覚もあります。錯覚かもしれないですけど、鼻根や鼻背が緩んで動きが出たためにわずかながらそうなったのではないかと思っていますが、客観的に計ったわけではありませんのでどうでしょうか。それが真実だとすると、鼻の高い人が一部の人に好まれる、という状況も、それがチャクラの活性化と結びついているのだとしたら実はエネルギー的な根拠がある、ということなのかもしれません。見た目で選んでいるように見えても、それはエネルギーの高さという根拠が実はあるわけです。鼻の高さとエネルギーの関係は仮説ではありますが、必ずではないにせよ、傾向としてはあり得ることだと思います。
眉間というのはサードアイ・チャクラ(アジナ)と関係があるというのは有名ですがその場所というのは諸説あり、チャクラ自身は体の中、頭の中ではありますが、そのエネルギー的な流れのポイントは前後に出ています。そのうち、前面に出ているのが眉間なわけです。
先日共有した図にありますように、頭の中心(松果体など)から目に抜けるエネルギー・ルートと額に出るルートがあって、額に出るルートは多少は感覚が出てきたもののまだこれからで、このお話は目に抜けるルートの方のお話です。
本来、全てが最初から活性化していた方が良いのですが段階があるように思います。
前段階
・後頭部
・首から頭にかけて
・ハート
・下腹部、丹田やマニプラ、スワディスタナ
本題
1.鼻根から眉間(頭の中心とは若干切り離された感あり)
2.眉間から額(頭の中心との繋がりができる)
3.鼻根の奥が頭の中心と繋がった状態で活性化
4.額の活性化
5.頭の中心から額に向けてエネルギー・ルートが更に通る
6.鼻根から眉間、および額にかけて、頭の中心と繋がった状態で更に活性化
これから
・額の表皮の硬さを更に解消させる
・額の全体としての更なる活性化
・頭頂の更なる活性化
課題は残るとはいえ、額に関しては依然と比べて随分と緩んできてエネルギーが活性化してきた感覚があります。
7/7
瞑想をしなくても後頭部の上半分を上昇するエネルギー
座って瞑想をしていなくてもそのように日常生活でエネルギーの動きを感じます。後頭部の下半分が何もないわけではなく下半分は既にエネルギーがそれなりに通っているために課題としては後頭部の上半分になるわけです。その部分に、乾いた川に水が流れるかのようにじわじわとエネルギーが浸透します。それを繰り返します。日常生活で静かにしているだけでエネルギーが上昇していきます。そして、その部分が緩んでいきます。
後頭部の上側と連動して、両耳の近く、そして、こめかみ、額の方に至るまで頭の上半分も活性化します。一番の重点としては後頭部の上半分ですけど、それに呼応するようにそれら頭の上の方にエネルギーが通っていくわけです。
そうして、やがては頭頂にもエネルギーが通り、活性化します。
7/13
小周天を本当にしっかり行うのはそれなりに難しい
小周天というのは体の中心軸に沿って下腹部から背中の背骨沿いを通って頭までエネルギーを通した後に顔の表面および胸の前面、そして時には下腹部まで下ろすワークですが、この小周天について、何やら世間では初心者向けの基礎かのように言われることがあるようですけど、実際、本当にエネルギーをしっかり通すような形で行うのはそれなりに難しく、精神修行に精進している必要があるように思うのです。
最初から多少の素質があれば時間をかけて瞑想をすれば細い空気の塊のようなものをぽこっと少しずつ通してそれっぽい感じにすることができて、世間ではそのように細い線のようなものを通しただけで小周天と言われていることが多いように思います。
とは言いましてもこのようなワークは個人の主観に基づくものですので、あまり通っていないといいつつもしっかり通っていたり、凄く通っていて出来ていると自称していても実際はか弱い線のようなものでしかなかったりします。ですから、本当のところは自称というよりもエネルギーがしっかり通っているかどうかで見極める必要があるわけですが、そうは言いましても、客観的に数値化するのは難しかったりします。
客観的には難しくても、一応、主観で言うのであれば、細い線や小さい空気の玉が動いている程度であればまだまだ初歩の段階であり、大きなエネルギーが動くのであればそれなりにできている、と言うこともできますが、どちらにせよこのような小周天というのはその後に続く段階の基礎でありますので、大きなエネルギーが動いていたとしても基本的には基礎の段階と思った方が良いように思います。
流派によっては全身周天とか大周天、という表現があり、大周天は割と色々な流派で言われているようですけど、どちらにせよ、これらが主観的なものであるとすれば、人によっては小周天が他の人の大周天に近いものである場合すらあるように思うのです。それはコンテキストによるわけですけど、エネルギーを通すという点においてはそれが大周天なのか小周天なのかは表現の違いだけでさほど重要では無く、結局、きちんとエネルギーが通るかどうかということだけなのであれば、どちらがどちらでも大差ないように思います。
そうは言いましても表現という点と伝えるという点においては一応の違いがあって、一般的な解釈である、線で繋がっているのが小周天、全身周天が体全体のエネルギーの高まりのことだとすれば、大周天は大きなエネルギーが通るということであり、であれば、それなりの分類として使えることもあるように思います。この場合、小周天は初歩的な段階ですので割とすぐにできるように思います。
一方で、このように大きなエネルギーが通るという意味(流派によっては大周天)を小周天と言っている流派もあるようで、そうであれば、小周天であってもそれなりに難しいわけです。
おそらくは、このような意味を元々は小周天と呼んでいたのではないか、というような気が最近はしてきています。しっかりエネルギーを通すことを小周天と呼んでいたのに、有名になるにつれて、それほどできていないのにも関わらず小周天をしていると言う人が増え,それ故に、その上の表現を作らざるを得なくなった、と、そういうことではないかと推測するのです。
イメージを使った瞑想をすると魔境に陥りやすい
世間では、最高の瞑想だと謳った手法が多く喧伝されています。その宣伝文句は、大概が「とても速い」ということを言っています。
実のところ、瞑想で勘違いするのは簡単なのです。それはというと、「気持ちよくなる」ことによる認知の歪みであり、錯覚です。一時的に気持ちよくなり、そして、自身の作り出したイメージの虜となります。それが、「自分は瞑想が出来ている」という錯覚に陥らせるのです。
精神の世界はアストラル領域とも呼ばれており、思考は現実化する、という淡い世界になっています。ですから、瞑想で想像をすればその通りの現実が作られるのです。そして、そのことで、瞑想が出来ているとすぐに思いがちなのです。
瞑想の本を読めば「想像が邪魔をする」というようなことがよく書かれています。それは説明を読むとそうかなと思うでしょうし、そうなれば、「わかった、自分はそうはならない」と思い込んだりするのも簡単なのです。
ですが、実際、大抵の場合は想像の罠に落ち込んで、瞑想できているかのような気になってしまいます。
これは、特に最初は、そういうものです。そうなるのが割と普通ですから、気にすることはありません。いきなりうまく瞑想できる人は、子供なら最初から出来ることも人によってはあるでしょうが、大人であればすぐにできないことがほとんどでしょう。
そんなとき、イメージを使った「最高の瞑想」とやらが喧伝されて、アストラル界における想像の魔力により、その想像の世界で一応の現実化が起こるのです。何やら凄く瞑想ができている気になって、しかし、現実のこの社会に対する影響力はとても限定的なのです。ないとは言いませんが、そのようなアストラル界の現実世界に対する影響力はとても弱く、特に物理的な社会に対する影響力は小さく、そのような「最高の瞑想」というのはアストラル領域における「想像」によるものであるとすれば、影響力もその領域に基本的には限定されるのです。
それだけで終われば良いですけど、そのうち、「自分たちは最高である」「自分たちだけが正しい教えを知っている、伝えている」「他の教えは時間がかかる、自分たちの教えが一番速い」というような、想像でしかないことを本気になって喧伝し始めるのです。そうしてカルトが生まれます。
スピリチュアルに疎い人がそれを聞いて、時に、本当にそうかもしれない、と信じ始めます。カルトの信者の誕生です。
そうして、カルトの構成員が増えていくのです。
額の上&頭頂部の前方を瞑想で緩める
どちらも同じといえば割とそうなのですが違うといえば多少は違っているものの、大体においてその付近を緩めていきます。額から額の上、そして、頭頂部の前方を緩めていきます。皮膚の付近に呼吸の呼気に合わせてエネルギーを注ぎ込むことで、少しずつ緩んでいきます。
目の奥を瞑想で緩める
特にそれを特別に狙ってやったわけではないのですが、額の上および頭頂部の前方、更には頭の中心から頭頂部の中央にかけて、そして後頭部の上の方など、各所を緩める瞑想を自然に、特別にその場所を意識してやったわけではなく、エネルギーが行くところに自動的に行っていたところ、不意に目の奥に意識が集まり、そして、伸びきった筋がぐいっと伸びたような感覚と共に目の奥が伸びると同時に緩んだように思います。
かといってこれが完璧というわけではないのですが、それでも、これ以前と比べると目の奥が緩んで、ほんの少しではありますが目が前に出たような、そうでないように、そんな感覚も内観としてはあります。
鏡で見る限りではそこまで変わらないといいますか、目が出たといえばそんな気がしないでもない、それよりも、目の形が少し変わったような、そうでないような、以前よりも目が少し三角になったような、そんな気もしますが今日だけのことかもしれませんので様子を見たいと思います。
7/25
額の前後左右を瞑想によりエネルギーを通す
額の奥から前方へ、そして、目の左右、額の左右、前後左右それぞれの方向にエネルギーを通すことで額を緩めていきます。
ここ最近は、ずっとこれ及び付随してその周辺部にエネルギーを通し続けています。そうして、額のみならず体の全体が活性化されていくのです。額は頭の中心を通って背骨沿いの(ヨーガ的にはスシュムナ)エネルギー・ルートを活性化させますし、顔の前面を通って下半身のお腹(丹田、マニプラなど)をも活性化させます。鼻根から額にかけてがエネルギー的に太くなることによりこれらが起こるのです。そうして意識が活性化されていきます。
依然と比べると随分とこの部分が活性化したものの、まだこの箇所は弱く、課題が残るところです。ですが、以前よりもかなり手応えが出ています。
7/27
眉間を何段階かを踏んで癒着を剥がすようにして緩める
呼吸と合わせてある程度まで眉間を緩め、一端の臨界に達した後、その限界を超えて癒着が引き剥がされるようにミシミシと広がっていきます。そうしたらまた呼吸と合わせてオーラ(プラーナ)を入れ、そして、また広げて緩めていきます。
目が広がり、額の堅さおよび張りが解消されていきます。まだ完璧というわけではないにせよ、確実な進歩を感じます。