サットヴァな心に気がつき始める

2025-04-25公開 (2025-03-26 記)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

どうやら、今まで繋がっていた高次の意識と思っていたものは(なんとなくはそんな気がしていましたが)高次の意識というよりはミドル(中間的)な意識だったような自覚が出てきました。今のところ3層に分かれているような感覚があります。

・低次の意識(エゴ、蒙昧な自己)ヨーガで言うタマスな状態
・中間的な意識(それなりの高次の意識)当時としてはこれが高次の意識として認識。当時はヨーガで言うサットヴァだと思っていましたが今から思えばこれはラジャスな状態だったと認識を改めました。

これは最初は「2つの心」として表現され、分離していたものが、やがて1つの心になってゆく、というプロセスでした。

それはそれで一つ上の階層に上がるプロセスなわけですが、最近の自覚として、これは高次というよりは中間的な意識である、という気がしてきたのです。と言いますか、そんな気はなんとなくしていたのですが確証はなかったのです。これで終わりだとすれば色々な更に高次な意識と繋がっていないのはおかしいわけで、であれば、これは比較的に高次な意識ではあっても集合意識に到達はしていないわけです。ですから、この段階においては様々なインスピレーションという形でメッセージが降りてきていたわけですが、それは断片的なわけです。

それよりも、より直接的に高次の意識(比較すれば、のお話ですが)と接触する必要およびその予兆のようなものを感じています。

まず、タマスな状態においては低次の意識(タマス)の雑念を止めることで静寂な境地(タマスよりは上の状態)になり、やがて(タマスの低次よりは)高い意識(ラジャス優勢のサットヴァとの複合)に目覚める、というのが1つ目の段階だったわけです。そして、やがては1つの心に融合されてきたのです。そしてそれは当時は単純に高次の意識と思っていたのですが、確かに高次の意識からの関与がなければ引き上げられることは基本的にないえすし高次の意識との融合のプロセスですからそこには更に上のサットヴァも含まれてはいますが、融合した状態として落ち着いたのはラジャスな状態だったわけです。ですから、より上のサットヴァとの融合があった結果、元々のタマスとサットヴァが混ざったことにより、ラジャスに落ち着いたわけです。これが一段階目の成長および飛躍だったように思います。

ですから、その先をも示した上でヨーガのグナに当てはめると以下のようになるわけです。ただしグナとの対応は仮説で、検証したわけではありませんのでご注意ください。違う解釈もあるかもしれません。

・低次の意識(エゴ、蒙昧な自己)タマス。雑念の多い状態、雑念に囚われている状態
・中間的な意識(それなりの高次の意識)静寂の境地の後に現れる意識。ラジャス。それなりに静寂だが活発な意識
・高次の意識(清浄な意識)サットヴァ
・純粋意識。アートマン、プルシャ

そう考えると、今までの段階は主にラジャス優勢で、これからサットヴァを目指すとも言えるわけですが、実のところどのグナ(タマス・ラジャス・サットヴァ)も比率が違うだけで常に全て存在するわけですから、言い方としてサットヴァになるというよりはサットヴァが優勢な状態へと移行していくのかなと思うのです。

ラジャスの活発な意識が静まるとサットヴァが現れる、とも言えるかと思います。それはゼロイチで完全に切り替わるというものではなく、全ての要素はそれなりに混ざっており、特にアートマンは普遍的な存在ですから常に存在しており、グナであるタマス・ラジャス・サットヴァのみが変容して優勢が変わる一方で、アートマンは不変なわけです。物理的な存在である我々人間としてはサットヴァを目指し(それはサットヴァ優勢であるということ)、更にはアートマンあるいはプルシャに目覚めてゆく、ということかと思います。

タマスやラジャスであっても時折アートマンやプルシャに導かれると言うことはあるかと思いますが、サットヴァであればあるほどアートマンあるいはプルシャとの繋がりを感じやすいのは確かで、であれば、ヨーガでいうようにサットヴァを目指すというのがスピリチュアルな成長の方向性としては正しいかと思います。

今までヨーガのグナのお話は聞いてはいてもタマスやラジャスやサットヴァのお話が行動原理や思想的な観念で理解されていたものが、それよりは各自のオーラの状態および波動の違いあるいは雑念の多寡に関する対応とみると話がすっきりするわけです。

そうであれば、私はようやくサットヴァの入り口に近づいた(サットヴァ優勢になりつつある)、ということかもしれません。

今までの経験において、自分があたあもサットヴァかのような誤解あるいは勘違いをしていたのかもしれません。ようやくラジャスとサットヴァの違いが明らかになり、これからサットヴァを目指すことで成長を継続できるような予感があります。

それは特に何かが必要なわけではなく、単純に波動を高める、ということかと思います。

何か知識を入れる必要があるわけでもなく。
何か技を学んで身につける必要があるわけでもなく。

私に必要なのは単純に波動を高める、ということだけだったのだ、ということにようやく自覚的になったわけです。