仙道におけるクンダリーニ、性的欲求の克服(馬陰蔵相)

2019-06-03 記載
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

■仙道におけるクンダリーニ

高藤 聡一郎氏の「秘法!超能力仙道入門」には仙道の修行段階が紹介されていますが、最もポピュラーな北派「伍柳派」の修行法に興味深い記述があります。全体の流れとしては「小周天→大周天→出神→タオと一体化」 となるのですが細かい説明をするのはこの記事の主旨ではありませんので「小周天」に関しては同書あるいは「密教ヨーガ(本山博著)」を読んで頂くとして、大周天に関しては諸説あるもののとりあえずクンダリーニやスシュムナに関する行法と思っておけばまずは十分かと思います。

興味深いと思ったのは「大周天の実際の姿」という節であり、クンダリーニ・ヨーガの内容と類似しているのです。何故そう思ったかという決め手は、その2つ目の記述「馬陰蔵相(ばいんぞうそう)」です。

馬陰蔵相(ばいんぞうそう) - 気が精に変わらなくなり、睾丸やペニスが、子供のように奥に引っ込んでしまい、産精機能がなくなった状態。このとき、気が体内を巡るのが大周天。

これはまさに私がクンダリーニ経験(2回目)をした時から急にそのように変化した部分です。以前は割と性の問題に悩まされることも多かったのですが、今は性機能を意識的にコントロールできるようになりました。エネルギーの無駄使いをしないように基本的には性的な感性は出さずにエネルギーを体の上部の方に焦点を当てることで体の下部(ムーラダーラやスワディスタナ)にエネルギーが行かないようにしています。昔はこの制御が完全ではなくて性的欲求が出てきてしまったのですが、今はほぼコントロール下にありますし、時折バランスが崩れそうになっても瞑想などをすればコントロールは容易に戻るようになりました。性エネルギーが完全にゼロになったわけでもなく、性的な情報が目から入ってくればそれなりに性的な活力が活性化されたりもしますが、制御は以前より遥かにしやすい状態にあると言えます。

パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」に出てくるヨーガの八支則(アシュタンガ・ヨーガ)の1つ目「ヤマ(Yama)禁戒」の中に「ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)禁欲」というのが出てきますが、大周天あるいはクンダリーニ経験(あるいはその他の状態?)の後でなければ本当のブラフマチャリヤはできないのでは、と今は思います。少なくとも私の場合はそうです。

以前のブラフマチャリヤは性の欲求を意思の力で押さえつけて性の問題が表に出ないように自分自身を律しており、それこそがブラフマチャリヤなのだと思っておりましたが、クンダリーニ(2回目)経験の後はブラフマチャリヤがとてもやりやすくなり、ブラフマチャリヤこそが自然の状態だと思えるようになりました。性の問題に悩まされていた頃の性欲を100とすれば以前のブラフマチャリヤによって60くらいにまで意思の力で性欲を無理やり押さえ込んでいたのですが、クンダリーニ(2回目)後の性欲は10前後で、必要に応じて意思の力で性欲を活性化させることもできますが基本は性欲が少ない状態になっています。これは活力が失われたということではなく、エネルギーがマニプラよりも上に来ていてスワディスタナへのエネルギーが制御されているために性欲が暴走しなくなっているのだと思います。エネルギーが上の方のチャクラに集まることで以前よりもポジティブなエネルギーの状態になっていますので、性欲がなくなったからと言って活力が失われたということではなく、性の方に費やされていたエネルギーがポジティブなエネルギーに変わることでエネルギーの無駄使いが減り、活力としては以前よりも確実に充実しています。

仙道的な説明で言うと「気と精のどちらにエネルギーを使うか」あるいは「気と精のエネルギー変換」というところになるかと思います。仙道の流派によっては「エネルギーを精(性)に使わずに気に使う」と解釈する流派や、視点を変えて「精(性)エネルギーを気に変える」とか解釈したりするようです。仙道には詳しくないので本を読んだ限りの理解ですが、「性エネルギーを気に変える」と言うのは違和感がありますね。根元のエネルギーがあって、それを性に使うのか気としてオーラとして使うのか、と言う視点の方がしっくり来ますが、このあたりは流派によって解釈がきっと異なるのでしょう。

この書籍には大周天の要件が他にも書かれてあるのですが、その視点はクンダリーニ・ヨガにも応用できるといいますか基本は同一なのではないかと思いました。ヨーガとは表現方法は違いますが似たようなことが言われていますし、視点を変えてみてみると私に足りないものが見えてきた気がします。そのような意味で、この仙道の修行方法は興味深くて勉強になります。

仙道の「出神」とは自分の分身を出現させることですが、これを読んだだけだと奇抜な特殊なお話のように聞こえますが、ヨーガと関連してこれを読むと、これは肉体の分身ではなくて、ヨーガで言うところの「サハスララから自分の幽体を外に出す段階」に相当すると思われます。「密教ヨーガ(本山博著)」には本山博先生がサハスララから体の外に出る経験のことが書かれてありますが、同様の修行段階にあるのだと思われます。とすれば、表現方法が違うだけで類似の修行段階があると言うことで、仙道にせよヨーガにせよ根本は共通ということで興味深いものがあります。

■ハタ・ヨガ・プラディーピカに記されている「精力の克服」
上記と似た記述がハタ・ヨガ・プラディーピカにも見られます。3バージョンから引用します。

  • (2章78番) ハタヨガの完成の兆候は次の通りです: (I)体が曲がるようになる、(II)顔が輝く、(III)明瞭な言葉、あるいは、内面の音(アナハタ音)が聞こえるようになります。 (IV)視力が明確になる。(V)身体のすべての病気から解放される。(VI)精液が制御される。(VII)消化の炎が刺激される。(VIII)ナディが浄化される。 (ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika、Swami Vishnu-Devananda著))
  • (2章78番) ハタ・ヨーガに成功したというしるしは、(1)身体が痩せる (2)顔色が冴えてくる (3)例の妙音がはっきり聞こえる (4)両目に曇りがない (5)無病 (6)ビンドゥ(精液)の克服 (7)消化力の旺盛 (8)気道が詰まっていない、等である。「ビンドゥの克服」というのは、注釈家によれば精力の消耗がないという状態のことだという。ある訳者は「精液を集中する」ことと解している。 (ヨーガ根本教本(佐保田 鶴治著))
  • (Chapter 2 Verse 27) ハタヨガが達成されるのは次のような時です: 身体が痩せる。静かな表情。内なる音の現れ。きれいな目。無病。ビンドゥ(精液あるいは卵子)の制御。活発な消化の炎。ナディの浄化。 (Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修))
それぞれ同種のものをまとめて分かりやすい言葉に変えると以下のようになると思います。

  1. 体が曲がるようになる。身体が痩せる。
  2. 顔が輝く。顔色が冴えてくる。静かな表情。
  3. ナーダ音/アナハタ音が聞こえるようになる。
  4. 曇りのない綺麗な目になる。
  5. 体が丈夫になる。
  6. 自然な(努力のいらない)ブランマチャリア(禁欲、ブラフマチャリア)の達成。
  7. 消化力のアップ
  8. ナディ(エネルギー/プラーナ/気の通り道)の浄化
これらが現れることがハタヨガの完成の兆候であるならば、ハタヨガの先にまだまだあるということですね。一般的には、社会を健康に元気に過ごすためにはこのくらいで十分すぎるくらい十分なのかもしれないですが。


(追記)

・・・これでこの話は終わりかと思っておりましたが、その後、更に劇的に性欲が減りました。詳しくは [別記事: 風のルンの竜巻でマニプラ優勢からアナハタ優勢に変化] にて。


上記の「別記事」の中で書きましたように、この続きがありました。第2回目クンダリニ(この記事)では性欲が10分の1になり、上記の「別記事」の中の体験では更に10分の1になり、トータルで100分の1になりましたが、それでも完全に性欲がゼロになった訳ではありません。ですが、基本的な方向性としてはこれは馬陰蔵相なのかなと思っております。肉体的に引っ込んだ状態についてもこの性欲の減少と同じくして、肉体的に完全に引っ込んだというわけではなく、性欲の減少の割合に応じて割と引っ込んだ状態になっております。


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