宇宙における過去の戦争などの争いと、宇宙人そのものの質やあり方とは(ある程度の関係があるものの)一応は分けて考える方が良いように思います。
過去の教訓はどのような文明にもありますし、宇宙人そのものも学びの過程にあって、完全無欠な存在というのはいないわけです。
地球にいる側の人が時々チャネリング等で宇宙人(あるいは単にAIだったりもしますが)からコンタクトがあって色々と指導や教えを受ける場合、それらの話題になるわけですが、過去の過ちや教訓を宇宙人自身が語るときは多少は苦しい説明になるのが普通で、とは言いましてもその相手自身は関わっていない過去のことだったりしますから、説明に誤謬や勘違いも含まれるわけです。
そういうのを聞いた後、指導してくる目に見えない存在、時に宇宙人に対して「貴方たちもなんだかんだ言いながら争いしてるじゃない」みたいな突っ込みというか指摘というか、そういう感情を挟む人が稀にいるという噂を聞くのですが、そういう指摘は嫌がられるのでお勧めしないのです。指導される側のエゴがある程度強いと指導されていてもなかなかに反感があって、(指導される側からすれば)上から目線で指示や指導してくる存在と思われる存在に対して、そういった反論みたいなものをする人がいるそうです。
宇宙人と言っても完璧ではないのですから自分より少し先に進んでいる存在として尊重すべきで、そういった反感というのは少し前に書いた「少し前に行っている人が後に続く人」に接触して導くという階層化を理解していなくて、指導する側を神格化しており、完璧主義に陥っており、指導者は理想なのかそうでないのか、という観点で話をしてしまっているわけです。この世の中の全ての存在は相対的なものですので、どこまで上がっていってもその前後というものがあり、その前後の間で、この善と悪、指導する側と指導される側という関係が成り立っているわけです。
その完璧主義というのはエゴの産物で、完璧でない存在に指導されるのはエゴが許さない、という、エゴの自己防御の反応であるわけです。エゴがなくなっていけば相手の良いところだけを見て学ぶようになりますが、エゴがあればあるほど指導者の小さな間違いに反応してあげつらい、結果、教えている側がその生徒を相手しなくなるのです。
ですから、少し上の存在が少し下に指導しているわけですから、少し上の存在に対して「貴方たちもなんだかんだ言って争ってるじゃない」みたいに突っ込みをいれたところで、上の存在が嫌がるだけで、指導してもらえなくなったりすることもあるので、そういう、嫌がることがわかりきっている突っ込みはしない方が良いかと思います。言われたことが正しければ「そうですね」と受け入れて、違えば「違います」と答えれば良いだけなのに、何をそうして複雑に頭で解釈するばかりで、指導してくれる存在の重箱の隅をつつくようなことをしたところで、教えてくれる人がいなくなって損するだけなわけです。
それでもある種の規律を持って教えてくれる存在もいますけど、それは、割と躾や文化、といった面が強く、表面的に躾と規律を持っている存在がいたとしても、それと、波動の高さというのは必ずしも一致していないこともあります。信用できそうな、という人間的な感覚は一つの判断基準にはなりますが、かと言って、それはあくまでも自身と同じ程度の波動領域のお話であり、根本的に波動が違う存在とはそうそうコンタクトできないのです。
波動がとても高い存在は、貴方たちのところにはそうそうやってきません。波動の法則がありますから、かなり波動を下げて地球の存在にコンタクトをするのは高次の存在にとってはかなり苦しく、一時的にしか降りてこられないのです。ですから、いつもいてくれる存在は割と同じくらいか少し高いくらいの存在であり、そうであれば、様々な弱点もあって当然と言いますか、むしろ、同じような学びをするからこそ一緒にいるのであり、指導する側にしても、学びながら指導をしているわけです。
それはこの普通の肉体を持った社会における先生と生徒の関係でも同じであり、ある程度まで学んだら生徒は独り立ちをするのと同様、少し先に進んでいる者が後の者を指導し、その指導にも善し悪しや相性というものがあって、それ故に、完璧にはなり得ないわけです。
そのように、先生や導いてくれる存在は完璧ではありえず、自身の態度に合った存在が導いてくれていることを理解して、先生の過ちや足りなさを許容し、良い面を学べばよりよい生徒になり、学びも深まることでしょう。この種のお話は目に見えない存在のお話だけではなく、一般の社会、普通の日本の学校においても同じことで、先生が完璧と思うから突っ込みをして学びが滞るのであり、それよりも、学べるところを学ぶ、という姿勢が自身の成長に繋がるわけで、肉体を持っている存在でも持っていない存在でもそこは同じであると言えます。
このようなことを言うと、肉体を持たない存在を完璧な神様だと思って神格化して絶対的な存在であるかのように思っている人から反論が来たりするかもしれません。幻滅のため息が聞こえるかのようです。スピリチュアルの基本として、肉体を持っているかいないかに関わらず意識を持つ存在というのは同じであり、姿が見えればその姿で判断することできますが、姿が見えない存在は波動や言っていることで判断する必要があるわけです。その点、インターネットで目に見えない存在のことを判断することに似ている面もありますが、目に見えない存在はピンキリで、変な存在もいれば良い存在もいます。それらを審神者して、よりよき存在に導かれるためには縁というものも必要です。それら全てが兼ね合った時、人は劇的に成長するのです。