遙かなる過去からの呪いと癒やしの回想 2020年9月~12月

2020-08-30 記
トピック:スピリチュアル: 回想録

今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つ

私の場合、転生する際はほとんど場合、使命がありました。使命は人生によってそれぞれですけど、使命を優先させておりましたので葛藤や摩擦でカルマを抱え込んでゆきました。そのカルマは一定量であれば横に避けておけるのですが溜まってくると重くなりますので解消する必要があります。

使命を優先しますから、基本的には私の人生でカルマの解消なんてわざわざしないのですよね。今回は特別とも言えます。

カルマはグループソウルに溜まってゆきます。普段の人生においては使命を優先させますからグループソウルから分霊として転生をする際にはそのカルマは持ち込みません。よって、ますますカルマが溜まってゆくわけです。

ここでいうカルマとは根本的なシステムとしてのカルマというよりは不浄な微細な印象(サムスカーラ)という狭義の意味で使っています。広義のカルマ・システムから言えば全てがカルマなのですが、そのカルマ・システムの保留事項が溜まっていってしまっているというわけですね。しかもそれが良いものではなく悪いものですので、解消する必要があるというわけです。

使命を果たす上で様々な人と関わり合いを持つことになるのですが、大半はそうして関係を持った人から受けた不浄な印象が積もってしまったものです。使命があると人里から離れて生活というわけにもいかないですからね。

そうして溜まってしまった不浄な印象(サムスカーラ)を解消するという目的がまず大きく1つありました。

それに合わせて、同じくらい大きな目的として、覚醒への階梯を確かめる、ということがありました。これはどういうことかと言いますと、私のグループソウルは過去生においてグル(霊的指導者)のような役割を果たすことも多く、実際のところ過去生だけでなく今生においても何人も現在もグルとして私のグループソウルから生まれた分霊が活躍しているわけですが、その際に共通の悩みとしてあるのが「弟子たちがなかなか覚醒しない」「弟子たちの悩みが理解できない」というジレンマでした。私のグループソウルから生まれた分霊は自分で一から覚醒するというよりは生まれた時から既に覚醒しているようなものですので特に悩みもなく覚醒を深めて行けるのですが、一から覚醒まで辿り着いたという経験がないために弟子たちの悩みを理解できない、というのが課題としてあったのです。

そこにきてこの度、カルマの解消をするにあたって都合よく自分自身がどん底に落ちることができますので覚醒への階梯を確かめることができる、というわけです。

グループソウルはいわゆるハイヤーセルフと同義だと私は思っていて、ハイヤーセルフとしての巨大な自分としての実態があって、それはモヤモヤとした雲のようなものではなくまさに人格を持った、形としても人間のような姿形を持った存在として意思と実態(アストラルな霊的なものですが)が存在しているわけです。それがグループソウルで、その中には細かな色々な意思が存在しているわけです。そのハイヤーセルフが今回、このような決定を下して分霊を作り出したわけです。

グループソウルとは言っても肉体の各臓器のように役割や偏りがあって、それはハイヤーセルフの意思で各所が分離されて整理されて統合されているわけですが、グループソウルの一部に溜まっていた未解消な悪い印象(サムスカーラ)と、これまた一部に溜まっていた「弟子たちが覚醒する階梯を詳しく知りたい」という欲求がそれぞれあって、お互いが結びついて今生としての私が生み出されたわけです。

悪いカルマの方は各人生の悪い印象ばかりが集まったものですので、生まれた時から重苦しい愚鈍な(タマスな)オーラを持ち、その一方で、ある程度の覚醒した意識も持つという二面性のある人生をスタートさせました。

人生始まってからすぐに苦労し始め、だいたい40年かかって8割は悪いカルマが解消できたように思います。ここまで来ればあとはグループソウルと融合した後はそれぞれの分霊の人生がカルマを引き取ることで問題なく残りのカルマも解消できるから今回の人生はほぼ達成したようなものだ、と言われています。

もう1つの目的である覚醒への階梯についても、興味は階梯の特に最初の方にありましたので、それらの階梯はとっくの昔に通り過ぎておりましたのでこれから先はあってもなくても良い、ということのようです。ですので、こちらの目的もほぼ達成したと言えます。

と、いうことで、人生の大きな目的2つはほぼ達成したとお墨付きを頂いており、かと言ってこれから特に使命があるわけでもなく、後は好きに生きてください、とだけ言われています。

そうは言っても、色々とできることはあるので何かやってみてもいいかな、という気はしておりますけどね。

グループソウルの他の分霊は色々と使命を果たしていて地球人類の覚醒に貢献しているわけですけれども、最近の共通の課題は、分離してしまっている宗教を統合してゆく、ということにあるようです。そのために私のグループソウルの分霊は知恵を絞って活動しているようです。

それに合わせて地球滅亡を阻止する、という大きな目標もあります。

まあ、私の今の人生・立場からするとそのような活動もしにくいですし、もともとそのような使命があるのであれば家柄や教育なども厳選して行われますから、やるとしても一旦はこの人生を終えて、グループソウルに合流してからまた分霊になって活動した方がやりやすいかなとは思います。その時は今の私とはかなり異なる資質になると思います。時間軸についてもあの世というものは時空を超えておりますから死んだ後に同じ時代に重なって転生というのもあり得るわけです。

ですので、今生はたまに休暇をもらったと思ってゆっくりすればいいかなと思っておりますが、それでも、何かするかもしれませんけどね。もう十分休んだ気もしますので。

今までは使命もありましたし、そのためにはある程度のお金も必要ですのでそれほど貧乏をしたことがなかったのですが、カルマの解消をするためには貧乏な家庭の方がしやすかったというのもありますし、又、弟子たちの悩みの根本には貧困の悩みというものも横たわっておりましたので弟子たちの悩みを理解するためにも貧乏暮らしをしてきましたが、もう貧乏暮らしをする理由も無くなりましたので、とりあえず金銭的な解消をしてもいいかな、とは思っています。



私のグループソウルは遠い過去から霊性の進化を教育してきた

夢で見たことです。本当のことかはわかりません。

遥か昔、宇宙のとある星で争いがありました。私のグループソウルであるハイヤーセルフとしての存在はその戦いに一旦は破れ、仲直りをし、その後、国を離れて地球の面倒を見ています。グループソウルの本体が遠い宇宙の果てから地球にやってきて、初めは本人だけでしたが次第に仲間たちも集まり、大師としてこの地球上に関与し続けています。

時空を超えられますので遥か遠い過去にも関与しておりましたが、かなり昔の歴史においてはポイントポイントごとの関与に留まり、深く関与し始めたのはレムリア時代の終わり頃からだったと思います。もちろんレムリア時代の中期以前にも関与していたのですが、その頃に私の分霊の核の部分も切り出され、レムリア時代の終わりの頃に私としての分霊が初めて地球上に転生しました。

核と言っても、必ずしもずっと分離したままだったわけではありません。グループソウルのことですので統合・分裂をしますが、分霊を作るときにある程度の方向性というものはあるのです。その性質のことを核と言ったりします。比喩的なものです。今生ではカルマの解消が一つの大きな柱でしたので私にはその他にも多くの人生が混ざっています。ですから私の全てがそうだったわけではありません。系統として、そのようなものがある、ということです。

その、分霊の一つの系統として、レムリア時代に分霊として別れた魂がありました。私の目的は、人間たち、地上の生き物、地上の生活を知ること。興味を持って眺めていました。

ですから、その時点では特に地上の人たちを教育するということはありませんでした。

地球に初めて分霊として降りた時は、まだ肉体を持ってはいませんでした。・・・いや、肉体らしきものはありました。しかし今の普通の人のような重いものではありませんでした。そして程なくレムリアがアセンションをします。その時は、肉体らしきものが丸ごと軽くなり、物質らしき物質はより物質の薄いものになり、より微細なものになりました。人々は喜びに溢れ、次の世界、地球の別の面といいますか、並行宇宙といいますか、今の地球のすぐそこに存在している別の惑星にある美しい別世界へと旅立ちました。

私は地球に来たばかりでしたしまだ地球のことを知りたかったので地球に残りました。

その後、遥かなる時間を地球で過ごしたような気が致します。肉体は纏わずに、霊のまま漂っていました。

地上に住む人々は野蛮でしたが、女性は美しい姿をしておりました。理解力や直感力は高くなく、欲望のまま生きているという点においては今の人とそれほど変わらなかったと言えます。

まだ地球には木々が多く、街の周囲は森に囲まれていました。

そんな時、とある一向を発見しました。

地上に住まず、空中に浮かんだ住居に住む人たちです。人数はさほど多くはなく、10人か多くても20人に満たないグループだったように思います。プレアデス系の先遣隊です。

彼らは最初、空中に住んで、そこに地上の女性を招き入れて生活していました。今の科学技術を持ってしても魔法としか思えないような技術を持っており、願えば何でも出てくる魔法の杖のようなものもあり、不自由せずに暮らせたように思います。

私は興味を持ち、その人たちについていくことにしました。その人たちは見えない霊も見えて、話もできる人たちでした。ことあるごとに私の人生とその人たちはクロスすることになります。

プレアデスの先遣隊は地上の人を調査し、可能ならば霊的成長を教育するというミッションを持っておりました。それはかなり昔から行われてきた長い長いミッションで、同じ魂が地球に何度も何度も転生をして同様のミッションを継続するという辛く長いものです。特に魔女が弾圧されて火炙りにされたりと言ったことは中世だけでなく何度となく行われてきました。地上の偏見のある人たちの中でひっそりと暮らすことも多くありました。

私の元々の目的は地上の人たちを理解することで、それは学術的に理解するというよりは楽しみの感覚、興味を持って喜びを感じると言った種類のものでした。ですから私の根本から言うと教育ということにはならないのですが、プレアデスの先遣隊と関わるにつれて人々の霊的啓蒙というものにも少しずつ興味が出てきたのは事実です。

元々は、私は地上の人の悩みとか欲求とかには全く興味がなかったのです。なんで悩んでいるかなんて興味もないですし、そもそも悩みとは何ぞやという根本的なところが理解できませんでしたので、よくわからない「悩み」とやらを人間たちが持っていて、それを解消してあげることの何が嬉しいのかよくわからなかったのです。基本的には私は悩むとかそういうことはなかったですからね。今生でこそカルマの解消のために一旦どん底に落ちたからこそ人生の悩みがあるとはどういうことかわかるようになりましたけど、それまでは、人々がなんで悩んでいるのかよく分かりませんでした。正直、ある程度覚醒してしまった今となってはまた他人の悩みがなんぞやということがよくわからなくなってきています。記憶では悩みとはどういうことかわかりますので有益ですけど、覚醒してくると他人の悩みがよくわからなくなるのかな、という気がしています。そんなわけで、私は他人の悩みとかその解消とかいうものに興味はなかったのですが、付き合いのあるプレアデスの先遣隊と一緒にいるうちに教育というものの手助けをすることもありました。

プレアデスの先遣隊の方々は今の時代にも生きていて、私がまだ20代の頃に何人か直接お会いしたりしました。その方々は今でも人々の意識の啓蒙を続けているようです。一時期はかなり盛り上がったようですが今はどうなのですかね。あまり噂を聞きませんね。知らないところで色々とされているのですかね。今生では日本神界の神々との繋がりもあったようで、色々とされていましたが、神々から言われた秘儀は全て実行したと言われていましたが、私なんかからすると、それって本当に日本の神々なのかよく分からないですけどね。その方々が自分の判断ですることですし、基本的に私とプレアデス先遣隊とは独立した存在ですので口出しもしないですけど。

そんな感じでクロスしながら、例えば、プレアデス先遣隊のゴーストライターのような立場でカウンセリング相手を代わりに前日夜に霊視していたことがあります。あるいは、占い師だったり、インドでグルをしたり、イギリスでスピリチュアルな教師をしたり、色々と関わっています。

ですが、私の分霊のラインだけでなく、グループソウルの他の分霊は何十人も今でも世界の各地でグル(霊的指導者)をしていたりしますので、私のグループソウルと霊的な啓蒙とは関わり合いが深いと言えます。



物理数学者としての人生と、商人としてパリのフランス革命を目撃する

これまた夢で見たお話。本当のことかはわかりません。

幾つかの人生を転生して、ある時、物理数学者としてフランスかどこかの王立のような名誉のあるアカデミーに所属していました。若い頃にとある理論を発表し、それについて研究を進め、年寄りになる頃には学校でその理論が教科書で教えられるようになってやがてはその理論は当たり前のようになってゆきました。

その人生では割と著名な学者で若い頃に作った理論の上に更なる理論を積み重ねて行ったものです。

長らくその世界にいると権威のようになって、威厳も増えて、しかしながら、そのような権威ある立場ですからチヤホヤされて自尊心が拡大し、細かいことでいちいち怒りっぽくなってしまったように思います。自分だけが理解して他人が理解できないという状態が何十年も続いて、やがてそれが教科書に載るようになったものですから、他人をどこか小馬鹿にしていたのですね。これは反省点です。

その反省をするためなのかあるいは反作用が働いたのか、次の人生でも学者になろうとしましたがうまくいかず、アカデミーには入れず、教員として生計を立てましたがなかなか家計は苦しかったように思います。

この時はあまり心配せずに次の人生に生まれてしまったために金銭面で苦労したことを覚えています。

そうして金銭で苦労しましたのでそのまた次の人生は金銭に苦労しないようにパリのフランス革命革命前夜のパリの商人の家に生まれました。商売は割と順調で、予定通り、金銭には苦労しない生活をしていました。

しかし、次第に景気が悪くなってきて、人々が食べるものにまで困るようになります。

私は商人でもありましたし、小さなバーと雑貨店を兼ねているようなお店も運営していましたからパリ郊外からの商人との取引がありました。

ある日、私は他の行商人の取締役たちを呼んで会議をしました。

品物がどんどん高くなる。それはパリに品物を卸している大手の業者が値段を吊り上げているからだ。しかし、我々も厳しい。このまま仕入れ価格が上がって行って小売価格がそのままでは我々は破産してしまう。よって、皆で価格を調整し、主要な品物を一斉に引き上げることにしよう。そして、それは同意されました。

ここに、フランス革命前夜の商売のカルテルが出来上がったのです。

もともと少しずつ価格は上がっていましたが、カルテルによって一気に価格を引き上げたのです。これで小売業の収支は持ち直しました。しかし、住民が困ることになりました。

ある日、パンや小物を買いに来たお得意さんの住民が一気に値段が上がったのを見て「どうしてこんなに高いのか?」と苦情を言いました。

それに対して、答えました。

「仕入れ価格が上がっているんだ。他のお店に行ってみろ。どこだって高くなっているぞ。先週はこれで○○で仕入れた。しかし今週は○○になっている。今週の仕入れ値は少し前の売価よりも高いんだ。それに手数料を載せて売ったらそのくらいになる。仕方がないだろ」

お得意さんが「それじゃ、その仕入れ値で売ってくれ」というものですから、「だめだ。手数料がなければ儲けが出なくて、次の仕入れができなくなる。次の仕入れはもっと高くなるだろう。品物が手に入らなくなったらお前さんだって買えなくて困るだろ。仕方がないんだ。卸業者が高く値段を釣り上げているのだかな・・・」

それは真実ではありましたが、カルテルを結んで価格を安定させていたのもまた、事実でした。

そんなことを繰り返していた結果、かなり不満が溜まったのでしょう。やがて、「住民が街に集まっているぞ!」「王を倒そう!」という声がそこかしこから聞こえてくるようになります。

私は「王を倒すなんて、そんなことできないだろ」と思っていましたから特にデモ隊には参加せずにお店を開いていましたが、やがて王が倒されたと聞いてびっくりしました。

当時は単にびっくりしただけでしたが、今から思えば、そんな歴史的瞬間に立ち会えたのであればもっと歩き回って雰囲気を見ておけば良かったとちょっと後悔しています(苦笑)

とは言いましても、レ・ミゼラブルに出るようなあんな熱い感じでもなくて、もっと怒りに震えた感じ、不満が爆発する感じですので、レ・ミゼラブルは美化しすぎかな、という気が致します。同時代に生きた感覚としてそんな気が致します。

そうして王は倒され、ある程度、物価も戻りました。

しかし、多少は良くなりましたが、根本的には変わりません。いつの世も、庶民は権力者に利用されるものですね。王を倒したい人がいて、庶民は動かされただけだったのだと思います。



ナチスに拷問されて呪っていたインナーチャイルドに癒しを与える

これまた夢や瞑想で見たお話です。本当のことかはわかりません。

以前に書きましたように私の一部の系統をグループソウル経由で辿るとナチスに拷問された霊能者がいるわけですが、どうやら、それがインナーチャイルドとしてことあるごとに私のトラウマとして浮かび上がってきていたのだとはっきりとわかってきました。

瞑想をして静寂の境地に何段階かに分けて入っていくわけですが、その中に、どこか深く入れない重荷のようなものを感じていたのです。

何度も瞑想をして、それが一体何なのか探っていました。

私の若い頃に学校生活やその他で生じたトラウマであれば大体は瞑想中にその時のことを浮かび上がらせて消すことができたのですが、この種の深いトラウマはふとした時に顕在意識に出るので厄介なものでした。

普通の生活をしていて、不意にトラウマが浮かび上がってきて、かと言ってそのトラウマは単なる葛藤だけで感情でできているものなので、不意にトラウマになったからと言ってその理由がナチスの拷問だとはなかなか気がつけずにいました。ただ単に、若い頃にカルマの解消のために自分自身をどん底に突き落としたことによるトラウマかとばかり思っておりました。ずっと、このことに気がつくまでは。

おそらく、ことあるごとに少しずつ気が付いてはいたのだと思います。しかし、まだ、それと正面から向き合う準備ができていなかったのだと思います。

クンダリーニが上がってきてアナハタ優勢になってきた頃にはエネルギー量が上昇して子供の頃のトラウマまではそのエネルギー量でポジティブに解消することができるようになっていました。これは、パワーが上がればポジティブになって雑念が減るということだと実感しています。

しかしながら、ナチスに投獄されて拷問されながら霊視をさせられたことはこれらとは根本的にレベルが異なります。どうやら、それらのトラウマがまだ解消できていなかったようです。アナハタ優勢、そしてマントラを唱えずともアジナに感覚が出てきた(注1)わけですが、それらで解消できていたのは今生でのトラウマまでだったようです。
注1:(マントラでアジナがグリグリくるのはかなり以前からあった

時々、ふとした時に日常生活上にこの種の強い感情の突き上げと呪いが吹き上げてくることが青年期以降にありました。子供の頃はまだ生まれた時から所有していたオーラでネガティブなことはそれほどなかったのですが自分がどん底に突き落とされてから以降、トラウマが付き纏うようになったのです。

そして、今生で解決すべき基本的なカルマは大体解消し終わったのですが、どうやら、深いところに眠っているカルマとしてナチスに拷問された恨みと呪いが時々出てきていたようです。

時々、ふと我を失って「(ナチスを)死ね、死ね、死ね・・・」と呪う自分がいました。今でこそ我を失う前に気がついて正気に戻ることができますが、日常生活を平穏に送ることに困難さを感じることもありました。

にも書きましたけど、ナチスは殺風景な牢屋に私(の一部の過去生)を押し込めて、逃げ出そうとして失敗した罰として私の頭に輪っかのようなものをつけ、その輪っかをネジで頭蓋骨にはめたのです。体を動かす時もゆっくり動かさないと痛いし、ことあるごとに頭痛がします。眠る時は気をつけないと寝返りを打った時にネジが食い込んで痛くて飛び起きます。

もともと粗末なベッドでしたがますます寝られなくなり、能力も落ちてゆきました。そして、その都度、ナチスへの呪いを深めました。毎晩のように「(ナチスを)死ね、死ね、死ね・・・。」と呪い、戦時中でしたから戦況を霊視させられるのですが、ナチスが負けるように霊視の結果を意図的に選んだり、見せなかったりしたように思います。口で説明するような霊視ではなくて手のひらから映像として空間に照射しますので映像自体はなかなか騙せないのですが、それでも、見せるものを選択することでナチスの役には立たないかあるいは勘違いさせるように意図しました。

更には、ナチス自体の精神に入り込んで精神崩壊もさせたような気が致します。他の人もナチスを呪っていたのでしょうが、少なくとも私の過去生もナチスの精神崩壊を意図して呪い続けていました。願いは2つ。ナチスの死と、戦争におけるナチスドイツの敗北です。

長い間は、この突然のトランスと「死ね、死ね、死ね・・・」と言う感情と呪いがどこから来ているのかよくわかりませんでした。瞑想を続け、今生のトラウマを整理して行っても尚そこに残る深いトラウマを探って行ったらナチスに行き着いたわけです。

私に限らず、能力者を怒らせない方がいいと思いますよ。ナチスは霊能者を利用しているつもりでしたけど、怒りを買ったら必ず仕返しされます。

死んだから終わりではなく、死んだ後の方が自由に活動されますから更に根本から仕返しされます。呪いは死後に強まることはそれほどない気が致しますが、生きていれば色々なことがありますので呪いも小さくなってゆきますが、死んだらなかなか呪いは小さくならず、呪ったまま死んだら長く呪いが続く気が致します。

ある意味、ナチスドイツは私の一部の過去生の怒りを買って戦争に負けた、ということもできるかもしれません。おそらくは私の一部の過去生を牢獄して拷問なんてしていなければ戦争でもっといい線行っていたようにも思います。今の時代までドイツ帝国が東ヨーロッパを治めているタイムラインもある気が致します。まあ、私の一部の過去生を怒らせたのが運の尽きだったということかもしれないですね。

呪いでナチス自身の精神を崩壊させて判断を鈍らせればナチス帝国の崩壊なんて簡単なことです。ナチスの脳か心臓にショックを与えてコロリと殺すこともできましたがそうすると精神が解放されてしまい、また次の転生において他人を拉致・拷問しようとするかもしれません。そんな簡単に殺してしまうより精神を崩壊させて二度と他人を拷問しようとなんて思わないほど痛めつけてあげる方がよっぽど効果があるのです。それは呪いと言うだけでなくこの世から悪を排除することでもあります。

・・・再度書きますけど、夢と瞑想のお話で、本当かどうかは分かりませんよ?

そんな私の一部の過去生があって、瞑想で深く潜って行った時に、この呪いが眠っていたのです。

私は今まで「インナーチャイルド」とか興味がなくて、そもそも「インナーチャイルドって説明は何度も聞くし色々な人が言っているけど、いまいちピンと来ない」と思っていたのですが、最近、瞑想で見た私の中に眠っているこの呪いとそれを発している女性の魂(その当時の私は女性だった)は、まさにインナーチャイルドと言うのが相応しい気が致します。

ナチスドイツに拷問された私の一部がインナーチャイルドとして呪いと悲しみにふけているのです。それが最近の瞑想で見出したことでした。体育座りのように足を抱えてうずくまり、呪いつつも泣いているインナーチャイルドがいます。

そのインナーチャイルドに対して、「大丈夫。もうナチスはいません。貴方を拷問するような人はいません。安全です。起き上がってください。」と言いつつ、優しく頭を撫でてあげます。

そうすることで、インナーチャイルドが抱えている昔の呪いが少しずつ解けて来ている気が致します。

ヨーガでは体の右半分がピンガラで男・太陽の性質を持っていて左半分はイダで女の月の性質を持っていると言いますが、このインナーチャイルドは体の左半分に眠っていました。

元々は元気な女性でしたが拷問を受けるうちにやつれて来て、能力があまり出なくなって(そのように装っていたと言う面もありますが)最後に捨てるように放り出された時にはハリーポッターに出てくるシビル・トレローニーのような雰囲気になっていました。その姿のインナーチャイルドが私の中に眠っていて、癒しを必要としていたのです。

どうも、私が今生で霊的な能力が出ないのはこのインナーチャイルドを癒していないからのような気がして来ました。

その転生ラインを辿ってみると、拷問を受けた後の転生ではとにかく能力を隠すようになって、普段あまり能力を使わないようになっていました。それは単に隠すと言うだけでなく、拷問を受けたことによるトラウマが癒されていなくて能力を出すことに対する恐怖が能力に蓋をしていたのではないかと思うのです。

拷問を受けた後は拷問痕が頭蓋骨に残って冠のように無残な姿をさらけ出し、そんな拷問を受けて傷があり、悲痛の表情を浮かべ、しかも年老いた女なんて誰も相手にしてくれません。そのトラウマがインナーチャイルドとして眠っているのです。

私の今生の目的は過去のカルマの清算でありますので多種多様な過去生の一部が今生の魂に取り込まれていますが、その中に、このインナーチャイルドも含まれていたようです。このインナーチャイルドのラインを辿ってみると、最近ほとんど転生していないようです。ナチスに拷問された後、1回か2回くらい転生しただけで、あとはグループソウルの中にカルマとして眠っていました。最近の転生は他のラインの男性性としての転生が多いですね。男性性の転生は天皇から庶民に降りて来て一般人を理解すると言うラインで、それに、時々グループソウルで合流・分離(分霊)を繰り返してはいますが女性としての魔女系のラインがあって例えばジャンヌ・ダルクなどがいます。

どちらにせよ今生はカルマの精算という位置づけですのでいずれもそのカルマを背負った本体ではなくてそれぞれの人生で負ってしまったカルマの一部を集めて一つの魂にしておりますので、私がジャンヌ・ダルクだったという訳でもありませんし、私自身がそのまま魔女だった訳でもありません。私の一部としてそれらの系統から繋がっている一部があるというだけです。ただあるだけでなくてカルマの部分、一番悪いトラウマの部分だけが集まっておりますので、私がそれらの聖女を名乗ったら失礼にあたるというものです。グループソウルとはそういうものです。

そのように分霊として私が生まれ、カルマ精算の対象としてナチスに拷問された当時の魔女(の一部)が私の中にインナーチャイルドとして眠っていた、という訳です。

色々できたとしても、大抵の能力者は無害ですし、そもそも世俗の現世利益に興味がない人がほとんどです。ただ、そのような人を捕らえたり拷問したり、何某かしたら必ず強い仕返しをされます。それは、ほぼ決まっているその人の人生すらもねじ曲げて、時には国家がほぼ既定路線で決まっていた未来すらもねじ曲げることがあるということです。ですから、色気を出して能力者を使役させようなんて思わないことです。例えば平家の呪いとかあるでしょう。あんなのはまだ甘い方です。本当に強い能力者であれば国が滅びていますから。



私への恨みは全てそのままお返しします

瞑想中、かつて私を恨んだであろう人の姿がイメージに出てきました。

今までは、基本的に恨まれても放っておきました。何故かそうするのが良いと思っていたからですが、今から思えば、私の今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つでしたからこそ、どん底に突き落としたり、あるいは、恨まれた時の状態を理解して学ぶために恨まれても放っておくべきと判断していたように思います。

顕在意識では恨まれたくないですし恨まれたらその分、跳ね返して返すべきと思っておりましたが、潜在意識において恨まれることは必要な学びだから跳ね返さずに恨まれたことでどのように自分が変化するのか学ぶと良い、と判断していたように思います。顕在意識より潜在意識が勝ちますから、今までは、恨みに対してなされるがままでした。

ですから、相手からしたら簡単な相手だと思われていたことでしょう。相手からすればうまく恨んで私をどん底に落としたつもりになっていい気になっていたでしょうが、ことあるごとに、誰かから私が恨まれる度に、私が必要な学びの環境へと誰かが私を突き落としてくれていたわけですから、実際のところ、私の思い通りに相手が動いて私を恨んでくれたのだと言うこともできます。全ては私の掌の中で動いていたわけですね。

そうは言いましても、最近はその必要もほとんどなくなっており、そろそろ、清算して自分をガードすべきではないかと思いました。

瞑想中に自分の中を探ってみるとのようなものが見つかることがあるのですが、大きなものはほとんど取り除いたと思うのですが、まだ細かなものが残っているのです。

今回、試しに「私への恨みは全てそのままお返しします」と宣言したところ、残っている細かな針が少しずつ消えてゆくではありませんか。どうやら、私のオーラの中に根深く残っていたようですね。

宣言は更に続き、「私への恨みは、相手ごとに、現在あるいは過去のとある1点にまとめてお返しします」と宣言しました。

これはどう言うことかと言いますと、相手は私を何日、何週間、何ヶ月に渡ってしつこく恨んだりするわけですが、それを都度返すのではなく、時空を超えて全てひとまとめにして、これまた時空を超えた1点にまとめてお返しします、と宣言したのです。

こうすることで、個別であれば跳ね返されてしまって再度私に戻ってきてしまうかもしれない恨みが、強力な自分自身の刃となって帰って行くように意図したのです。

その結果、相手がどうなるのかはよくわかりません。交通事故かもしれませんし単なるトラウマあるいは鬱になるのかもしれません。

もはや私は特に相手を恨んではおりませんので、更にこのように宣言しました。「何も付け加えません。しかし、何も引きません。相手が私を恨んだ分、100%そのまま相手にお返し致します。」

こうすることで、私の方にカルマが残らないようにします。

私の体に刺さっている針は針と見ることもできますが、それは恨みの塊ですから、よく見ると気持ち悪くて、まるで毛穴に黒い垢が詰まったかのようなおぞましい様相をしています。それが、このように宣言するごとに少しずつ消えてゆき、おそらくは恨みを発した人にそのまま帰って行っているような気が致します。

今までは私に必要だったからこそ相手の恨みを利用したとはいえ、そうは言いましたも恨みは恨みでありますから、相手にはその恨みは返してしまうのが一番だと思います。そこらに捨ててしまうと、このような恨みの想念はぷかぷかとそこらを雲が流れるように漂って行って無害な人の体にくっついてしまうことがありますからね。世間で不意にネガティブになったりする人の原因はこのような単なる事故の時もありますから、そこらに放ってしまうよりは、本人に引き取ってもらうのが一番なのです。

このような「呪い返し」をするときに重要なのは、相手の方がエネルギーが高いと呪いが逆に返される場合があると言うことです。

呪い返し成功パターン:呪ってきた人 →(呪い)→ 私 →(呪い返しで跳ね返す)→呪ってきた人が私よりエネルギーが低い場合は呪い返し成功。呪いは全て呪った人自身に戻る。
呪い返し失敗パターン:私より呪った人の方がエネルギーが高い場合は呪い返し失敗する。

ですから、おそらくは私の若い頃に、わざわざ自分をどん底に落としてエネルギーを枯渇させて覚醒への階梯を確かめるなんてやっていた頃に呪い返ししようとしても相手の方がエネルギーが高くて呪い返しなんて成功しなかったと思うのです。おそらくは同様の意図を何度もしていたのですが、失敗していたと思います。その失敗すらも過去生ではほとんど失敗していなかったと思いますので、エネルギーが低いと呪い返しに失敗すると言うことも含めて学びの一環だったわけですが。過去生では大体の場合に覚醒しておりましたので呪い返しが失敗するなんてほとんどなかったように思います。エネルギーが低いとこんなにも呪いへの対処に失敗するのか、と言うのは必要な学びでした。

しかしながら、今はクンダリーニが覚醒して、オーラのエネルギーがアジナ優勢に変化して、エネルギー的に不足はありません。

そこで、そろそろもういいかな、と言うことで上記の宣言をしたところ、どうやらうまく行ったようなのです。

恨みだけでなく、他にも色々返すことにしました。

・私を馬鹿にした人に、その思いをそのままお返し致します。
・私を蔑んだ人に、その思いをそのままお返し致します。

等、恨みに類した事項もこの宣言に加えました。

どうやら、このように言葉にすることで精妙な世界ではそれがルールとして働くようですね。
そして、一旦ルールとして潜在意識に書き込まれたら特別な指示をしなくてもそのルールは働くようです。

過去だけでなく、基本的には未来も同様のルールで恨みや蔑みはそのままお返しします、と言う宣言もしました。

この種の宣言は、おそらくは宇宙とほんの少し繋がったことで宣言が有効になる気が致します。おそらくはそれ以前ですと宣言しても宇宙に届いていなかったように思います。以前とは異なり、全てではないですが自分の発する宣言が有効になってきたように思います。

■私を貶めようとした人にお返しをする

一旦は瞑想でお返しして、その後、数時間経ったらフィードバックがありました。

特に頭の右上方に圧迫感があって、誰かが押し返そうとしているようです。

誰だろう・・・ と思って探ってみると、どうやら、小学生の頃に私を貶めようとしていた人のようです。時空を超えてこんなところまで私を恨みますか。仕方がないので眉間に力を入れてその念を押し返します。すると、眉間あるいはもう少し右上のところで「ピキピキ」という音がしました。圧力がかかっているようです。

その人はどんな人だったかと言いますと、次のようなことがありました。

ある時、学校の先生が道徳の授業で、匿名で教室の他の誰かに原稿用紙1枚程度で「良いところ、悪いところ」を書いて送ろう、というお話があったのです。くじ引きで相手を決め、原稿用紙の「右上に自分の名前、左上に相手の名前」を書いて、右上のところは先生がハサミで切り取ってから相手に読ませます、というルールでした。今から思えば、匿名ならそもそも自分の名前を書かなくてもいいのではないかと思うのですが、とにかく、その時はそのようなルールでした。私はその時、たしかあまり興味のない女の子のことを書いたと思います。そして、私には「ちほ」ちゃんという人から届きました。

その授業の時、教室の誰かが私を貶めようと、私の名前をわざと違う場所に書いて、とてつもなく嫌なことを書いて女の子に送ったのです。名前の場所は指定されていましたし、そもそも私はそんな子のことは書いていませんし。誰かが私のことを貶めようとしていたわけです。

そして、今回、もはや名前は覚えてはいないですけどその時に同級生だった人の顔が今見えてきましたので、「ああ、やっぱりあの人だったのか」とわかったわけです。

その人は、落ち込んでいるその女の子のところに言って大きな声で嬉しそうに「なんて酷いことを言う人なんだ!!!」と、言葉とは裏腹に、とても嬉しそうに言っていました。

ちょっと人生経験のある人であればこのようなことを言う人こそが犯人だなんてすぐわかるわけですけど、流石に小学生ですから、その女の子を中心にして私を睨む人、それと、一体誰が本当はそれを書いたのか疑問に思う人とに分かれました。まあ、女の子は勘が鋭いですから誰かが私を貶めようとしたのはすぐにわかりましたけど、それでも、多少の不和は残ったような気が致します。

それは、このような構図でした。

・私 → 名前すら忘れた女の子のことを書いて提出
・ちほ、ちゃん → 私に提出。内容は私のことと言うより、自分(ちほ)のことをみんな変に思わないでほしい、と言う内容。
・Aちゃん → 私のことを、好きと言うほどではないがちょっと気になっている。
・Bくん → おそらくAちゃんが好き。Aちゃんの私に対する思いを壊したい。
・私 → Aちゃんのことは何とも思っていない。(ごめんなさい)

ですから、私を貶めることとAちゃんの気持ちを私から離れさせることができる一石二鳥の策だったわけです。

よくもまあ、小学生でこんな悪巧みが出来ますよね。

どうやら私に圧迫感を送っているのは過去のその人だと言うことがわかりましたので、念で押し返したら意外にあっさりと戻っていきました。

昔でしたらエネルギーが足りなくて九字切りでもしなくては防げなかったように思いますが、今はクンダリーニも動いていてエネルギーに不足はなく、防御および跳ね返しているような感じです。しかしながらなかなかこの人はしつこい性格のようで念が途切れませんので、霊剣で何回か切ってあげようと思います。オーラに切れ目ができればそこから不浄化の霊が入り込んで勝手に自滅しますからね。こう言う人には直接手を下す必要はなくて自分の念で落とすのが一番です。

それと、こう言う時は、守護霊にお願いするのも手です。

私を恨んでいる相手をどうにかしてください、とお願いすれば守護霊がどうにかしてくれます。

主に男の方のチベットの修行僧がこう言うことを対処してくれることが多いですけど、幽界に漂っている、私に縁のある友人知人および親類たちの霊であっても対処してくれたりします。例えば、私の過去生の妻や仲の良かった元気な女の人が「けしからん!」と言って相手の守護霊に直談判に行ってくれたりします。

まあ、そのあたり、近所のお節介な仲の良いおばちゃんとそう変わらなかったりします。その人なりの対処方法があって、元気のいい女の人が私の知り合いに大勢いますから、相手の霊の守護霊のところに言って文句を言えば相手は引き下がったりしますし、あるいは、どうしようもない相手であれば忖度してくれて私の代わりに相手をそれどころではないくらいに徹底的に酷い状況に落としてくれたりします。

守護霊の2人は守護霊としてのやり方で対処してくれますけど、知り合いや家族の霊が対処する場合は近所のおばちゃん風の怒鳴り込み、みたいなことも多いですね。

意外に、人間界での対処とあの世での対処は似ているところがあります。

他人を貶めることは、やっている方は現世利益でやっているのでしょうけど、そんな他人を恨んでいたりすると自分のオーラが汚れますし、そのような汚れたオーラを助けてくれる友人知人の霊あるいは家族の霊は少なくなってゆくでしょう。その辺りも人間界と意外と変わりがないですね。守護霊にしても、そのように現世利益で生活する人に高級な霊はつかないです。

まずは人間界をしっかり生きて、会う人を大切にして、家族を大切にして、それで、家族があの世でも助けてくれるようになるのが基本です。ですから、基本は人間界での生き方がありますので、他人を貶めてそれで女を手に入れたとしても、それで作り上げた夫婦というのは所詮はそのようなものであり、あの世でも、来世でも、何度となくトラブルを引き起こすことでしょう。恨んだり恨まれたりと言う人生には関わり合いを持たないのが一番だと思います。あの世に行ってしまえば結婚に縛られる必要はないですが、来世も一緒に暮らしたいと思う人や仲の良かった人は同じところに集って人生を助けてくれます。

助けてくれるだけでなく、例えば、誰かを貶めようとしているのであれば、それは霊界からみたらその意図は明らかですので、霊界で見守っている多くの友人知人の霊および元家族の霊たちを心底落胆させることだってあるのです。そうすることで友人であることをやめ、見守ることをやめ、元家族からも見放されて孤立して人間界で生きている方もいらっしゃるようです。

守護霊が必ずいるわけでもなく、そのように見放されてしまった人は運にも巡り合わず、死後に導いてくれる友人知人の霊もおらず、死んだことにも気付かず地上を浮遊霊として彷徨うことにもなります。ここまで落ちるのは相当でしょうけど、その中間などは山ほどあるわけです。

ですから、他人を貶めようとしたり他人を恨んだとしたら、まず、過去生からの繋がりのある友人知人の霊および元家族の霊から軽蔑されると思った方がいいです。軽蔑されなくて同類が集まっている場合もありますから、それはそれで落ちるところまで落ちたと言うことでもありますけど。

どちらにせよ他人を貶めようとする人とは関わりあうべきではありませんし、恨み返すべきでもありません。

しかしながら、恨みを跳ね返すことはしていいわけです。



霊界を超えた天使界のはたらき

昔、天使界のお話を書きました。

そのお姫様はいわゆる天使界に相当する宇宙の彼方の惑星から地球に訪ねてきているわけですが、天使が存在している世界は、一般の人が死んでから行く霊界、あるいは幽界と言った方が適切かもしれない世界よりももっと高次元に存在します。

幽界あるいは霊界は思いがそのまま現実化する世界で、基本的には生前の姿の中で一番良いと本人が選んだ姿をしており、男性であれば健康的な青年の姿をしていることが多く、女性であれば一番綺麗な年代の姿をしていることがほとんどです。その世界では思いによって家や家具や地形なども好きにできます。体をぐにゃぐにゃ動かしたりすることなんて簡単です。あの世の世界は、いわば「思いこみ」によってできていると言えます。

その一方で、天使界はそれよりもっと上の世界にいます。

とは言いましても割と地続きみたいなもので、人の意識が高まればその世界も認識できるようになります。しかしながら、特に修行もしていない人ですと死後であってもその世界の存在に気づきません。死後に幽体となっても天使界の存在に気づかないのが普通です。生前であればもっと気付けないのは当然です。

しかしながら、人間であっても天使界に辿り着くことは可能です。

例えばとある守護霊はもともとチベットで修行した僧侶が天使界にまで登り詰めて大師に仕えて使役していて、もともと人間であっても天使界にまで上ることは可能なわけです。

ですから、特に世界が分断されていると言うわけではなく、認識できる世界に違いがあると言うことです。

天使界も、正確に言いますと宇宙の彼方にある天使が元々住んでいた惑星こそ天使界と言った方が適切ではあるのですが、一般的には、この地球の存在している次元の領域で天使が活動している高次元の世界を天使界と言っていると思いますので、ここではそのような高次元の世界という意味で使っています。

天使たちのいる高次元では、いわゆる大天使が中心となり、その指示に従って天使あるいはこのような地球育ちで天使界に辿り着いた人たちが活動しています。時々、宇宙人も相談しに来ています。元々、天使たちは遠い惑星からやってきた宇宙人でありますし、割と宇宙人というのは普通の存在です。

そのように高次元で天使あるいは天使と関わり合いのある存在たちが協力して地球を導いています。

特に、地上に派遣される人員の中でも重要な人物を「大師」と呼んだりします。秘密結社あるいはヒマラヤ大師などでかつては有名になりましたが、そのような姿だけでなくても現実の社会に普通に溶け込んでいたりします。それと明かす人もいれば明かさない人もいます。

このような関係は昔からありましたし、今も存在します。そのように、天使界と人間界は密接に関与しているわけです。

これは、以前書きましたように、大天使が「完了」と判断して新時代の地球の黄金時代が始まるのを見届けるまで続く体制です。

大天使からすれば時空を超えて働いておりますので、天使たちの感覚からすれば割とすぐその時代はやってきますが、地上の人間からしたらまだまだ何世代も時間がかかると思うかもしれませんね。あるいは意外とすぐかもしれませんけど。その辺り、天使の時間感覚と違うので天使たちがいう「すぐ」は人間感覚ではよくわかりません。



頭から煙のような腕を伸ばして運命をたぐり寄せる

アファメーションで「過去形」を使うようなことをしますけど、それはこのことを意味しているのではと思いました。

瞑想中、頭の上に煙のようなものが伸びているのを感じ、その先を探ってみると、どうやら頭の上のところでは時空を超えているような気が致しました。時空を超えていますので未来を探ろうとしたところ、どうやら未来は「右側」(右上)にありました。運命の糸が伸びていて、その選択肢のうちのいずれかが少しずつ自分の方にゆらゆらと近づいているのが見えます。

おそらくはその未来が自分のところに来たらそのタイムラインが現実になるのでしょう。

そこで、私はとある未来を思い描き・・・ と言いますか、少し前から、そうなるのではないかというヴィジョンがありましたので、そうなるタイムラインがどの方向にあるのか探ってみたのです。あの未来がどこにあるか、その未来をイメージすることで波動を合わせ、同じ波動のものがどこにあるのか探ってみたのです。

そうして、なりたい未来が見つかったら、それを煙のような腕でギュッと掴みました。そして、その未来に行くようにタイムラインの糸をピンと張り巡らせました。

その瞬間、特にアファメーションを意識してはいなかったのですが、無意識で「○○した」と、過去形で頭の中に意識が浮かびました。そこは時空を超えておりますので、その実現した時空の視点においてはそれは過去形なのかなと思います。

これは、アファメーションを知識として知っていて過去形で言い表した、という順番ではなく、その逆で、アファメーションなんて効かないと私は今まで思っておりましたから知識としては知っていても信じておらず、たまたま今日の瞑想でアファメーションっぽい状態になったので、もしかしたらアファメーションとはこのことを言っているのではないかと思いました。

であれば、巷に溢れている願望実現のためのアファメーションは言葉としては正しくても実際の姿はかなり異なるものだというのが理解できます。

巷のアファメーションは実現したい未来を「過去形」で宣言する、というものだと思うのですが、そのように顕在意識で宣言したところで実現しないと思います。アファメーションの説明で「潜在意識にすり込む」みたいなお話も聞いたことがありますけど、それなりに瞑想が進んでいないとそれはできないですし、お話を聞いただけでは「なんのこっちゃ?」という感じで、実際、そんなことはできないと思います。

今回の瞑想でアファメーションっぽくなったことで、確かにアファメーションは存在するのだなと認識を改めはしたものの、実際に最初にアファメーションを言い出した人の内容と同じかどうかはよくわかりません。なんとなくアファメーションに似ているというだけです。

私の場合、瞑想で意識を頭の上から煙のように伸ばし、未来を手繰り寄せました。それをアファメーションと言えばそうでしょうけど、未来のことですし、本当にその未来が実現するかどうかはこれからの検証次第です。このアファメーションが本当に効いたのかどうか、これから様子を見ていきたいと思います。



私と家族やコミュニティとの不和はマスコミとテレビが原因だった

瞑想中に、マスコミとテレビを司っているであろう大きな大きな水晶球が見えてきました。
その意図は、日本の家庭とコミュニティを破壊して日本侵略することが目的でした。
家族に不和を作り出し、コミュニティの繋がりを破壊することで日本人らしさを破壊することにある程度は成功したと言えるでしょう。

実際のところ、瞑想でそのような社会のことを考えていたわけではなく、自分の奥底にあるトラウマの原因を見ていたといいますかその原因がふと浮かび上がってきて、浮かび上がってきたものが大きな水晶球だったものですから、それは何かなと思ったらマスコミとテレビを司っている闇の水晶球だったわけです。

別に、マスコミとテレビをどうにかしたいとか大それたことを考えていたわけでもなく、単に浮かび上がってきたということです。かなり個人的なことです。

その、個人的に浮かび上がってきた水晶球を、なんとなくハンマーで壊したくなりました。何度か叩いてみるとヒビが入り、半分くらいに割れ、そして、体の肩のあたりの緊張も少し抜けました。どうやら、この水晶球が何やら悪さをしていたようです。

これが個人的なものなのか社会的なものなのかはわかりません。

少なくとも、私が子供の頃から社会生活を送る上でマスコミとテレビが原因だったと思われる不和は沢山経験してきたわけで、私でなかったらもっとマスコミとテレビを怒ってもいい筈だとは思います。

競争を煽ったり、他人を馬鹿にすることを「面白い」と言って推奨した罪はとてつもなく重いです。それらに関わっていた人は死後に無間地獄に似たようなところに落ちて苦しむ筈だと守護霊は説明しています。マスコミで反日を報道したり、テレビで他人を馬鹿にして笑いを取るような番組を作っていた人のうちかなりの人がそのような地獄行きだということです。そういう人は地獄とか信じないでしょうけど、死後の世界は「思い」によって何でも瞬時に作られる世界ですので、何でも出来るわけですよ。家を作ろうと思えばすぐに出てきますし、豊かな森林、高層ビル、海岸など、その人の思いの強さによって周囲の環境も作られるわけです。しかしながら、人間の魂だけは作ることができませんけど。ですから、マスコミやテレビで他人を馬鹿にしたりする番組を作っていた人は、それによって恨みを多く買っているわけです。恨みを買っているということは、死後に捕まえられて地獄のようなところに放り込まれる可能性があるということです。他人の恨みを買うということはそういうことです。

あの世にも地獄の番人みたいな人はいます。その時、守護霊や友人知人の霊で有力者がいれば恩赦なんてこともありますけど、そのような友人知人がいないような徳のない人はほとんど地獄行きです。今からでも遅くはないので誠意のあるマスコミ報道やテレビ番組を作った方がいいと思いますけどねえ。多少は恨みが軽減されると思いますよ。それは全て自分の自由で、好きにすればいいですけどね。地獄行きでもいいなら好きにしたらいいですし、そんなのあるわけがないと思うなら勝手にすればいいです。死後に「こんな筈じゃなかった」と思っても遅くて、生きている間であれば肉体がありますし法律がありますけど、死後はある意味「やりたい放題」ですので、どんな地獄でも存在して、何十回・何百回も繰り返し鬼に殺される地獄に行く可能性もあります。今の人は信じないですけど、死後は何でも作り出せる世界ですから、何でもありです。地獄がもともとあったわけではなくて、日本の人々が地獄が存在すると思うから存在するわけです。日本の人々の想像力によって地獄が作り出されますので、存在する地獄に罪人を放り込むなんてわけないことです。

まあ、それはともかく、私の中に見えてきた水晶球は破壊しましたので、少なくとも私にまつわるマスコミ・テレビによる不調和の根本原因はこれから解消されてゆくと思います。社会的にはどうか知りませんけどね。ですけど、随分と大きな水晶宮でしたから、社会に多少は影響があってもいいですけどね。

内容的には随分と前から分かっていたことではありますけど、こうして水晶球が出てきて随分と具体的な感じになりました。



インナーチャイルドの正体は慈悲の心だった

朝の瞑想をして静寂の境地に至る少し手前で、ふと、インナーチャイルドの姿が見えました。そのインナーチャイルドはうずくまって、足を抱えるようにしてしゃがんでいました。

なんだろう・・・ と思っていたら、それは、慈悲の気持ちだということにふと気がつきました。気がついて、インナーチャイルドが立ち上がった瞬間から、今まで抑圧されていた慈悲の気持ちが少し蘇ってきました。

思えば、私の今世の目的が2つあったわけですが、そのために自分をどん底に落とす必要があったわけで、まず家庭環境が悪く、更にはコミュニティも最悪でした。

家庭環境はというと、父親と兄が他人を馬鹿にして喜ぶタイプで、私や他人が病気とか怪我をするとゲラゲラ笑って蔑むタイプでした。同級生にしても同様で、私は虐められる方で、ことあるごとに、些細なことでゲラゲラ笑われていました。とにかく毎日、ムカムカムカムカしていて、最初はムカムカしているだけでしたが、やがて、反抗をするうちに自分も相手を馬鹿にするような気質がいつの間にかついてしまったような気が致します。まあ、そのような低俗な環境で一般人の気持ちを学ぶということが今世での学びの1つだったわけで、それはうまく言ったとも言えます。

思えば、低俗な一般人に混ざって生まれるのは江戸時代以降のことで、それまでは貴族とか王族とかしか生まれたことがありませんでしたので、一般社会はどこか「怖い」ところでした。グループソウルの過去生には天皇だったりローマ皇帝だったこともあったように思います。

品のない方々が大勢いる一般社会に混ざるなんてのはそれまであり得なかったわけですが、中国の皇帝の時にうまくいかなくて一般人の反乱によって殺された時にもっと一般人を学ぶ必要があると思って、一般人に混ざって暮らすことで一般人を学ぼうと思ったわけですね。中国の皇帝だった頃、他の国を治めている人が一般人の気持ちもよく分かった上で統治をしていて、そのように一般人の気持ちがわかる人になりたいと思ったんですよね。最初に一般人として生まれたのは江戸時代の下級武士だったわけですが、その後は、近代になってビジネスマンとして生活をしていたりしましたが、今回の人生ほど下級な環境に身を置くことはなかったように思います。

一般人を理解するために一般人に混ざるとは言ってもある程度の秩序が保たれた環境に住むことがほとんどであり、今世のような厳しい環境、貧乏でひねくれていて周囲の人々もすぐに暴力を振るうようなコミュニティに生まれることは初めてだったように思います。

このような低俗な環境で生まれる前は、他人を馬鹿にする人の気持ちがわからず、「どうしてこの人は他人を馬鹿にしたりするのだろう」「どうして他人の失敗を笑う人がこの世に存在するのだろう」「どうしてこの人は他人の足を引っ張ったりするのだろう」「どうしてこの人は自分の孫が可愛くなくて馬鹿にしたりするのだろう」とか、様々な疑問があったわけです。もちろん基本としては自分自身のカルマの解消と悟りへの階梯を確かめることだったわけですが、カルマにもいろいろなものがあって、このような低俗な疑問を解消することも含まれていたというわけです。今まで避けていた低俗な環境こそがその目的を果たす上で絶好の機会を与えてくれました。これは私にとって必要なものだったわけです。

そのような低俗な環境に身を置いてどん底に自分を突き落とすことが目的だったわけですが、その過程において、「慈悲の心」が抑圧されていたわけですね。それが、インナーチャイルドの正体だったわけです。

分かってしまえば納得です。これは私の場合であって、他人が同じかどうかはわかりませんけど、少なくとも私は自分のことがわかって凄く納得しました。インナーチャイルドが抑圧されているのは、慈悲の心が抑圧されているということ、そのものだったわけです。

実際、私が生まれてから若い頃を過ごして以来、ことあるごとに自分自身の気質がどうにかならないものかと思ってきました。

上記のような低俗な環境に生まれて、いつしか慈悲の心を忘れて、他人が不幸にあうといつしか「ざまあみろ」と思うようになってしまいました。それは悲惨な子供時代における父親や兄およびコミュニティからのいじめや些細なことで他人を馬鹿にする人たちが主な原因だったわけですが、高校を終えて東京に出て、低俗な家族および低俗なコミュニティを出てからはそのような悪影響も減り、自分自身の気質を直そうと思いました。

そうして気質を改善して行こうと思っていたわけですが、骨の奥に染み込んだ気質はどうにもなかなか治りません。

それがここにきて、ようやくインナーチャイルドとして慈悲の気持ちが少し回復してきたわけです。

これは、愛とか喜びと言ったものとは異なる感情です。クンダリーニ覚醒でマニプラ優勢になった時は喜びとポジティブさが向上しましたが、慈悲の心は変化がありませんでした。アナハタ優勢になった時に更にポジティブになりましたが、慈悲の心はこれまた変化ありませんでした。意識の平穏、静寂の境地に達した時も、それは慈悲の心とは関係がありませんでした。

他人を馬鹿にする気質はかなりなくなったわけですがほんの少しはまだ残っており、それと入れ替わりになるような慈悲の気持ちはまだ現れてきていなかったように思います。

それがここに来て、ようやく慈悲の気持ちが少しだけ出てきて、その慈悲の気持ちの体現であるインナーチャイルドが弱々しくも立ち上がって、足取りはまだ頼りないものの自分の足で立っているのが瞑想中に見えました。

ことあるごとに、自分の慈悲の気持ちが出ていないことに対して「どうしてだろう」という気持ちと、慈悲の気持ちはどこに行ってしまったのだろう? どうにかしたい、という疑問と課題があったのですが、ようやくその答えが見えた気が致します。そういうことだったのですね。

インナーチャイルドが立ち上がり、慈悲の気持ちが少しだけ回復してきたところで、ふと、今朝の静寂の境地に至りました。朝起きてすぐは静寂の境地ではなくちょっとモヤモヤしていて、瞑想をすることで静寂の境地に至るわけですが、その静寂の境地のちょっと手前でこのインナーチャイルドの体験をしました。

まだ慈悲の気持ちは弱いですが、ひとまず、慈悲の気持ちが目覚めたことを大切にしたいです。



胸の中に笑顔の顔がことあるごとに見えるようになった

先日のインナーチャイルドの経験の後、胸のあたりに圧力がかかって胸の真ん中に少しコアのようなものが感じられるようになりました。心臓のように左にちょっと偏っているわけではなくてちょうど真ん中な気が致します。そのコアのあたりで、ことあるごとに笑顔の顔が見えるようになりました。

これは瞑想中だけでなく普段の生活の中でことあるごとに見える気が致します。

この笑顔は、私が何千年も昔からずっと一緒にいる2人の天使のうちの1人のような気が致します。

思えば、ことあるごとに一緒に転生して私のよき理解者になってくれていました。今生では守護霊っぽい立場で見守っていますけど、いつものように笑顔でした。

もともとアナハタ優勢になって以降はオーラが優勢でしたけど、以前よりコアの部分が暖かい感じが致します。以前はコアはありませんでしたしね。その温かいコアの近くで笑顔が見える・・・ というと語弊がありますけど、胸のアナハタの温かいコアを感じると胸のあたり、コアとは重なっていないですけど胸の奥の、コアの横あたり、といいますか、胸の横あたりの空間に笑顔が浮かんで見える、というのが正しいでしょうか。

場所としては胸のあたりで中心から少し離れていて、そこは胸と言えば胸ですけどそこが空間だとしてその空間の方に顔が浮かんでいる、という感じです。

言葉で表現すると何言っているのか意味不明かもしれませんけど、実際、そんな感じです。

胸の横あたりにある空間に顔が浮かんで見える・・・ というのは、胸のコアの横あたりに空間があってその空間に顔が浮かんで見える、ということと似ているようでいてちょっと違うのですが、言葉で言い表すとそう言えなくもありません。とりあえずそう理解しておいてもさほど間違いではありません。

実際には、胸のあたりに空間があって、その空間は胸や私の体と重なって存在しているので、空間が別にあるわけではなくて、ただ単に空間が「たまたま」そこにあると言いますか、顔が浮かんでいる空間と、体と心およびオーラが存在している空間が「たまたま」一致していただけであって、胸のある空間と顔が見える空間とがたまたま重なって存在しているだけだと思いました。

胸のコアの横に空間があるというとその空間がある場所に胸や私のオーラは存在していないかのような印象を与えてしまいますけど、胸の横の空間があるところに重なって私の体の胸や私のオーラは存在していて、両方の空間が「たまたま」重なっているだけなんですね。そんな感じでした。

顔が見える空間が私の体や私のオーラを押し除けているわけではなく、顔が見える空間は胸の横あたりに「たまたま」「重なって」存在していただけだったように思います。ですから、私の胸とオーラは割といつも通りで、それに重なって「同じであるがちょっと違った空間」が存在していたわけですね。

同じであるがちょっと違う、というのは、意識や空間というのはもともと1つのものであって、地続きなものだと思うわけですよね。私の感じている空間と認識している空間とが同一になっているからこそ別の空間を認識できるwけで、空間を認識する時は時空を超えないと行けないのでその時は自分の感覚としては「おなじ」という感覚で認識されるものだと思います。その顔が浮かんだ空間は、そのような意味合いにおいて「(私が今いる空間と)おなじ」と認識したわけですが、実際はその顔はどこか少し時間軸あるいは時空がズレた場所に存在しているように思われましたので、そのような意味合いにおいて「ちがう」と言っているわけです。

サマーディというのは自己と対象とが同一になった状態ですので、その時、空間が認識されて時空を越えるので「おなじ」と思われつつも同時に「ちがう」とも認識できるわけです。



取り憑いてきた意識体を引っ張ったり切ったり消滅させようとする

上野から浅草に歩いていると、ふと重い意識に包まれました。どうやら意識体に取り憑かれたのだと思いました。以前にもこのエリアで同じようなことがありましたが、どうやら、上野と浅草の間には何かがいるようです。

浅草寺まで行くとポジティブな波動に包まれているのですが、上野側の大通りの近辺、花やしきと大通りの間くらいで今回は起こりました。

その前までは視界がスローモーションで感じられておりましたが、その淀んだ空間に入った瞬間にそのスローモーションの感覚がなくなり、視界がぼやけてきました。まるで異次元です。

そこだけ別の時空になっているかのようで、浅草寺まで抜けたらポジティブな空間に戻りましたが、淀んだ空間を抜けたことで体にも異変が起きていました。

その日はその後割と普通に過ごしたのですが、翌日から何か調子がおかしくて、以前あったような意識体に取り憑かれている感覚と同じような状態になってきました。

とは言いましても以前とは違って瞑想にてヴィシュッダでタマスを浄化することでかなりすぐに元の状態に戻れはするのですが、どうも安定しません。

何かな・・・ と思って瞑想中に体を探って、意識体を引き抜くようなことをしたり、オーラのケーブルを切るように体の周りを見えない剣のようなもので切る動作をしてみたら、更に回復しました。切る方向は以前は「下方向」は含まれていませんでしたけど今回は「下」も切ってみましたら少し効果がありました。「足元」というのは割と盲点なのですよね。かなりの使い手でも足元は割と弱点だったりします。

それでかなり回復したのですが、何か、かなり細い糸がまだ残っている感じですので、時間をかけてゆっくりとコードを引き抜くというようなことをしています。

更には、そんなにしつこいなら姿を見せたら消滅させてしまおうか、と念じたら急に意識体の気配が少なくなりました。やはり思念波の届く範囲で潜めているようです。まだ割と近くにいるようですが、また来たら今度は少しずつ削って行きたいと思います。全部を一気に消滅させることはしませんけど、警告を無視したらそれはしょうがないのです。実際はもっと荒っぽい人がいて、変な意識体が近づいてきたら問答無用で消滅させるような人もいますけどね。私はそこまではしないので。甘いのかもしれませんけど。

霊的な喧嘩っぽいお話は実社会と似たようなところもあって、面倒に感じることもあります。

上野と浅草の間は短くて歩ける距離ですけどもう歩くのはやめて近くてもバスか電車で行ったほうがいいのかもしれません。



スピリチュアルカウンセリングで裏を取る

瞑想とか夢とかでいろいろと見ますけど、そのまま鵜呑みにすることはほとんどありません。何度も見るとか、他の人に同じことを聞いて同じ答えが返ってきた場合にようやく本当かな、と見極めます。その場合でも、完全に信じるということはあまりなくて、そうかもね、と思うくらいです。

これはね、私は中学・高校の頃から幽体離脱したり、周囲には宇宙人とチャネリングしている人がいたり宇宙人とのコンタクト記録を翻訳している人を親に持つ友人とかと接してきたことで学んだことではありますけど、チャネリングとかスピリチュアルな印象で物事や相手をすぐに判断してしまう人がとてつもなく多いわけです。

当時はスピリチュアルと言うよりニューエイジの時代で、例えばオーラの色を絶対視する風潮とかもありましたね。性的なタントラとかダンスとかも流行っていましたっけ。

私の基礎はそのようなニューエイジやスピリチュアルにあるわけではなくて、あくまでも、自分自身の幽体離脱の時に得た知見を元にしていますから、ニューエイジ風の論理とかスピリチュアルの論理とかはどこか眉唾で見てしまうわけですね。

更には、そのように幽体離脱で見てきたことの現実との一致の確率は凄まじくて、幽体離脱で知った未来とか現実の一致確率はほぼ100%に近いものがあって、それでも未来は変えることができますけど、そのように私のスピリチュアルの基本が幽体離脱にあるものですから、たとえ瞑想や夢でインスピレーションを与えられたとしても幽体離脱で見た時の確度とは比べ物にならないわけですよね。

ですから、今はそう簡単に幽体離脱できなくなっていますので、また幽体離脱するために瞑想したりヨーガをしているという面もあるにはあるのですが、ひとまず今の段階としては瞑想や夢で見た内容は確度が低いので何某かで確かめる必要があると思っています。

そんな位置づけで、先日、東京ビッグサイトで「癒やしフェア東京」というものがありましたのでちょっと行ってみて、何人かにスピリチュアルカウンセリングをしてもらいました。

自分のチャクラの状態を見てもらったり、瞑想の仕方で守護霊やハイヤーセルフから指導があれば貰おうと思ったのですが、特に問題ないということでしたのでそれはそれで完了になりました。

帰る前に、自分のグループソウル繋がりの過去生や関わり合いのある神様との理解が正しいかどうかチャネリングする人に聞いてみたのでした。すると、ぼちぼち自分の理解が食い違っている箇所がありました。そのカウンセリングが正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも自分の理解と一致していない部分ですので、私かそのカウンセラーかどちらかが間違っている可能性、あるいは両方とも間違っている可能性があります。両方とも一致した内容に関しては確度が高まったと言えます。

■一致していたのは例えば以下です。
・私のレムリアとの繋がり。レムリアでのアセンション
・(2〜3千年前?)興味本位でプレアデス系の宇宙人の地球調査団に付いていった時のお話。そのうちの1人とその後すったもんだあったのはお互いに必要だった学びのため。
魔女として転生。 魔女狩りで火炙りになった人生
フランス革命の同時代に転生していた
・アンドロメダは遠い遥か昔の故郷。
・オリオンとの関係はない。
・縄文とも関係がある。
・前世までに繋がりのあったプレアデス系の宇宙船は現在も地球の軌道上にいて、あの時の主のような女の人はまだいる雰囲気(知る必要はないのでは、ということで途中で聞くのやめましたけど)。
・宇宙の各地で転生している。

■気付いていなかった人生としては
・アトランティスでピラミッド施工の管理者だった人生。
・(こと座の)ベガとの関係はとても古い。魂の故郷。一番最初に生まれた場所。

■理解が異なっていた部分、あるいは理解が欠けていた部分。
・宇宙艦隊のミッションで卵っぽい宇宙人に転生した先は「くま座」(おおぐま?こぐま?)の星
・大天使との関係。ミカエルとルシファーは私とそれほど繋がりが強くないみたいですね。関係はあるそうですけど。それよりも私に一番関係が強いのはラファエル。これは意外でした。
マリア姫とミカエル <夢で見た天使界の物語> は天使界のお話ではなく人間界のお話。ギリシャかどこかの昔の話。この物語で出てくる英雄はダビデ。私とダビデとの関係は深い。
・シリウスもとても遠い遥か昔に関係があった。シリウスは割と最近だと思っていたが遥か昔だとのこと。
・地球に来たのはレムリアの最後の時が最初かなと思っていましたが、それより前にも何度も来ている、とのこと。(確かに、私のグループソウルということであれば昔から関与していると解釈できます。そこまでは聞きませんでしたが)
ジャンヌ・ダルクは反応なし。(本当にそうなのか、あるいは、意図的に黙っていたのか?)

これが全て正解とは言いませんけど、確かに、色々と納得する部分もあります。

■これを元にした考察

ダビデは旧約聖書に出てくる英雄で、イスラエルの二代目の王でソロモン王の親ですかね。ダビデはノーマークでした。天使界と思っていた物語はダビデの物語だとすると旧約聖書に載っていても良さそうなものですけど、ちょっと心当たりがないですね。何か他のイメージとごっちゃになって変わってしまったのかもしれないですね。インスピレーションとして物語を受けた場合にそのように変わってしまうことはよくあります。

まあ、今回のカウンセリングをしていなければずっと勘違いが続いたでしょうし、このカウンセリング結果が全て本当だとは言いませんけど、可能性の1つとして参考になります。

スピリチュアルカウンセリングで依存してしまう人が多いですけど、こういうのってコンサルタントと同じで、自分の目的のために使うのが基本ですよね。具体的には、「確かめ」と、「自分が気付いてない部分を洗い出す」ために使うのが良いと思っています。あくまでも自分が第一で、自分で考えることが必要で、自分のインスピレーションを大切にして、それを基本にした上でコンサルで「確かめ」と「気付いていない部分を洗い出す」ことをするわけです。それがスピリチュアルカウンセリングの使い方だと思っています。

過去生というものも微妙な言い方で、魂(幽体)がそのまま転生する場合と、一旦グループソウル(類魂)と一体になってから分霊を作って転生する場合があるので、次の人生で前の魂そのままならわかりやすいのですけど特に私の今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つになっていて、カルマは様々な人生のかけらのようなものなので前世そのものではないのですよね。

私の母体になっている大天使は分霊を地上に下ろして使命を果たすのですが、その分霊が生きる上で様々な葛藤を抱えてしまい、分霊は使命を優先するので表面的には出ませんが分霊が大天使と合流(グループソウルと合流)する時にその葛藤も一緒に大天使の中に戻り、その葛藤は黒いオーラとなって少しずつ溜まってゆくのですよね。それは大天使の端っこの方に貯めておいて、普通の天使のやり方としてはその部分だけ切り離して、「消滅させる」という方法を取ります。大抵の天使はそのようにします。

実際のところ、私の元になった黒いオーラも、本当は慣例にならって消滅させてしまおうと大天使は最初思っていました。しかし、その黒いオーラの中に何か新たなる理解に結びつく鍵があると思い、その黒いオーラに加えて光の要素を混ぜ合わせ、転生させてカルマの解消と謎解きをさせようと思い立ったわけです。これは天使たちの間では実験的な試みとして理解されています。ですから、私は割とレアケースな魂のようです。そのようなわけで、もともと私の中には黒いオーラが6〜7割、光のオーラが3〜4割の割合で生まれました。暗黒のタマス優勢で生まれ、割と、闇と光の分離の人生だったように思います。そして、今は光が優勢になったわけです。

そのような理由で、他の人に比べて、過去生というものがはっきりしません。黒いオーラは数々の分霊で貯めた葛藤などですので、その葛藤は別々の分霊のそれぞれの人生で経験されたものです。基本的な理屈としては他の人も同じだとは思いますけど、特に私の場合は上記のような背景があって、他の人よりも特に過去生の特定が困難な気が致します。

私の気質から言って、一部は過去生と思われる内容と一致しているものの基本的なところでは一致しない、というところが腑に落ちずにいましたが、今回のカウンセリングで一番私の中で優勢なのはラファエルだと言われて、確かに理屈が合うと思いました。私の6〜7割の黒いオーラは各人生のかけらであるとして、残りの3〜4割の光のオーラがラファエルだとすればラファエルは慈悲と愛・癒やしの天使ですから、黒い部分と癒やしの面が組み合わさっているということになります。

まだ謎は残りますけどね。私の気質から言って織田信長なヒステリーな感じともちょっと違いますし、ミケランジェロと言われたこともありますけど私は芸術のセンスがないのでそれっぽくないです。ジャンヌ・ダルクのような感じともちょっと違いますし。仮説としては、もしかしたら黒いオーラの部分と光のオーラの部分の元になった天使が別で、確かに私の今は光が優勢で、よってラファエルが優勢だけれども生まれた時に抱えてきた黒いオーラの部分はラファエルというよりはガブリエルとかルシファーとかの部分なのかもしれません。あるいは、ラファエルも聖書に言われているよりもずっと幅広い活動をしてきて、イメージとはちょっと違いますけど、やっぱりラファエルの一部ということなのかもしれないです。あるいは、ラファエルが人間の背後で手助けしたことでその時に葛藤を拾ってしまったのかもしれません。これは更に検証が必要な部分ではありますけど。

もう一つの仮説として思うのは、大天使とか言われていますけど、実際は神の意識が共通にあって、神の意識が大天使の中に共通して存在していて、大天使は神の一面としての仮の姿でしかないのだとしたらラファエルだとしてもミカエルにしてもルシファーにしても同じ神の意識を共有していると言えます。であれば、あまり気にしてもしょうがない部分なのかもしれません。これまた検証が必要な部分ですけど。



明け方にやってきたミュージシャンの魂

生きているのかどうかはわかりませんが、売れないミュージシャンの魂が明け方に初めて私のところにやってきて、チラシなのかホームページの画面を私に見せて「買ってくれ、買ってくれ、買ってくれ」と、とてつもなく冷たいオーラと共にやってきました。

そのトップページにはCDが4つくらいとグッズが幾つか売られているのですが、古典芸能の、雰囲気としては喜多郎? っぽい感じですけど、おそらく本人ではないとは思いますけど。

とてつもなく冷たいオーラで、冷たいという表現が正しいかどうかは微妙なところで、氷のような冷たさではなくて、まるで風邪にかかったときのような寒気のする冷たさです。重い感じもありましたけど、悪魔のような黒さではなく、風邪の寒気で生気を取られて少し金縛り気味にもなりました。

CD等が売れなくて、お金に困って困ってもうどうしようもない... という感じが伝わってきました。 コロナの影響を受けている方の生き霊さんでしょうか?

どうしたものかなあ... 消滅させるのは可愛そうだしそこまで悪気があるわけではなさそうだなあ、とりあえず押し返して体から離れてもらおうかな・・・ と思って少し前方向に押し返してみると離れて、その魂はどこかに行ってしまいました。

なんで私のところにやってきたのでしょうかね。たまたまですかね。見たことのない作品でしたから、私に縁があるというわけではなさそうですし。

そこらへんを適当に彷徨っていて買ってくれる人を探しているのでしょうかね。でも、イメージで見せられてもどこで買えばいいのか分からなければ買いようがありませんけど。

あまりにも買ってくれ、買ってくれ、と風邪のような冷気を出しながらせがむのですからじっくりとCDを見て「どうかなあ・・・」と思っていたのですが、「うーん、よくわからない。いらないかな・・・」と思ったら向こうが諦めかけて、その後、魂を前方向に少し押したり光の剣っぽいもので前方向を少し切る感じにしてみたら私の体から離れてどこかに行ってしまった感じです。

死後に単に念だけが残って誰かに買ってもらいたかっただけなのでしょうかね? それとも生きていて本当に困っているのか? それは結局よくわかりませんでしたが、初めてのお客さんでしたので、まあ、きっとまた会うことはない気もします。どうでしょうね。


[当日、夜に追記]

どうやら、今朝の出来事は私の守護霊が私を鍛えるために悪い霊を近くから連れてきて私のベッドに明け方に放り込んだみたいです。そして、どのように対処するのか見ていたのだとか。

結果、私の対応は30点だそうです(苦笑)

評価としては、浄化するにせよ追い出すにせよ中途半端。浄化するでもなく追い出すでもなく対処がなっていない。我慢するばかりで主体性がない。相手に共感ばかりして話を聞きすぎ。CD買って欲しい思いや願いなんてどうでもいい。オーラを感じれば風邪のような寒気がする時点で良くない存在とわかるはず。そのような者は(人間なら多少は対処法が変わってくるが)生き霊か死霊かもわからない変な存在の相手をする必要は全く無い。

消滅させていたら0点あるいはマイナスだった。消滅させなかったのは正解。追い出す選択にしては中途半端な対応。浄化する気はあまりなかったのでしょう。でしたらとっとと追い出すべき。追い出し方にしても、オーラで押し出してしまうと悪い冷たいオーラが入り込んできてしまう。

光の柱を天から降ろしてそれを刀のように前に振りかざして追い返そうする対処は良かったがあまりうまくできていなかった。よって30点。

自分のオーラを使わずに光の剣を使ったのは良かったみたいですので、この線で、ちょっと何か開発してみましょうかね。
あるいは浄化しようとしても良かったみたいですが、たまたま出会った霊をその度に浄化していたらきりがないので。



使命として参加するか打診されたお話

現在のところ何も動きはない気もしますが、首都圏イヤシロチ計画の次の段階として、日本をイヤシロチ(神の空間)にする計画があるようです。まじですか。

具体的には、全国の社寺を復興させて管理および施設を一新し、人々が祈りを上げたり瞑想など近所の人が日頃から簡単な修行ができる場所を全国各地に作ろう、という計画のようです。

神社の形式を基本にしつつも、お寺のように人々が集まれるような場所を作りたいとのことです。ただしお墓は全く関係がない、とのことです。葬式としての仏教ではなく、場としての社寺、特に現在お寺としてある場所の延長線上に、お墓とは切り離された、人々が集って祈りを上げたり瞑想などの日常的な修行ができる場所を全国に作ることで日本全土を祈りのある神を祀る神社のような列島に変えたい、という壮大な計画のようです。

更に言うと、目標としては5500の社寺を復興させるとのことです。ちょっと大きすぎて意味不明ですが・・・。

誰がやるのでしょう・・・? 首都圏イヤシロチ計画にしてもそんなに進んでいる気もしないですが、その計画というよりコロナで経済活動が不活性になってきたことで自然に浄化されている気も致します。その上、更に日本全土の社寺復興計画ですか。ちょっと話が飛びすぎているような・・・。やるにしても死ぬまで5500は達成できず、とりあえず「大きな数」というくらいのようです。「沢山、できる限り」という意味を込めて5500だそうで、数にきっちりとした意味はないようです。

そうは言っても、やるとなれば人・物・金のいずれも私には足りないですし、どうなんでしょうかね。やるとなればどんどん動いてゆくのでしょうが。とりあえず今は何もできない気がしますけど。

回答としては、社寺を実際に使う周辺にお住まいの人々が半分くらいは行動する、と言っていますね。運動はあくまでもきっかけになりさえすれば良い、ということで計画が進んでいるようです。

道路建築で地方にお金をばらまく政策から、社寺を作ってその周辺に観光客や修行の人を呼び込むことで経済を回す、という大きな変革が期待されているようです。



イギリスでスパルタのスピリチュアル教育をした記憶

夢や瞑想で見たお話ですので本当のことかはわかりません。

私のグループソウル(類魂)の記憶を辿ると、中世のイギリスで、とある広い敷地の館でスピリチュアル講師をしていた魂の片割れがいました。いわゆる魔女で、女性として生きていました。霊視や未来予知などができるよくある魔女でしたが、とある弟子を取って、修行させていました。

その弟子はたしか貴族の若者で、スピリチュアルなことに興味があって、能力開発をしたいということだったかと思います。

最初は瞑想をさせて、邪念を捨てさせることから始めました。
暗闇の中でろうそくを眺めさせたり、誘導瞑想をしたりして心の闇を取り除いていきました。
次第に精神はクリアになり、弟子はその度に喜んだものでした。
このような晴れやかな気持ちに達したことはない、素晴らしい、嬉しい気持ちだ、と言われたことを覚えています。

何年か、5年か8年くらい長く修行したでしょうか。それでようやく、晴れやかな気持ちに達したのです。普通に人生を健康的に過ごすにはそれで十分で、その方はそれでも良かったかもしれません。

私は未来が見れましたので、その弟子がその人生で、自身が面倒を見れる間に達することができる境地のゴールが見て取れました。かなり精神的には健康的にはなりますが、霊視までにはたどり着かないようです。私は最初からなんとなくは分かっておりましたが、最初から言ってしまうと修行を辞めてしまうこともわかっておりましたので言わずにいたのですが、修行するにつれてその結果が確定に近づいてゆきました。これ以上、このまま続けたら予定通りの結果にしかならない・・・。

そこで、ある程度の晴れやかな境地に達した段階で私は提案をしました。
「私は未来が見れるから、貴方の今生で行き着く境地がわかります。残念ながら、今のままでは霊視にまでは到達しません」
それは最初からわかっていたのですが、最初から言ってしまうとやる気をそいでしまうために言わなかったのでした。

更に次のように言いました。
「もし、今生で2つの人生分の修行をしたいなら、厳しくしなくてはならない・・・」
このことを、何度かの修行で度々繰り返したように思います。
しかしながら、実際に行うまで、その意味を弟子はきちんと理解していなかったように思います。

度々、同じことを伝えます。

「このまま続けても良いですが、もし、貴方が厳しい修行を望むなら、そうしても構わない。だが、それは私も辛いし、何より、貴方も辛い思いをします。私は貴方にそのような辛い思いをしてほしくはないけれど、厳しくしなければ、貴方の今生では修行は完成しません・・・」

そのような説明を繰り返し、やがて、その意味を汲み取ったのか、小さく「はい」と答えるようになりました。

その覚悟のなさを見て、私は「それは本当? 厳しいというのは、言葉遣いも辛いものになるのよ。貴方に命令をして、ここがだめ、そこがだめ、なっていない、こうしなさい、と、とても強い厳しい言葉で言わなくてはならない。そうしなければ1つの人生で2つの人生分の修行なんてできやしないわ・・・。これは、貴方自身が決めること。貴方がやると決めたのならば、私はそれに応じてあげる。 でも、このまま続けたとしてもそれなりの境地に達するでしょう。しかし、来世も私が面倒を見れるかどうかはわかりません。貴方も修行ができるかどうかはわからない。私はできれば今生で達成させてあげたいわ。」

そして、それを休憩時間に紅茶を飲みながら度々説明したのでした。時には、その厳しい言葉遣いをやんわりと真似したりしました。
その時、弟子の顔に厳しい顔が浮かんだのを覚えています。

やがて、何ヶ月か後でしたか。覚悟は足りないと思われるものの「決めました。修行させてください」と言ってきました。
それを見て、「わかった。今日はほんの少しだけ試しましょう」と言ったのです。
そして、半分は普通の優しいリラックスの誘導瞑想やその他の儀式を。もう半分は、厳しい修行を行いました。

今でも受け継がれている、イギリスのスパルタ式スピリチュアル訓練はおそらくこのあたりにルーツがあるように思います。

私はまず、自分のエネルギー(オーラ)を弟子の主に下半身から満たして意識を高揚させました。
それだけで弟子はそれなりに満足しましたが、それはまだまだ入り口に過ぎません。

弟子は、師匠のエネルギーを受けて満たされただけで多少は満足してしまうものです。しかし、それだけでは全然足りないのです。

その状態で霊視をして、エネルギーが通っていないところを指摘します。「エネルギーがお腹に満ちていない! 集中しなさい! オーラが揺れています。オーラを安定させる!」など、細かく状態を次々に指定し、指摘したことができないと「できていない! ◯◯すること!!」と何度も強く言い、できるまで何度も言い続けたりしました。それでできることもあればできないこともありましたが、構わず指摘し続けたのです。

弟子は、師匠のエネルギーに満たされて彷彿と満足感を感じつつも厳しい言葉で自分の至らなさを認識するのです。

というのも、弟子は受け取ったエネルギーをうまく使うことができないのでオーラはとても揺れていますし、その分、エネルギーが漏れて行ってしまっているのです。エネルギーの満足だけで終わりがちですが、しっかりとした師匠はそんな甘い弟子の態度を許しません。

エネルギーが体のどこに通っていてどこに通っていないのかを見極めるのは重要で、自分で分からなければ指摘してもらう方がいいのですが、指摘できる人はあまりいないように思います。体にエネルギーが通っていない部分があればそこに意識を合わせてエネルギー(オーラ)を通わせることとオーラの安定を基本に教え、実践させました。

弟子はオーラの安定もなかなかできませんし、エネルギーを下から上に上げることもなかなかできませんが、普通にリラックスして瞑想するよりはそのようにスパルタ式で指摘し続ける方が実際のところ成長は早いのです。ですけど、弟子はそれに我慢して頑張ってはいるものの、どこか涙が出てきてしまい、その涙を見て私ももらい泣きしてしまいそうになります。ですが、弟子が涙をこらえながら頑張っているのに先生の私が泣く理由にもいかず、涙を浮かべてこらえながら指導したのを覚えています。

やがて、何年かしてもまだ霊視ができない弟子は、度々諦めることもありました。約束の授業の時間になっても何週間も無連絡で欠席し、落第かと思われたこともありました。

そのような時は、手紙を書いて、貴方ならできるから、頑張って訓練しに来なさい、という思いを伝えたものでした。

そのような挫折を繰り返し、精神的にも強くなり、エネルギーの安定度も上昇具合も良くなってきました。

それは少しずつの進歩でしたが、エネルギーがお腹のあたりから胸のあたり、そこから喉のあたりへと少しずつ上がって行くにつれて、現在のエネルギーの状態はこうなっている、もう少し頑張るのよ! ということを伝えながら一緒に修行したことを覚えています。

胸のあたりにまでエネルギーが上がったことで一旦は修行の峠を超えたように思います。それからでも厳しいことを言ったりもしましたが、その度に、「厳しいことを言っているように思うかもしれないけど、最初の頃の下半身でエネルギーが止まっていた時に比べればかなり良くなっているのよ。それは自分でもわかるでしょう。だから諦めずに、途中で辞めることなどせずに、修行を完成させなさい。」と言って励ましたりもしました。

ただ、胸から喉に上げるのがこれまた一苦労で、なかなかエネルギーが上昇して行きませんでした。

そこでまた、挫折しかけました。しかし、弟子は細かな成長までは気付いていなかったようですが、かなり進歩してきていること及び現在の状況をきちんと伝えることで挫折の危機を再度切り抜けました。あと少し、あと少し・・・。

時々、弟子の状態を見ると急にオーラが前回のレッスンより安定している時があって、途中で少し戻るときもあれば不安定の時もあって、それでも、時には斬新的に成長してゆくように思います。

そうして、10年か15年か、もしかしたら20年くらい修行に付き合ったでしょうか。

最後にエネルギーが眉間にまで上がり、上がってもまだ霊視が始まらない、という状態に至りました。そのような最終段階のレッスンを何度か続けた後、ついに眉間が光のエネルギーで満たされ、その祝福すべきとある日、ついに霊視が可能になったのです。

「見えます。周りにある、精霊や天使のようなものが私に見えます・・・」

その声は震え、その目には涙が浮かんでいました。

それを聞いて、私も、ついにやり遂げたと歓喜して抱き合ったことを覚えています。
「よくやりました・・・。貴方は私の誇れる弟子です・・・。貴方は成し遂げました。」

辛い修行に耐え、2つの人生の修行を1つの人生で成し遂げた弟子が、ここにいたのでした。

・・・その後は、次のように伝えました。

「これから、何回かはまたレッスンしに来なさい。でも、基本的にはこれからは自分でできることです。霊視で自分のオーラを見て、不安定なところを確認しなさい。そうして、エネルギーを高めて安定させることが大事です。あと何回かレッスンをして、大丈夫だと思ったらもう来なくて大丈夫です。もちろん、何か相談があればその時は来てください。」

こうして、弟子が独り立ちしたのでした。私は、満足して、その後、寿命を迎えたように思います。広い敷地の古い館で、魔女の生涯が終わったのでした。

この弟子は、その後、私が行ったことと同様なスパルタ式のスピリチュアル教育を大勢に対して行ったように思います。

本来、ゆっくりとした道と性急な道があって、人によっても性質によっても使命によってもその道は異なりますし選べるものなのですが、私の弟子には性急な道しか教えなかったものですから、イギリス方面でその伝統が続いてしまっているようですね・・・。

それが良かったのか悪かったのか・・・。今でもイギリスではその伝統が続いているように思います。



特殊なマントを被って霊能力なしに生まれてくる

以前に何回か魑魅魍魎のお話松果体や霊界の特殊な修行法のところでマントのお話をしましたけど、私の場合、生まれる前に霊界のとあるおじいさんっぽい世話人さんのお勧めでこのマントを被って生まれることにしました。

基本的にはそのマントは霊能力を制限する機能があって、それに加えて、他からの霊的な影響を防御する機能も備わっています。とは言いましても自分の霊的能力を制限することが主目的で、霊的能力なしに生まれて修行したい人がこれを使うわけです。

前にも書いたかと思いますけど、そのおじいさんが言うには「最近は、これを使う人が少なくなってねえ」と、ちょっと淋しげでした。

前世までは魑魅魍魎が見えまくって、それ故に魑魅魍魎がいるとメンタルが揺らぐことが多かったように思います。まあ、しょうがないことと言えばそうなのですけど。魑魅魍魎ですし。

このマントを紹介された時、そう言えば次のように思ったものでした。

「え! 見えなかったら、変な魑魅魍魎がいるところに突っ込んじゃうよ。大丈夫なのかな?」

そう聞くと「このマントは防御の機能も備えていて、肉体があるのでそれほど影響はされない。」と回答があったのですが、確かに、霊体のまま他の霊体に突っ込んでしまうと邪念や悪霊の気が移ってきてしまって大変ですが、肉体があるとそこまでではありません。・・・・とは言いましても、多少は影響します。霊体のままに比べると影響が少ないというだけで、霊視できない状態だとめちゃくちゃ悪霊にぶつかりまくる、というのが実感です。

ちょっと試して、「これ、ほんとに大丈夫なのかなあ・・・」と思ったことを覚えています。邪気とか悪魔のたまり場とかに突っ込んでしまいます。

そして、前にも書いたように思いますが、これってどうなのだろうと思って実際に使っている人の人生を覗き込んでみました。例えばお坊さんになった人が、本来は霊格がそれなりにあって霊視ができてもおかしくはないのですがマントを被っているが故に霊視など霊的能力が現れず、お師匠さんに「まだ何も見えぬのか。まだまだだな・・・」と言われて、そのお坊さんは「はい・・・」と言うしかないような状況でした。それでも修行を続けることで、霊的能力ではない部分の修行に集中するとのことでした。お寺の中でのステージは上がらない感じでしたが、それでも、その本人の修行にはなっていたようです。

このマントは、被るとぐるりと自分の周囲に自動的に回り込んでロックされるような魔法がかかっています。それを解除するために呪文が必要です。

試しにマントを被ってマントラを唱えてみましたら、魔法が解けて元通りのただのマントに戻りました。何度もつけ外しができるようでしたが、度々外していたら修行にならないので、マントラの控えを後頭部の後ろに結びつけて幽体離脱あるいは死んだ後に見れるようにすることと、もう1つは守護霊に持っていてもらうことにしました。

基本的には死ぬまでこのままマント付きでの生活ですけど、どうやら、長年使っていたらところどころ破けてきた感じではあるのですよね・・・。

霊能力者が意識的に破こうと思えば破ける代物ですけど、ひとまずその必要は感じていません。まあ、今のままでもいいかな、とも思いますし、もし追加で使命がもらえて必要になったらマントラを唱えて解除すればいいかな、という感じです。そのあたりは私のスピリットが判断する感じですね。

まあ、視界があれば視界で邪気をあらかじめ避けますけど、今は見えないが故に、近くまで行ってようやく邪気を感じて避ける、という感じですので、ある程度は邪気に近づいてしまいますね。もっと感度が上がれば近づかなくてもいいのかもしれないですけど、町中ですと急に何かが近づいてきたりしますからね。方向もよくわからなかったりしますし。見えないというのはなかなか大変です。

普通の人は、よくこんな世界で生活していますね・・・。

邪気と悪霊がうようよしているのにそれに気が付かずに生活しているのは、どこかの漫画で言っていたように「極寒の地で全裸で凍えながらなぜつらいのか分かっていないようなもの」という例えが合っているような気が致します。

まあ、マントを被ったとしても主に制限されるのは霊視能力で他の能力はそれなりにありますから、霊視制限特化のマントとも言えるかもしれないですね。

魑魅魍魎がいるところに気付かず突っ込んでもその影響を受けないようになるまで自分を鍛える、というのはある意味スパルタ教育な気もします。自分で言うのもなんですけど。



光の剣をもらったお話

最近、瞑想をしていたら空から剣のようなものを持ったスピリットが降りてきて受け取りました。それはスターウォーズのライトセイバーのように光っていたのですが形としては日本刀のような感じで、鞘はなかったような気がします。そのような日本刀っぽい光の剣をもらったのです。

ん〜。あまりにもアニメっぽいので、ただの想像かなぁ・・・??? という気もしたのですけど、とりあえず「まあいいや。もらえるならもらっとこ」と思って受け取って、腰の横にかけました。鞘はあるのかどうかよくわからないですが刃が触れても体が切れるわけではなさそうです。

試しにそれを振ってみると、剣のように一方向だけに刃がある感じではなく、実際のところ、刃のある方向はよくわからなくて、どちらの方向でも切れる感じが漠然としました。 とは言いましてもきちんと刃があって刀のようにしなっている気もしますし。伸び縮みもする感じで、ちょっとゆらゆらと動いている気がしますね。切ろうとする方向に動かせばそちらに切れる感じです。

とりあえず、腰に置いておくことにしましたが、ちょっと収まりがよくないのでどこにしまおうかなと思っていたら、口から入れて喉に入れておくと良いよ、と言われました。まじですか。それって漫画「ナルト」で大蛇丸が持っていた草薙の剣みたいな感じなんですけど。単に記憶が蘇って想像しているだけなのかな? とも思いましたがイメージは生々しいです。教えてくれたスピリットの顔は、どこか大蛇っぽいです。単に大蛇丸の顔を真似して遊んでいるだけかもしれないですけど。

その後、お仕事で何か理屈に合わないことを言ってくる初対面の人がいて、なんだろ? と思っていたらその後、生き霊の不満のある弱い恨みの念を送ってきたので「お。ちょうどいいや。頃合いの敵が来たので試そう」と思ってお昼休みに瞑想をして、その剣を取り出して私の座っている前、1mくらいにある生き霊をめった切りにしてみたら急に生き霊がバラバラになって念が減ってゆきました。効果抜群のようです。切れまくります。まあ、雑魚といえば雑魚ですが・・・。

そのバラバラになった生き霊はちょっとした怨念ですので消滅させようとも思ったのですが、それよりも、既にエネルギーの状態になっていて意思はなくなっているようなので普通にヴィシュッダで吸い込むことで浄化というかエネルギーを吸収してしまいました。

意外に、そんな他人の怨念の生き霊であったとしても剣でバラバラにした後ならばエネルギーとして吸収できるのですね。単に跳ね返したり防御したりするだけでなく、光の剣を手にしたことによりバラバラにしてエネルギーとして吸収する、という選択肢が増えた感じです。

とは言いましてもあまり変なエネルギーを吸い込むと消化不良起こしそうですけど。そんな気がしますから、ほどほどにしたいと思います。
恨まれるのはちょっと面倒ですしね、そもそも恨まれないのが一番です。

・・・後日、もう少し試していたら刃こぼれっぽい感じになっていました。どうやら、最初はそれほど強くなくて、自分のオーラで強化しないといけない感じですね。まだ生まれたてであまり強くないみたいです。

・・・更に後日、この剣の別の使い方がわかってきました。基本的にこの剣は自分のオーラと対象とを接触させないために用います。目的としては大きく2つあって、相手を浄化する場合と切りつけて懲らしめる場合とがあります。相手を浄化する場合は、剣に天のエネルギーを降ろして剣をエネルギーで満たしてから剣だけを相手に近づけ、剣のエネルギーを相手に与えて浄化します。懲らしめる場合は普通に刃先を鋭くして斬りつけます。斬りつけるとそこで分割されることもありますので個別に浄化するという手もあります。

この、相手を浄化する方法はかなり有用で、自分のエネルギーを天のエネルギーを光の剣まで降ろすことだけに用いて後は天のエネルギーをそのまま直接あるいは剣を経由して相手に与えるわけです。こうすることで自分のオーラを汚さずに済みます。剣は伸び縮みや切り離しもできるので相手と融合したエネルギーの部分はその部分ごと切り離して相手に与えてしまえばよいわけです。剣の長さはいくらでも元通りになりますし、問題ないわけです。あるいは、光の剣は天のエネルギーを操作することだけに用いて天のエネルギーを直接相手に繋いでも良いです。

エネルギーを与える使い方をする場合は、剣というよりもハンマーかあるいはシャベルあるいは柄杓のような形になりますね。これはイメージとも関連しているように思います。使い勝手の良い、イメージしやすい形に変わるわけです。剣といえば剣ですけど用途別に姿は変えられるわけです。

・・・そして、その後、ふとしたときに繁華街の裏路地で弱い邪気をいくつか感じたので試しにそれぞれを光の剣で切ってみましたが、瞬間的に浄化されますね。これは効果があります。霊視はできないので盲目の剣士みたいに気配だけで切っていますけど、それだけでも意外にいけるようです。見えずになんとなく切っているので時々「危ない」と言われますけど。そんなにぶんぶん振り回さない方がいいみたいです。



オーラのケーブルを突き刺して相手の情報を抜き取るのは泥棒と一緒で犯罪

人のオーラはゆらゆらと揺れていて、多くの人の場合はその境界線がはっきりしていませんのでオーラ同士がぶつかると情報交換がなされます。

以前にもエーテルコードのお話で言及しましたが、オーラのエーテルが繋がると「一体」になって、お互いで情報交換がなされます。これは一方的というのはあり得なくて、情報を得る時はある程度は自分の情報が相手に伝わりますし、その人の素質それ自体がその分だけ一体化します。とは言いましても合体するわけではありませんので多少のオーラが混ざり合って一体化するだけですが、それだけでも、自分から相手に対してはオーラが奪われ、相手のオーラを自分が多少は奪ってしまう形になるわけです。

総量としては変わらなくても一体化してしまったオーラはもはや「相手」とか「自分」がなくなっておりますので、途中で千切れて自分のところに戻ってきたオーラは相手と一体化したオーラの部分であるわけです。

そのように、日常生活においてオーラの交換というのは割と無意識に起こってしまっていますが、厳密に言うと、そのように相手のオーラを奪い取ることは泥棒と一緒で犯罪になります。

地球の場合はオーラが安定していない人が多くて、しかもオーラが枯渇しておりますのでオーラのケーブルが自動的に他人に伸びていってエネルギーを奪うなんてこともよく起こっています。それは意識していないだけで、他人のエネルギーを奪い取る犯罪行為です。いわゆるエネルギー・ヴァンパイアですね。

スピリチュアル的に成熟した大人であれば自分のオーラはだいたい肌から6mm〜1cmくらいのところで安定しています。人混みあるいは他人と接触しないといけないときは意識的にオーラの幅を狭めて2mm前後にまでオーラを調整することで他人のオーラと混ざらないようにします。その時のオーラの質も、相手と同質化しないようなオーラの質というものがあるわけです。

ですが、エネルギーヴァンパイアが触手を伸ばしてイカの手のように遠くからエーテルのケーブルを伸ばしてきた時は恐ろしくて、そんなオーラの質とは関係なしに他人にエーテルのケーブルを突き刺してエネルギーを吸い取ってゆきます。かなり早い動きですので背筋が凍るくらい恐ろしいです。飛び上がりますよ。

防御方法は一応あって、ケーブルを切ってしまうというのが基本ですね。あるいは弾き返すとか、包帯のようなオーラの布を出してぐるぐる巻きにして動きを封じ込めるとか、その人の能力と経験によって対処法はいろいろとあります。

そのように他人のオーラからエネルギーを奪いたい場合もあるでしょうし、情報を抜き出したい場合もあります。どちらも犯罪です。

例外はあって、お互いに同意した場合だとか、特に家族の場合だとか、霊的に密接な繋がりがあるとか、そういう場合もありますけど、基本的には他人のオーラと混ざらないというのが基本です。

何故そのようになっているかというと、個人で学びは異なるからです。割とこれは宇宙に共通したルールだと思います。

スピリチュアルな能力を開発する場合に、時にオーラを融合して相手の情報を取ったりするやり方がありますけど、このような意味合いにおいて邪道ですね。まあ、それはその流派の好きにすればいいですけど、私とかはそう思います。いくらそれで情報を入手したところで、大した学びにはならないですし、何より自分のオーラが汚れますので費用対効果が悪すぎます。



最近はYouTube経由でエネルギーを吸い取る人がいるようです

遥か昔から能力を奪うとかエネルギーを奪うとかいうお話はあって、昔は近くにいる時だけにそれが起こったものですけど、最近はYouTubeを見ているだけで視聴者からエネルギーを奪うような器用なエネルギー・ヴァンパイアがいらっしゃるのですね。この種のエネルギーを奪う系の人は昔から一定数いましたけど、最近は進化しているのですね・・・。こんな変な迷惑な進化なんてしなくてもいいのに、と思うのですが。

近くに寄ったり映像を見ているだけで疲れるのであればすぐ離れるのが基本ですね。私の場合は、特にお腹がムズムズと凹む感じで痛くなります。チクチクはしませんが、どんよりとお腹から何かを吸い取られるかのようです。きっとこういうことをする人はマニプラ以下が優勢でマニプラで相手からエネルギーを吸っているのですね・・・・。怖い怖い。

昔からスピリチュアル界にはエネルギーを吸い取る人がいて、最近ですと覚醒とか悟りを語っているYouTuberの中にエネルギーを吸い取る系のYouTuberがいるようですね。本人は気が付いていないのですかね・・・。迷惑なんですけど。エネルギーを視聴者から奪いながら覚醒を語っていたり宇宙や次元や真理を語っている動画は見ないほうがいいですね。

ちょっと前はブログでもこういうのはありましたね。ブログを読んだ人から対価としてエネルギーを吸い取るように技をかけているのでしょう。本人が意識的にやっているのか無意識的なのかは知りませんけど、エネルギーが不足している人がブログを書いて視聴者からエネルギー補給するというのは昔からもぼちぼちありましたし、今も普通にあると思います。最近はそれがYouTubeになってきているのですね。

いくつか最近見たところ、狐の化身っぽい人もいましたね。妖狐とまでは行きませんけど、狐系の美人さんがYouTubeでスピリチュアルしていたりしますね。こりゃ、あまり良くわかっていない人だと貢いじゃうかもしれないですね・・・。他人の勝手なので好きにすればいいですけど。特にそれを阻止したりなんて野暮なことしませんよ。そういう体験も全て学びですし本人の選択だから好きにさせておくのが一番なのです。

まあ、そういう人に騙される・・・ と言うと語弊がありますけど、人にはそれぞれレベルがありますし、どんな人であっても誰かに教えることはできますし、自分より上のレベルであれば教師として教えてもらえる人は誰がしかいます。ですから別に騙されるという言い方は語弊があるのですけど、悟りを教えている筈の教師が一瞥しかしていないのだとしたらそれは看板に偽りありなのではないでしょうかね。そもそも一瞥の悟りとわかっていてそれを教えているのならばいいですけど、わかってる人なら一瞥の悟りだということをはっきりと述べるでしょうし、そもそもそのくらい自分の事がわかっている人なら一瞥しただけでスピリチュアルのこと教えだしたりはしないと思いますけど。まあ、これは人にもよりますけどね。私はそう思うと言うだけで、やりたきゃやればいいと思います。この世界は何だって自由です。好きにすればいいと思います。

ですけど、やるのは自由でも、視聴者から意識的か無意識的にやっているのかはわかりませんけどエネルギーを吸い取るようでは所詮はその程度なわけです。

先日も書きましたけど、一瞥しただけで自分が真理を悟ったかのように勘違いしている人は適切な師匠がいないことが多くて、いたとしても師匠よりも自分の方が上だと勘違いして、その結果、自分がいわゆる教祖様とかスピリチュアル教師とかになってしまったりするのですよね。

それが愛を語りつつエネルギーを実は奪っているのなら、まあ、等価交換とも言えなくもありません。理屈で愛を語りながら、愛とはエネルギーの高まりであるのにそのエネルギーを交換で奪っているなんて、なんて皮肉なお話なのでしょう(苦笑) とても興味深いです。

あるいは、真理を語る筈なのにヒステリーになっていたり、皮肉で真理を語ったりするチャンネルは高確率でエネルギーを吸い取っている気が致します。エネルギーだったり、セミナーの勧誘だったりしますよね。 まあ、それを狙っているのでしょうかね? よく分かりませんけど。そういうチャンネルは見ないほうがいいと私は思いますけど。

まあ、具体的に誰か、ということは、誤解がありますので特に言いませんけど。まあ、ご自身で自由に判断すると良いと思います。

セミナーの勧誘ならまだ可愛いです。厄介なのは、ある程度の能力があって遠隔で視聴者からエネルギーを奪い取る系のYouTuberです。YouTube動画を見ただけでエーテルのコードを繋がれてエネルギーを継続的に吸われてしまうこともあります。まあ、こっちが先にその動画を見てYouTuberに対してエーテルのコードを伸ばしたところを蜘蛛の巣にかかった獲物のように素早く捕らえてエネルギーを吸い取るのでしょうね。ほんと恐ろしいです。そういうときは、以前に書いたようにエーテルのコードを切ることが重要です。動画を見た後に具合が悪ければ吸い取られている可能性がありますので、見えなくてもどこかに繋がっているかもしれませんので自分の周囲、全方向のどこかに繋がっているかもしれないケーブルを見えないナイフのようなもので切るそぶりをイメージすると実際にケーブルが切れてエネルギーの吸入が止まり、結果、エネルギーが減らなくなって気分が回復すると思います。

あまり気が付いていなくても度々やったほうがいいと思います。

悟りとか覚醒とか語っていながら一見すると愛に満ちているように見えてもその人を見るとどこか疲れたり、皮肉が多かったり言葉のあやを利用した否定形の真理の語りが目立ったりヒステリーだったり自己啓発系っぽかったりお金儲けの秘訣とか語っているところはエネルギーもこうして吸っている可能性がある気がしますね。人それぞれ色々なパターンがありますけど。

怖い怖い。見えなくて気付かないと思ってやっているのか、それとも、自分は気付かないうちに無意識でやっているのかもしれないですけどね。

共通して言えるのは、疲れるようなものをわざわざ見る必要ない、ってことです。たとえ愛とか悟りとかを語っていたりしてもね・・・。本物はエネルギーに溢れていて他人から奪わずにエネルギーを分け与えます。偽物もエネルギーに満ちているように見えますけどエネルギーを周囲から奪い続けているわけです。

目立つことでそういう人にエネルギー(力)が集まることになりますから、ますます変な存在になります。そういう力を持った存在は霊界にも多くいて、形としては「天狗」とか「稲荷の狐」みたいな存在だったりしますね。キツネつきで他者のエネルギーを吸っている場合もありますね。それは人によって異なりますけど。悟りを語っているYouTuberの正体が妖狐みたいなおぞましい狐だったりします。一見すると美しい娘ですけどね・・・。もちろんその本人は自分ではそんなことを言わないでしょうし、指摘しても否定するでしょうしね。霊体は姿なんていくらでも変えられますから、ばれそうならお気に入りの姿以外のどんな姿に化けてごまかしてくるかもわからないですしね。

まあ、どちらにせよそのような存在とは関わらない方が良いです。ちょっと慣れれば感覚で本物かどうかなんてすぐわかりますよね。

そのようなYouTuberであっても体験のいくつかは本物なのだろうとは思いますけど、私がここで言っている本物というのは日常生活で継続的に悟っているかどうかという判定基準ですからね。一瞥の悟りがあったとしてもその後にエネルギーを奪ったりヒステリーになったのならばそれはまだ本物ではないということです。私の個人的な基準ですけどね。

あとはね、この種のケーブルを切りたければ自分の守護霊に「もし意図しない変な存在とエーテルのコードで繋がっていてエネルギーを吸われているのならば、そのケーブルを切ってください」と定期的にお願いするのも手ですね。

本来はこういうのは自分で対処すべきだと私なんかは思いますけど、どうもできないようならば守護霊にお願いするのも手だと思いますし、繋がっていないと思っていても繋がっている時がありますから、そういう確認の意味も含めて切ってもらうのもいいですね。

守護霊も、お願いされた時以外は放置の守護霊もいれば過保護な守護霊もいますので性格次第ではありますけどね。基本的には自分で対処して、確認および自分では難しい時は守護霊にお願いするといいかなと私なんかは思いますけどね。まあ、好きにすればいいと思います。

エネルギーヴァンパイアをしている妖狐系のYouTuberは手に負えないですけど、その一方で、一瞥の悟りをしただけで悟っているかのように勘違いしているだけの人はまだ救いがあります。

一瞥の悟りで悟ったかのように思っている人を時に「勘違い系」と言ったりもしますけど、それは別にそれほど悪い意味でもなくて、永続的な最終的な悟りだと勘違いしているのはそうなのですけど、一瞥の悟りであってもそれはそれで素晴らしいですし、後ほどいつかはそのことに気が付いて伝統的な修行の道に進んで永続的な悟りを目指すというのは割と多いケースのように思います。ですから、それほど悪いことではないかなとは思うのですが、そうは言いましても、YouTube動画とかブログを書いてエネルギーを吸い取るのは迷惑でしかありませんので、それはやめて頂きたいということです。少なくとも視聴者側としてはそのような勘違い系の人に対して防御する必要がありますね。



仏師として空海と共に唐から渡来した記憶

・・・夢で見たお話ですので本当かどうかはわかりません。

当時、たしか唐の都で仏師として仏像を作っていたように思います。そして、日本から来た役人に招聘されて空海と共に、空海と同じ船で海を渡ったように思います。招致されたくらいですから、確か、唐でもそれなりに名の知られた仏師だったように記憶しております。

空海とは唐の都で会ったことはなく船で初めて一緒になりました。空海は秘伝を受けた青年とのことでしたけど、一見するとそこらにいる青年とそう変わりはないように見えました。船の上では時間がありましたし、そう多くの人が乗っているわけではありませんでしたのでことあるごとに話をして、どのような奥義を受けたのか聞いてみたりもしました。具体的にはちょっとすぐには思い出せないのですが、「空」に関する心境を色々と説明してくれたような気が致します。空即是色などに関する境地だったような気も致します。それに対して私は仏師としての境地に関して共感する点を感想として述べたりもしました。そうすると、空海はお世辞なのか何なのか「うむ。よく分かっておいででいらっしゃる。」と言ってくれたりもしましたっけ。

空海はしきりに「私にはやらねばならぬことがある」というような事も言っていた気が致します。日本に来てからその後空海と会うことはなかったような気が致します。割と近くにいたことはあった気がしますけど、特に会う用事もなかったと思いますし。船の上でだけ一緒でしたけど、なかなか興味深い人物でした。

私は渡来後、奈良のあたりに移って日本の人々に仏像の作り方を教え、自らも仏像を作ったりしたものでした。最初こそ仏像作りに慣れない日本の人々でしたがしばらくするとそれなりに熟練し、独り立ちしていったような気が致します。

私は日本の政府に雇われて来た身ですので一生涯の賃金を保証されていて、とは言いましてもそんな豪華な家ではなくて、普通の家に住んでいたように思います。特に衣食住に不都合があったわけではありません。その時は1人で渡来してきて、その後も、渡来人でしたし、特に結婚とかいうことはなく、1人で過ごしたように思います。

後年になって政府が変わって一時的に賃金の支給が途切れたことがありましたけど、新しい政府に言ったらきちんと再度支給してもらえましたね。まあ、私の存在自体がイレギュラーだったのでしょう。

晩年になって引退して、その賃金を年金のようにしていて最後は生涯を終えた気が致します。今から思えばもうちょっと続けても良かったかな。引退すると意外に暇した気も致しますし。一生現役でも良かったかもしれません。晩年は何していましたかね... 瞑想とかだったかもしれません。外から見ると役人は「あの渡来人は何をしているのだろう?」と思っていたみたいですけど。仏像を作っている時は良かったですけど、引退したら急に何かをロスした感じになっていました。それなりに体力も使いますけど特に引退の制限があることでもないですし、生涯現役が一番いいのかも。

ちょっと簡単に史実を調べてみたことがあるのですが、空海と共に渡来した仏師なんてマイナーな存在らしく、最近の書物を見てもよく分かりませんでした。昔の記録の原本には乗っているのかもしれませんが読めないですし、まあ、仕方がありません。空海が渡来したのは平安時代が始まってすぐで、それから国としての政府は変わってはいないので、単にその地方の行政の取り扱いが変わったということなのかもしれませんし、平安時代の始まりの頃に行政区分の見直しが行われたのかもしれません。