人は他人に対峙して劣等感を感じた時、3種類の行動に出ると言った人がいたかと思います。アドラーだったかもしれません。
- 地道に頑張る
- 受け入れる
- ひねくれる、攻撃的になる、認知の歪みによる自己防衛
他者を虐める、というのは、この最後の種類、ひねくれることに含まれるように思います。
よって、いじめには2種類あるのかもしれません。
- 自己の見識を相手に押し付けて同意するよう強要する(勝手な見識を押し付けられて傷つく、本来のいじめ)
- 1番のような人に真実を指摘する(それによって1番が勝手に傷つく、本来はいじめではない)
自己(いじめっ子)の自尊心(エゴ)を守るために勝手な見解で他者(いじめられっ子)を貶めた上、他者(いじめられっ子)にその意見に同意するように強要する。これが本来のいじめかと思います。そのような行為をする人(いじめっ子)に真実を指摘して、そのことで、自己(いじめっ子)の自尊心(エゴ)が傷つけられて勝手に傷つき、虐められた、と主張する状態もあるかと思います。しかし、それは本来のいじめではなく、いじめっ子が自業自得で苦しんでいるだけなのですが、何故かいじめられっ子の方が悪者扱いされる状態であるわけです。あるいは、これらが相互になっている状態もあるかと思います。
<回想>
思えば幼い頃、どうして周囲の人が私に対してひねくれた態度を取ってきたのか、今ならわかります。それはというと、その人たちは私に対して劣等感を感じていたのです。そして、勝手な判断を一方的に行い、その見解に同意するように理由なく些細なことで嘲笑してきたのです。今なら、それが幼稚な行動だということがわかりますが、どうも、その一部は大人になってもそのような子供っぽい行動を辞めないようです。どうやら一部の人は学ぶという機会に乏しく、子供の頃の勝手な行動を大人になっても続けているようです。それが、学がない人の姿なのでしょう。自己の劣等感を守るために他者を貶めるなど、本当に惨めで陰険で可哀想な人です。私が子供だった頃、世の中にそのような陰険な人が存在するということすら想像できなかったのです。ですから、そのように歪んだ見解で他者を貶めようとしている人がいることなど、想像もできなければ理解もできなかったのです。ですが、今なら、そのように歪んでひねくれている人が大勢いる、ということを知っています。
であれば、当時、私がするべきだったのは、それらのいじめに対して不快になることではなく、ただ単に、距離を置くことであったことがわかります。仏教でも言われているように「不道徳な人とは付き合わない」ということです。
当時、おそらくはアドラー的に分析することさえあれば、このような幼稚な行為の原動力がとても理解できていたと思うのです。
<まとめ>
まとめますと、「人は他者に対して劣等感を感じた時に攻撃的になることがあり、その結果、他者に対して自己の自分勝手な見解を当てはめて自己を防御しようとする。自己の見解だけであれば自己の認知の歪みだけの話だが、その歪んだ見解を相手に同意を迫る行為こそがいじめである。」という表現もできるかと思います。これだけがいじめの全てであるとは言いませんが、一つの側面を示しているかと思います。
補足: