スピリチュアルやら何やらで高次元の方が良いという前提にいつの間にやらなっていますけど、むしろ低次元の方が良いことも多いのです。高次元では場所も時間も全てが広大であり、それぞれの種族やグループが自由にできるだけの余地があり、このことを取り上げて「本当は自由な存在」みたいに教えているスピリチュアル団体もありますけど、それはそうなのですけど、それでは学びも何もなく、自分勝手に生きるだけになってしまうのです。
「永遠で、決して汚れない存在、それが貴方」、と、そんな風に言われてしまうと、何やら神秘的に聞こえてしまうかもしれません。それがカルトへの入り口なのです。
高次元や宇宙では離れて暮らせるだけの環境があるにも関わらず、接触しては争いや不調和となる状況が多発しています。それは一体、どうしてなのでしょうか。
全ての人が本来は無謬で完全であり清浄であるのにも関わらず、この宇宙には不和や争い、混沌や汚れというものが存在しています。その矛盾について、カルトでは「それは本来の姿ではないので、悪であり、消滅させるべき」であると言います。そういうことを言うのであれば、カルト自身もやがては消え去る必要が出てくる、と言うことにそう言っている本人は気がついていないのです。善や悪と言うのは相対的なものであり、そのように悪を定義したが最後、自身が誰かにとっての悪となり、やがては自身をも滅ぼされて滅せられても良い、と言うことを言っていることに気がつかないのです。都合よく、自分は善だから悪を滅ぼしても良い、むしろ滅ぼすべき、と、そのように考えてしまうのです。これが、「高次元」とやらを肯定した人の一つの末路かと思います。
実際は、高次元では各自が好き勝手に考えて判断しているが故に収集がつかないため、いわば箱庭、ゲームのようにルールを取り決めて、この不自由な三次元の物理的な世界に生きているのです。
それなのに、そもそもの目的を忘れて、「自分たちは本当は高次元の存在なのだから、本来は、自由で永遠の存在だ」と、そう主張したとして、それはある意味でその通りではあるのですけど、そこには「知恵」や「理解」と言うものが足りないために争いや不和を永遠と作り出してきたのです。そのように、自由にそれぞれがしていて、勝手に相手を悪と断定し自分が善であると考えたからこそ、そこに争いが生じるのです。
本来、高次元の姿とは、善と悪の両方をひっくるめて完全なのです。ですが、ご都合主義のカルトは自分は善で、都合の悪い他者は悪で滅ぼしても良い、むしろ滅ぼすべきである、と、何やら不思議な理屈をこねて自身の理屈を正当化するのです。つける薬がないとはこのことです。
そのように、本来、高次元ではなかなか学ぶことに時間がかかるのです。高次元においては自身の現実が想念によって瞬時にイメージのような形で現実化してしまい、その思いの強さによってその人の求めた現実が生まれてしまうのです。
この地上においても現実化の動きはありますが高次元よりも、遥かにゆっくりです。その、現実化に時間がかかることこそが、学びのための時間的余裕となって人々の理解を熟成させるのです。
ですから、スピリチュアルで高次元を懐かしがったり羨ましがったりするのは、逆のお話なのです。そうして瞬時に現実化すると言うのは、学びが少なくなると言うことなのです。
引き寄せの法則とか呑気なことを言って現実化や贅沢な暮らしを思い描き、はたまたATMや荷物持ちになってくれる旦那を望むことは、当人の学びに繋がらないのです。苦しい状況というのは、それは、当人や周囲も含めて多くの人々が世界を動かしている法則に反しているから苦しいのです。カルマが自身や集団の苦しい生活を作り出しているのです。
引き寄せの法則で自身に都合の良い現実を作り出そうとする場合、自分の周囲に「自身に尽くしてくれる奴隷」を沢山作り出そうとしている人を散見します。それが「引き寄せの法則」で現実を作りたい人の願望ではないかと思います。そのように、奴隷が沢山尽くしてくれる状態が良いと思う人もいるでしょうが、それは、とても心に虚しさが残る状態でしょう。いわば当人が「裸の王様」になるのです。「引き寄せの法則」の完遂とは、そのようなものです。それのどこが幸せなのだろうかと私などは疑問に思うわけですが、そのような虚しい状態になってみないと人はその愚かさに気付けないのかもしれません。
このようなことを言うと、人は、「いや、そう言うのではなく、本当に幸せない状態を引き寄せようと思っている」と言うかもしれません。では、本当に幸せな状態とは何でしょうか。
「幸せ」とは自身の心の状態であるから、そもそも「引き寄せる必要すらない」のです。そもそも、「幸せを引き寄せる必要がある」と思っていること自体が幸せを取り違えているのです。ですから、「幸せを、引き寄せの法則で得る」と思っている時点で間違っているのです。
こんなことを言っても、あまり通じない、話が理解されない、逆に誤解して理解されてしまう気もするのであまり話しても意味のないことかもしれません。
そのように、幸せな心の状態を得るためにはある程度の環境は必要です。その、前提条件としての環境を得るために引き寄せの法則はある程度の役には立つかもしれません。ですが、そのように理解している人は少ないかもしれません。多くの場合、引き寄せの法則で富や幸せを得られると思ってその法則を求めているのです。そして、それは一時的な幸せでしかないのです。
引き寄せると言うことは、もともと存在していなかったものを一時的にでも得ると言うことです。それはもともとなかったものであるから、得たものは、永遠に手元にあるわけではありません。いつしかはなくなってしまうのです。そのような一時的な幸せは、なくなることを想像しただけで執着が生まれ、その状態を危うくする存在が現れたら敵とみなし、攻撃的になります。こうして争いが生まれ、負けた方は全てを失い、奴隷として売り飛ばされてしまうかもしれません。そのような喜びと苦しみの連鎖を社会に生み出す「引き寄せの法則」とは言うほど大したものではなく、古来から続いてきた、願望実現の願掛けや陰謀程度のお話でしかないのです。
そのようなことも含めて、この地上の物理世界では実現までに時間がかかるようになっています。
昨今、スピリチュアルで「実現までの時間が短くなってきた」とか言われていて、それが良いことかのように言われていますが、実のところ、学びという観点からすれば逆のように思います。
世の中には、言っても聞かない、自分の考えに固執する、相手に自分の考えを押し付ける、相手を理解しない、という人が大勢います。
さて、高次元になったとして、そのような人は、自分の考えを基本的に変えないのです。
この、物理的な社会だからこそ、例えば話し合いや、時には裁判、警察、社会というところで他者と触れ合い、時には摩擦も起き、そうすることで様々なことを学んでいくのです。
それはある意味、高次元ではすれ違いばかりな状況でお互いに自由に好き勝手にやれたところを、低次元の物理的な社会において、強制的に関与させているのです。そうすることで、他者を理解して、学ぶ、ということをさせているのです。
ですから、高次元になるということは学びが少なくなるということであり、割と、これはタイムリミットのあるお話であるとも言えます。
人によっては呑気に「これから高次元になるから、好きに生きられるようになる」と思っているかもしれません。
逆に考えて、もう少し危機感を持つべきかと思います。危機感など持っている人はほとんどいないと思います。それは、「あと少しで、この学びのできる地上にいられる時間が終わってしまう。寿命が尽きるまでの間、様々なことを学んで、高次元に戻った時にその叡智を生かしたい」と思い、貪欲に学ぶべきなのです。
であれば、「早く高次元に帰りたい」とか、呑気なことを言っている場合ではないこともわかるでしょう。低次元の物理的な社会に動物園のように様々な波動レベルの人が混在しているからこそ、本来、宇宙では波動レベルが違うとほぼ関わり合いの持たない存在ともこの地上の三次元の物理的なレベルにおいては接触が可能になるのです。
低次元の物理的な層というのは、そのように、様々な波動階層の存在が交流できる場として、割と奇跡的にこの地上に存在しています。
たいていの惑星において、そこで繁栄しているのは同じ波動レベルの人たちです。この地球においては割と多種多様な波動レベルの種族や人が混在しています。それ故に、学べることも多いのです。