3つのグナと善と悪、そして世界のあり方

2025-11-30公開 (2025-11-03 記)
トピックスピリチュアル

世間では善と悪が語られ、そして、悪は滅ぼすべきなのかそうではないのかが議論されます。

昨今、熊さんが生活圏によく現れるようになり田舎の生活を脅かしていますが、これら熊のことも思えば、善悪のお話も見えてくるかもしれません。

まず熊ですが、当然のことながら動物ですので本能に生きており、そこに善悪はあるのかと言いますと、熊自身にとっては本能そのままであり、一方で、人間からしたら悪にも見えますし本能なのですから悪ではないと思えなくもない状態なわけです。

このように、物事に対して本能という側面と影響を受ける側からしてみたら悪になる、という状況があるわけです。

・熊さん、当人は本能(善も悪もない)
・人間からしてみたら、熊さんのことを理解するならば善も悪もない、しかし、人間の立場を思えば悪にもなり得る

このような状況は、動物であればはっきりしていますが、同じ状況を人間にも当てはめると、その構造は割と一致するのです。よって、熊さんが、世の中の悪に対してどのように対処すべきなのか教えてくれる良い機会になっているとも言えるのです。

悪は滅ぼさなくてはならない、という論理は、ここでは、熊は滅ぼさなくてはならない、という論理に対応付けることができます。そして、悪は滅ぼすのではなく理解すべき、という見解は熊との共生(およびある程度の自衛)というところに結びつきます。

熊さんであれば行動がある程度予測できますが、人間の場合はより複雑です。

ヨーガでは人間の本性やこの世界の成り立ちを3つのグナとして説明しています。

・サットヴァ、清浄
・ラジャス、活動的
・タマス、不活発

そして、これは一般的には固定的な観念(絶対的な尺度)であるかのように説明されていますが、この概念を拡張し、相対的な尺度であるとすれば、それは階層的になるのです。

この地球あるいは日本の平均的な人を例に挙げて、どのグナが優勢かを定義したとします。それは絶対的尺度に見えても実は相対的であるわけです。

それを仮に以下のように定めたとしましょう。

・日本人の平均のグナ(サットヴァ優勢)

その前後(上下)に波動の高低がそれぞれ階層的に来ることになります。

1.かなり波動が高い
2.少し波動が高い
3.日本人の平均のグナ(サットヴァ優勢)
4.少し波動が低い
5.かなり波動が低い

さて、こうして見た時に、グナの階層がそのまま善悪になるのです。3から見た視点は以下のようになります。

3から見た1 善
3から見た2 小善
3から見た4 小悪
3から見た5 悪

一方、4から見ると以下のようになります。

4から見た1 大善
4から見た2 善
4から見た3 小善
4から見た5 小悪

もちろん、2から見た場合も以下のようになります。

2から見た1 小善
2から見た3 小悪
2から見た4 悪
2から見た5 大悪

よって、普通と思っていた平均的日本人であっても、1や2から見たら悪になってしまうのです。

この構造を理解すれば、「悪を滅ぼさなくてはならない」という理屈が破綻しているということがわかります。それが許されるのであれば、自分よりも高い波動を持った人が同じ理屈で自身を滅ぼしに来たとしてもそれを甘んじて受け入れる必要がある、ということになってしまいます。実際にはそのようなことを受け入れる人はいませんから、争いになるわけです。それは自衛だったり、はたまた、正義の名の元に他者を滅ぼそうとするのです。

では、どうしたら良いでしょうか。

まず、階層があることを理解することです。そして、秩序は、その階層の上下で作られるということです。その秩序とは、波動が高い者が低い者を従える、という構造でなくてはなりません。これは、よりよき秩序を知っている者がこの世を治めるということで、正しいあり方です。自由ということです。ここでいう自由とは何でも好き勝手にやっていいということではなく、正しい秩序の元での自身の選択の自由ということです。これが善ということです。

この逆、波動が低い者が波動が高い者を従えるというのが奴隷ということです。非自由であり、隷属化、魂の他者への受け渡し、搾取、虐待、ありとあらゆる悪がここに存在します。

そして、同じような階層において、同じような価値観を共有して社会を作れば良いのです。それは多少はまばら模様にもなりますが、その接触を、階層の上下ごとになるよう、調整するのです。階層が離れすぎているからトラブルになるのです。

それは、理解してみれば簡単なことです。

熊さんのお話に戻りましょう。熊さんの生活は自由奔放で本能的なものです。熊さんに何を言っても無駄なように、波動の低い人に高い倫理を語っても理解はされないのです。波動の低い人は、ほんの少しだけそれよりも高い波動の論理しか理解できないのであり、それは、多少の秩序を持った荒々しい状態こそが目指すべきところであり、その、ほんの少しの高い秩序(4)というのは、波動の低い人(5)にとっての理想型であったりするわけです。そのように、5であれば4を目指します。4であれば3を目指します。向上心は誰にでも存在しますが、導きがなければ同じ階層に居続けます。

「悪は滅ぼさなくてはならない」などと様々な理屈でもって語っている人たちは、自身ですらも悪になり得る、という状況を理解していないのです。

熊さんが本能に生きているように、「悪は滅ぼすべき」と言っている人たちは自身の論理と感覚で生きているのであり、その(割と)低い波動は、ワンネスをまだ理解できないのです。ですから「ワンネスなどない、善悪は存在する」と公言し、「悪を滅ぼす」と自称するカルト活動に専念していたりするのです。

実際は、滅ぼすというよりも、より良い「知恵」が必要なのです。人々が、なるべく自身と同じ程度の波動階層で接するように、そして、自身の程度よりも少し上の存在に導かれるようにすることです。

そのように、階層構造が作られれば、この世界は、よりよき道徳と秩序を持った人が、それよりもほんの少し下の人を導く、という、正しき姿になるのです。

熊さんのように、その境界を踏み越えてやってくる存在はいつの世にもどこにでもいますが、それらを許さない知恵も必要なわけです。熊さんが人々の生活圏に近づかないようにさせるための工夫や、人々の生活を脅かす時の対処はもちろん必要です。それと同じように、人間の生活においても、図々しく生活圏を脅かしにやってくる人たち(例えば違法で滞在している外国人など)に対しては強硬な態度で臨むことは時には必要です。

熊さんにやられっぱなしで放置しないのと同じように、強欲で図々しく、自己評価が高すぎて自身は何も悪くないと思うような高慢な外国人などに対してはきちんと対処が必要になります。

ニューエイジやスピリチュアルにおいて「国境は必要ない」みたいなお話が喧伝されましたけど、それは世の中を混乱させミスリードさせ、他者に対してマウンティングして自身の立場を優位にさせようとする小賢しい理屈として働きました。意識レベルに違いがあるため、必ず国境は必要になります。単にごちゃ混ぜにしたら動物園になるだけです。熊に食べられてしまったらおしまいです。

ですから、世界政府の確立は必要になります。これら、世界政府の樹立と国境の維持という方針は矛盾しません。秩序とは階層によって成り立ち、一方、それらの階層における交流というのもまた、必要になるからです。分けて統治され、そして、統合の力も必要なのです。それが今は主に力によって成り立っていますが、それが倫理や正しさという方向付けによって統合されたとき、世界は良い方向に向かうのです。

そうして世界が波動の階層によって秩序作られるとき、世界に平和が訪れるでしょう。