スピリチュアルにおける感情のお話とエネルギー

2025-05-30公開 (2025-04-29 記)
トピックスピリチュアル

スピリチュアルで何を重視するか流派や考え方によって様々な要素があります。主立ったもとしては感情や雑念はたまたエネルギーといったものがあります。それらは実は繋がっているのですが、それぞれ別々のものとして理解されている風潮があるように思えます。それらは割と似た経験に基づくものでありながらその現象の状態はかなり異なるものであったりします。

・感情
・雑念
・エネルギー

昔からある分類として、肉体から連なるエネルギー体であるオーラを階層に分ける、ということをするのが分かりやすいかと思います。

神智学などでの分類が割と有名で、肉体、アストラル体、原因体(コーザル、カーラナ)と分かれています。スピリチュアルで大体問題になるのがこのくらいまでで、大抵の場合はアストラル体の問題になります。アストラル体は感情や記憶を司り、雑念もここの階層に分類されます。ですから、スピリチュアルや瞑想で雑念がどうのこうの、というお話が出てきたりするわけです。

そして、経験やスピリチュアルな教えを聞く時、どの階層のお話をしているのかを理解することが重要です。そして、今の自分がいる段階と合わせて何が効果的かを知ることも大切になります。

まず多くの場合において感情面の浄化が第一になり、これはアストラル体のお話になります。そのためには必ずしも瞑想をする必要があるわけでもなく、それよりも、肉体を使った某かの活動においてゾーンを経験することが感情面の浄化に有効に働きます。と言いますのも、この段階で瞑想をしたときに感情と向き合うことになり、雑念やら何やらに悩まされるわけです。ですから、そのような辛い瞑想が長続きすることは難しく、多くの人が瞑想を辞めてしまうわけです。それよりは、仕事やら何やらに集中して対象と一体になることでゾーンに入るという経験を繰り返すことがこの段階においては大切のように思えます。それは必ずしもスピリチュアルとは呼ばないかもしれませんが、それでも、それは実はアストラル界におけるスピリチュアルな体験なのです。

例えばものづくりでも良いですし、機械の設計あるいはプログラミングなどゾーンに入ることができる活動は多々あり、スピリチュアルな瞑想とかでお金を稼ぐことは難しいかもしれませんが普通に仕事をしてゾーンに入れば効率や品質が向上して速度も上がり、結果、良い職につけて給料も入るので一石二鳥なのです。このアストラル界の感情の段階に取り組んで浄化を目指している人は、仕事あるいはまだ学生であれば勉学あるいはスポーツ等に取り組むことでゾーンに入り、ゾーンというのは対象との部分的な一致のことでありますが、そのような一体感を得ることで仕事などを活発に活動的に行うことができるわけです。

これはスピリチュアルをするにおいても重要な基礎となり、その先の段階へと進むことができるかどうかはこの基礎があってこそ、と言っても過言ではないのです。スピリチュアルな分野においても加行など基礎的な修行を何回も繰り返すという方法があり、そのようにして毎日何かを繰り返すことでゾーンに入ることができます。しかし、普通の仕事であればほとんどの人が行うことでありますし、そのような、普通にはスピリチュアルとは言わないなんてことはない普通の仕事を一生懸命やって集中して対象と一体化することでゾーンに入る、という経験を繰り返していた方がスピリチュアルな成長は結果として早いのです。ですから、世間で言われているような、スピリチュアルな分野でこれこれこういう修行をすることが精神的な成長に繋がるという様々なお話は、それは一つの道であって、実は多くの人が普通に毎日している仕事の方がよほど時間としては長いわけで、その普段の仕事をしっかりとこなすことこそがスピリチュアルな基礎を作る上で重要になってくるわけです。

スピリチュアルな修行でいうとせいぜい数ヶ月とか数年とかですけど、普通の人であれば仕事を何十年もするわけで、期間にしてもその質にしても段違いなわけです。その普通の仕事においてゾーンを得ることこそがスピリチュアルな基礎になり、それはアストラル界のお話なのです。そのように、勉強、或いはスポーツ、はたまた仕事で成果が出ることで感情面も落ち着き、雑念も減り、エネルギー的にも充実してきます。それは肉体からアストラル体までが活性化して純化されてきているということで、姿勢や表情にもそれは現れてきます。

実のところ、多くのスピリチュアルなお話はここまでなのです。現実を変えるだとか現実を引き寄せるだとか、健康になるだとか、雑念が減って元気にいきるだとか、大抵の場合は人々が求めるのはそこで終わりになります。人は想像できることしか実現できないとはよく言ったもので、人は自分が知らないものにはなれないのです。スピリチュアルでお金が手に入って仕事しなくて良くなるだとか、そのような偽スピリチュアルが蔓延しているのが現状であるといえます。

多くの場合において、お金が手に入って仕事がしなくなることが良いことだ、というような風潮がスピリチュアルにはあって、お金に苦労しなくなるために大金を払って高額セミナーに参加する、という、お金が欲しくて大金を払うという矛盾した行動を人はよく取るようです。そうして大金を得ることができるのはセミナーの主催者だけで、そうしてセミナーのスタッフがヒエラルキーが生じてお金に縛られた人生にはまっていくわけです。それは最初からお金が目的であったがためにその結果として得られるものもお金であるという、人は自分が求めるものを得られる、という、ごく自然な法則によってそうなっているわけです。

本当のスピリチュアルな成長を求めている人は希で、それはというと、高次の世界を知らないのでそうなっているわけです。

では、それは何かというと、エネルギーのことでもあり雑念のない世界でもあり感情が豊かな世界でもあります。悟りやモクシャ(自由)と呼ばれることもあります。

それぞれの階層にエネルギー的な質があり、低次のエネルギーはそれなり、高次のエネルギーは軽やか、それぞれの波動があります。それはエネルギーのことでもありますし、波動のことでもあります。

流派によってはエネルギーの質を重視していて、雑念のことをあまり言ってない場合があります。

それと、スピリチュアルなお話で「他者の心を読むことができるか」というお話がありますけど、世間で多くいる霊能力者や心を読める人には2つのタイプがあって、1つは自分のオーラが不安定で他者と接触してしまうがために情報交換が起こるタイプでこの場合は感情面でまだ浄化が未熟であり波動は低いが他者のことがわかる、という人です。これは割と多くいて、霊能力者とか言われていることもありますけど高次の世界のことがわからないことが多いです。もう1つは自分のオーラが安定していて純化されていて、高次から見ることで他者の心が読めるタイプです。これは正当なやり方で本来はこちらを目指すべきですが、このくらいになりますと他者の心が読めたところで大した意味がないことがわかっていますので、必要な時を除いてはあえて読まない、ということになります。他者の心を読んだところでそれに英智があることはほとんどなく、大したお話でもない心を読んでも価値はほとんどないわけです。それに、人には口と耳があるのですから直接聞いた方がよほど思考が整って整然と理解することができます。他者の心を読んだとしてもその本心や意図およびコンテキストを理解するには普通の会話以上に難しく時間がかかりますので、他者の心の想念がそのままその人の本心だとは判断できないわけで、そうなると、他者の心を読んだところで大した意味がないわけです。

そのようなことを踏まえて、エネルギー的な質を純化した上で、スピリチュアル的なお遊び(心を読むこと、など)は程々にして、正当な道を進む方が良いわけで、そうなると、何がスピリチュアル的に正しくて何がそうではないのか、をしっかり理解することが肝心なわけで、そのためには世間で喧伝されている引き寄せの法則だとか願望実現あるいは占いなどは大して意味がなく、本当に大切なのは高次に繋がることそれだけだということを理解することが必要なわけです。

2025年5月の瞑想録(次の記事)