同一視すると「わたし」という間違った観念であるエゴが生じます。同一視を辞めれば、期が熟しているのであれば無限の自己がその背後に果てしなく広がっていることに気がつくかもしれませんし、まだそうならないかもしれません。
気がつくことができたらそれがワンネスということですが、気がつかないのであればワンネスを知らないということです。
これは、想念を「止める」ということではありません。
このことを理屈で知っていても実際にワンネスを知らない人は山ほどいます。大学で宗教や哲学を学んで、「私は知っている」と自称している人は大勢います。それは本当に知っているのかもしれませんし、あるいは、ただ単に「対象化」をして知ったつもりになっているのかもしれません。
このあたりは、とても誤解が多いのです。
そもそもワンネスということであれば、最初に書いた、想念と自己との同一視とは、それもまた「同じ」であると言うこともできるのですが、それはあくまでもワンネスのレベルにおいて同一ということであり、普通にいう「わたし」とはエゴのことであり、エゴとは「自分」という間違った観念、ヨーガでいうジーヴァの拠り所になっている観念のことです。その、間違った観念の始まりである「想念」と「私」を同一視することを辞めれば、準備ができていて期が熟しているのであればその背後に無限に広がっている意識・自己に気がつくのです。
期が熟していない場合、ただ単にそれは「自己(エゴ)がなくなる」というだけになり、行き場を失ったエゴは様々な生き残り策を模索し、なんとかして延命を図るでしょう。色々と言い訳を言い、エゴが残る道を探るのです。そして、「既に自分は永遠のワンネスを知っている」と自身に思い込ませ、まだ達してもいない状態や知識を傲慢にも「既に理解している」と思い込むのです。それは幻想ではあるのですが割と初心者あるあるですので、そこまで気に病むことはありません。
学問や宗教で様々なことを勉強し、例えばワンネスを知っていると自称していたとして、かなりの場合で、このようにエゴの反応として「自分は既に理解している」と思い込んでいるだけで本当にわかっていないことなんてざらにあります。そちらの方が多いくらいです。
理屈でいくら「自己とは何か」を探究したとして、大いなる意識である無限のワンネスに対して自身の側の準備として心を開くことができていないのであれば、それを見ることができないのです。そもそもワンネスなのだから自分の側にある障壁は不要なものではあるとしても、大抵の人はそれを持ってしまっているのです。
更に、他者と隔てるために、この種の理解を用いている人すらいます。それはマウンティングであったり、はたまた、他者を遠ざけるために、或いは、自己(エゴ)の満足のためだったりします。「(ワンネスや宗教理論を)既に理解している」と思い込むことが、それ自体が、既に「対象化」という隔たりを作り出すことになっており、ワンネスである筈なのに「ワンネス」という概念として、孤立した知識として宙に浮いた状態で、看板に掲げてあるだけの状態になってしまっているのです。
本当のワンネスとは、想念に対する自己との間違った同一視を辞めることです。想念が浮かぶと、それが自己の鏡に映って、あたかもそれが自分自身かのような観念が生じます。その間違った観念を辞めれば良いのです。
と、このようにいうと、世間でよく出回っている知識とすぐに結びついて、「そうですね。思考を止めれば良いのですね」と思い込む人が一定数いるかもしれませんけど、そういうことではないのです。その思考、想念、それ自体は、心の作用として、「道具」として必要なものでありますから、必要に応じてうまく使えば良いのです。それは道具でありますから「私」ではありません。しかし、多くの場合は「私思う、故に、我あり」ということで、思考と自己とを同一視してしまっているのです。
これら、個別の事象で言えば理解してもらえても、それを実践するのはなかなか難しいのです。理解するだけではなく、実際に、想念に対する自己との同一視を辞める必要があるわけですが、多くの場合、理解するだけで「自分はわかっている」と(エゴの自己防衛反応により)思い込むのです。そうしてエゴが守られ、エゴが保持され、「自分は既にわかっている。自分は既にワンネスに到達した」と思い込み、長い時の間、その状態は続くのです。それが普通の人の行き着く先であるかと思います。本当にワンネスに到達する人は稀です。
昔話で、こういうお話があります。
賢者に、ワンネスに関するお話を天使と悪魔が聞きました。天使も悪魔もすぐに理解はしましたが、天使は、「それは理解できるが、本当にそれを私は知っているのだろうか」と自問自答し、最終的に答えに辿り着きました。一方、悪魔は「そうか。そういうことか」と、理解に対して、既に自分は知っていると思い込みました。そして、悪魔は答えに辿り着きませんでした。
このようなことはざらにあります。
そして、綺麗事を言って自己の行動を正当化している人は大勢いるのです。
本当のゴールとは、とても簡単なことであるのに、それに気がついていても、そのゴールへの一歩を踏み出す人は少ないように思います。
大抵は、エゴを防御し、エゴを育て、自分はわかっている、という、間違った観念を育て続けるのだと思います。