■額の奥から額に向かってエネルギーが出ようとしている

少し前までは額というよりは眉間あるいは鼻根を緩めたりそこから頭の中に入っていく感覚がありました。それはそれで今も課題としてもっと強める必要があるわけですが、それに加えて、額の部分にルートが出来つつあるわけです。
サードアイの場所は諸説があり、基本的には頭の中心の松果体であるわけですが、皮膚に出ている場所としての描写は幾つかあるように思います。眉間がサードアイ(アジナ)という説が一般的に知られているわけですが、具体的な場所は眉間より少し上のように思います。
一方、エネルギーのルートとしては更に上の額と眉間にそれぞれあって、又、後頭部にもあるように思います。
前の方は諸説では1つあるいは2つであり、後ろについては言及がないことが多いですがこちらも1つあります。よって、前に2つ、後ろに1つあるわけです。
そして、今回、額の奥で開きつつあるルートとは前の2つのうち上の方であるわけです。そのように思います。
前の下のルートは鼻根から眉間にかけての部分から頭の中心に入っているように思います。真ん中にはブロックのようなものがあって、完全に直線上ではないにせよ、だいたい真っ直ぐ後頭部まで繋がっているように思います。
そして、今回開きつつあるルートは額から頭の中央にかけての部分な訳です。
この種のお話を図示している本をいくつか抜き出してみました。
■神智学のC.W.リードビーターによる「チャクラ」の記載

この図によれば、額にエネルギー・ルートが延びています。
この図自体は神智学の本に度々引用されているため有名であるように思います。同書によれば、アジナ・チャクラ(第6チャクラ)とサハスララ(第7チャクラ)および脳下垂体と松果体との結びつきは以下のように説明されています。実のところ神智学で多様に引用されていて、割と有名なお話であるように思います。
・アジナとサハスララが脳下垂体に対応しているタイプ。多くの場合はこれが該当する。
・アジナは脳下垂体、サハスララは松果体に対応しているタイプ。希。
■「光の手」(下巻)バーバラ・アンブレナン著
こちらには額の部分と目の部分とで別の線が書かれています。

これは図で見ると眉間のように見えますが説明によると両目のことのようです。
■「あるヨギの自叙伝」の記述
同書によると、「鼻頭を凝視」とは原語ナシカグラム(鼻の先)のことであり、それは鼻の頭のことではなく「鼻の上」、つまりそれは眉間の霊眼の位置を意味していると言います。
■本山博先生の著作
本山博先生によれば、瞑想中に眉間でザワザワする位置がアジナで、その位置は正確には教えることができず、体感するしかない、と言います。
■「秘教真義」
同書には「目と目のちょっと上に集中し、そこに光を心像化し、その光を脳下垂体から松果体へとゆっくりと持って行く」というような行法が説明されています(これは行法の一部)。
■書籍「フラワー・オブ・ライフ」
頭の中心が「半歩」として描かれています。そして、この「半歩」を超えるためにはアジナの扱いにそれなりに習得しなければならない、と説明されています。

元々のサンスクリットの意味の誤解、そして日本語での眉間という言葉のイメージによるミスリード、ヨーギたちの見解の違い、スピリチュアルの諸説、神智学の説明などなど、アジナについては私も含めて長らく誤解をしていたのかもしれません。単純にアジナは松果体だとする説は多く聞きますし、はたまた脳下垂体だとするお話。あるいはアジナはアストラルなので単純に頭の中心だというお話ですとか、眉間がアジナだというお話。それらはいずれもアジナ(サードアイ)の場所について言及しており、一貫した見解を持たなかったように思うのです。お互いに自分たちの理屈や経験が絶対的なものだと思い、見解の違いがそのまま継続されていたように思います。ですから、アジナが鼻頭だとか眉間だとか額だとか頭の中央の松果体だとか、諸説が入り交じってきたと思うのです。
そして、私が最近になってようやく理解したのが、アジナとは一箇所のことではなく、エネルギー・ルートと器官およびアストラルな感覚との総合体だということです。これはどういうことでしょうか。
まず、松果体や脳下垂体は重要な役割があります。又、目ももちろん重要です。そして、より重要なのが松果体から額に伸びる線だと思うのです。ヨーギがするように眉間に集中する場合は雑念を取り除く効果は多少はあるかもしれませんが、眉間だけでは覚醒というには少し足りないように思います。
一つが、左右のイダとピンガラの活性による鼻の上の活性化です。ここはイダとピンガラが集合する箇所であり、ここを活性化することで視覚や意識がクリアになります。そして、そこから目の奥の脳下垂体や松果体、そして後頭部を活性化させるのです。これが第一段階です。
そして次の段階として、額から頭の中央の松果体へのルートがあると思うのです。
・眉間、目の奥、イダとピンガラ、脳下垂体、松果体、後頭部
・額から頭の中央、松果体
これらに不随して頭の周辺が堅ければ緩めるとか付随的な段階はあれども、頭が緩んでいるという前提であれば重要なのはこの2点だと思うのです。
そして、それらのルートは頭の中央の松果体を回り込むようになっているのです。
ですから、書籍「フラワー・オブ・ライフ」の図や説明で頭の中心が「半歩」として描かれているのです。同書にはこの「半歩」を超えるためにはアジナの扱いにそれなりに習得しなければならない、というようなざっくりとした説明が書かれてありますが、その内実はというと、エネルギー・ルートとして実際に迂回するようなルートであるので同書では「半歩」というように比喩的に描かれているのだと思うのです。
アジナの謎が次第に解けてきたように思います。
■そこに辿り着くために
そうだと分かれば話は簡単です。それぞれの波動領域において正しいエネルギーの使い方を学び、ルートにきちんとエネルギーを通して行けばよいわけです。ヒーリングにしてもこの理屈で理解することができます。自身で行うヒーリングと、他者の助けによって行うヒーリングとがあり、そのどちらも、エネルギー・ルートを通してエネルギーを満たして行くわけです。そうすることで覚醒することができます。
頭の中のエネルギー・ルートを活性化させる前提として体の方のクンダリーニもそれなりに活性化している必要があります。元々生まれながらにクンダリーニが動いている人ならばそれで良いかもしれませんし、そうでなければ活性化させるステップが必要になります。
体のクンダリーニがそれなりに動いている場合は頭の中の覚醒は基本は自分で行う自己ヒーリングになるわけですが、時にきちんとした他者によるヒーリングも助けになることもあるかもしれません。とは言いましても現実問題としてこの世の中のヒーラーの多くはレイキ的あるいは気の次元を扱うパワー系のヒーラーですので、この種の覚醒にはほとんど役に立たないかと思います。大抵の場合は体の不調を取り除くような種類であり、頭の中の覚醒を扱うことができる人はあまりいないように思われます。あまり良くないヒーラーですと逆にヒーラーにエネルギーを吸われてしまいます。エネルギーの法則として、エネルギーは水のように高いところから低いところに流れますので、良くないヒーラーはエネルギーを奪っていって、ヒーリングを受けた筈なのに逆にヒーリングを受けた側が疲れてしまい、ヒーラーが元気になります。そのような酷いヒーラーが割と多い(それでいて自信満々、無知にもほどがある)のですが、そのような場合は多くあれど、ケースとしては自己ヒーリングと他者によるヒーリングとに一応は分かれるのです。ですから基本は自己によるヒーリングになります。その自己ヒーリングにより、エネルギー・ルートを通していくのです。その前提として体のクンダリーニの活性化が必要です。そこに到達していないのならばヨーガをするなりしてまず自己エネルギーを活性化させます。グラウンディングとも言います。これは単純にジムでスポーツや筋トレをしてもそれなりに活性化できるお話で、覚醒のための基礎になります。
この種のお話を何故長々としているかというと、エネルギーのお話をして、その重要性を理解した後に、自分で地道に成長を試みるのではなく単純に誰かに何か儀式をしてもらえば良いとかセミナーですぐにそれを得たい、思う人が意外に多いからです。そして他力本願にセミナー通いをするようになるのです。私はそういうことはないのですが、世間的に意外に多いようなのです。イニシエーションですとか高額セミナーですとか、覚醒を謳った集客は宣伝が日々大げさになってきていて、世界に一つだけを謳ったセミナーが世間ではわんさかと出てきます。そして高いお金を奪われて大した成果も出ず、幻滅する人が後を絶たないわけです。そのようなものは、大抵は役に立ちません。それよりもジムで普通に筋トレをした方がよほどスピリチュアルにも健康にも良かったりします。もちろん体を動かすヨーガやヨーガの呼吸法(プラナヤーマ)であればもっと良いです。
話を戻しますと、まず、基礎として体を作り、瞑想にて雑念をなくします。そして雑念がなくなってきて静寂になり、更にエネルギーが強くなってきて、エネルギー的にも純化され、体全体のエネルギーが安定して、それからようやく頭のエネルギーのルートを通していきます。せっかくそこまで辿り着いても、その時、ルートをきちんと知らないと、通すべき場所に通すことができないわけです。単純に背骨沿いですとか眉間ですとか頭の中心とか、それでうまく覚醒するラッキーな場合もあるでしょうが、周囲のスピリチュアルと言われている人を見ていても、きちんと覚醒しないまま自己を誇ったりそれなりのレベルに達したと過信している人が非常に多い様に思うのです。
エネルギー自体はそうでなくても強くなったりするように思いますが、きちんと覚醒する手法を取らなければエネルギー不足になってしまうように思うのです。
きちんとした先生につければ良いですが、今は有名な「凄い先生」と呼ばれている人であっても何か変な感じのカルトになっていることも多く、なかなかお勧めというのはありません。その最初の当人はそれなりの境地なのかもしれませんが、それに寄ってきてカルト化していく団体にはあまり関わらない方が良いように思います。
であれば、様々な脇道を避け、アジナに達したりそれより先に行くには、やはり、自己探求が中心になるのかなと思います。場所としてそのようなスピリチュアルな団体の施設やセミナーを受けるのはありかと思いますが、本気でのめり込まない方が良いことも多いように思います。
結局、自己探求とはエネルギー的なお話であり、高次の波動に達するという、ごく当然でありストレートなお話であり、ただ高次の波動という、それだけのお話なのかなと思います。であれば、わざわざカルトの宣伝文句やヒエラルキーに関わるのは時間が勿体ないことが多いように思います。
脇道は多くあって、魔術だとか儀式だとかイニシエーションだとか色々と「スピリチュアルな成長」を謳う誘惑がこの世の中に沢山ありますけど、そのような本質的ではないものを横に避けて、単純に本質である「高次元に辿り着くこと」ただそれだけを行えば良いのかなと思います。
そしてその途中にアジナもあるわけですが、アジナの謎が解けつつある今、それよりも基本である「高次元」にシンプルに忠実でいることの方が重要のように思います。
ここでいう高次元とは、天でもあり地でもあります。基本は地球へのグラウンディングであり、そして、天へと繋がることでもあるわけです。そのためのフォーカスポイントの一つとしてアジナがあり、アジナは天でもあり地でもあります。それはスピリチュアルで言われている「統合されたチャクラ」ということでもあります。それ一つとしてチャクラであるのと同時に、統合されたチャクラでもあるわけです。チャクラが統合されてゆくのがハートであり、そしてアジナがその統合の鍵を担っているのです。