物事には全て意味があるのかどうか

2025-08-09 記
トピック: スピリチュアル

スピリチュアルのあるあるとして、物事には全て意味があります! みたいなお話があります。

それはそうなのですが、ここでスピリチュアル初心者のありがちな落とし穴として、その理由を自分の都合の良いように勝手に決めつけてしまうことです。実際は、理由は確かにあるにはあるのですが、自身が知ることができるかどうかは別のお話で、更には、そもそも自身が知る必要があるお話というのはそこまで多くなかったりします。

ですから、確かに理由はあるにせよ、知る必要がなけばば知ったところで自身にとっての意味はあまりありませんし、又、そもそも知ることができないことの方が多いわけです。知ることができる場合というのは、自身のカルマによってそれがなされた場合と、何がしかの理由により自身の周辺にいるスピリットが介入をしてそれを引き起こさせた場合、その種明かしとして教えてくれることがあるかもしれませんが、もしかしたら教えてくれない場合だってあるわけです。それを教える方が自身の成長になるのだと思われるのであれば教えることもあるでしょうが、そうでないなら教えないわけです。基本的には、精神がある程度成長していたら教えてくれることがあります。ですが、精神が未熟であれば教えてくれないわけです。何故なら、教えたところでどうもならないか、あるいは、守護しているスピリットを恨んでしまうことすらあるからです。自然に起こったことであると単純に理解していた方が幸せであることも多々あります。特に不幸な出来事であればそうです。

ですから、あまりスピリチュアル的に考えずに、普通の一般常識に照らし合わせて「偶然」という比喩的な表現をするくらいで良いことも多いのです。その理由を知ったところでどうしようもない場合、特に説明しても意味がなく、逆に、変に勘ぐられたり、不審に思われるようなことになるくらいであれば、「運が悪かったね」「たまたま偶然ですね」みたいに言っておけばそれで十分だったりします。

スピリチュアル的にはその理由を知って多少は面白おかしく興味深くなることもあるでしょうけど、それが自身のスピリチュアルな成長にどれだけ繋がっているかというと疑問であり、単に興味心を満足させるようなスピリチュアルがこの世界には蔓延していますけど、興味で知ったところで、それが自身の成長に繋がらないことが大半なわけです。

ですから、理由は割と泥臭いお話だったりもするのですけど、大半は知る必要がないため、単純に「神様のお導き」だとか、「結果は神様が決める」みたいに理解しておいた方が、理由をわざわざ詮索するよりも時間を取られなくて済み、結果として空いた時間を自身のスピリチュアルな成長に当てることができるようになります。

多くの人は、自身の興味や自己の利益のためにスピリチュアルな知識を利用しようとしていますけど、そのように利益主体のスピリチュアルはおまじないや魔術の分野であり、そういう儀式的な分野もあるにはありますけど、スピリチュアルの本懐は自身の成長にあるのであって、利益を得ることは本会ではないのです。

時に、長い成長の過程において一時の楽しみとしてそういうのもありでしょう。たまに楽しんだり休むことは必要です。とは言いましても、そのような興味本位のスピリチュアルが本筋ではないことは知っておく必要があるかと思います。



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