契約社会は他者への(悪い意味での)依存の現れ

2026-02-12公開 (2026-02-04 記)
トピックスピリチュアル

国同士の契約、はたまた個人間、会社間での契約において、契約社会とはそのようなものであると言えると思います。

ここで言っているのは、基本的な有り様がそうであるということです。

その文脈においては、約束や一時的な商取引であっても契約を結んでいるということも言えます。そして、それが依存であるとすれば、その取引は必ず期待に応えなければならないという建前になります。ですから、西欧では小さなものを買うだけでも訴訟というお話になるのです。依存であるから、期待にそぐわなければ訴訟をして自分の利益を確保するわけです。

インフラや生活必需品の契約においてもそうで、電力会社が期待通りの電力を供給しなければ西欧では訴訟をして消費者の利益を確保しようとします。それは、悪い意味における依存をしているからです。

そのようなループが西欧の社会を成り立たせて、結果、訴訟を防ぐためというよりは、契約というのが形を変えた(悪い意味での)「依存」の象徴として存在しているわけです。

日本ではよく、「西欧社会ではしっかり契約しておかないと意見の齟齬が生じて訴訟になるため、契約書をしっかりと作る」みたいなお話を聞きますけど、そういう面もあるにせよ、その根底にあるのは、そもそも契約というのが他者への(悪い意味における)依存であるから、訴訟どうこうの前に、依存を多く作り出して他者からより多くを得たい、と願っているということなのです。

そして、この種の依存は、自身に自主性や創造性が欠けているから他者に依存せざるを得ないわけです。ある意味、可哀想な人たちであるわけですが、そうであったとしても、関わると面倒なことになったりもするわけです。

例を挙げましょう。

夫婦間において、相手にしがみつくのはよくあるお話です。自分の思い通りにならないと不貞腐れる、無視する、イライラしてキレ始める。そのようなパートナーに悩まされている人は大勢いるでしょう。そして、そのような場合、大抵は自主性に欠けているのです。相手に依存し、与えてもらおうと思っている。よって、期待通りに得られないと不機嫌になるのです。

夫婦であれば別れるということもできましょう。ですが、国同士は動くこともできません。

国同士で同様になったら、最後は戦争が起き、土地も財産も全て奪われる、ということも普通に起こります。結婚であればより大きな国や地域というものが助けになってくれますが、国同士の紛争は誰も助けてくれません。片方が負けると、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の格言の通り、負けた方は全てを失うことになります。

この世界は、このように、依存から争いが生まれ、依存によって相手を征服する、というような形で成り立っています。そして、その依存が具体的な形となって現れているのが「契約」であるわけです。

この、「契約」という形で何かに依存する、という形式は本来の人間のあるべき姿ではありません。それは依存でありますから、依存とは、克服されるべきものであるわけです。

自主的な人間は契約にそこまで縛られません。自身を守るためや、最低限の契約はあって然るべしではあっても、ある種の契約によって自身の行動の自由を縛るということは本来あるべきではないのです。何故なら、人は自由意志を持っているからです。

このように、契約社会が継続する限りは、神様はこの世界の継続を快くは思わないでしょう。そして、変革を迫られる時もあるでしょう。そのことは、おいおい明らかになっていくと思います。