子供の頃に長い期間虐めを受けると、その子供の脳の発達は平均して20〜30%も一般的な子供に対して萎縮しているという研究結果があることをよく聞きます。私もその一例であったかと思いますが、おそらくは、一般的と思われている人であったとしても、本来の日本人の脳の発達と比べれば数十パーセントは萎縮しているのではないかと思うのです。
・本来の日本人
・一般的な日本人(数十パーセント萎縮)
・虐めを受けた日本人(更に数十パーセント萎縮)
ですから、ほとんどの場合において、本来の日本人になるためにはかなりの意識の変革が必要で、それは理解するとかいうのはもちろんですが、それ以上に、脳の萎縮を解消させること、それこそが必要だと思うのです。
そして、そのような状況になってしまったのは、おそらく、20世紀以降の外圧による巧妙な対日政策が悪い効果を発揮してきたのであり、それは悪意を持って、あるいは、日本人に対する恐怖がそうさせていたとも言えるかもしれません。GHQの3S政策(スポーツ、スクリーン、セックス)はよく知られたところですが、それのみならず、日本人が自分たちで足を引っ張り合うような状況を作り出すよう、マスコミの世論誘導なども含めて、20世紀以降に巧妙に長い間、仕組まれてきた状況だったと言えます。
マスコミできらびやかな生活を宣伝し、それはマーケティングとなって物欲を駆り立てるだけならばまだしも、それが嫉妬や恐怖、怒り、妬み、ひがみ、といった感情を作りだし、人々の中に劣等感を熟成させたのです。そして、バブルの時代の世代によくあるように、すぐに怒鳴るような、強欲で妬みっぽく、時には物腰が柔らかいと思えば自分の思い通りにならなければすぐに不機嫌になり、自分の利益には貪欲な、非常に日本人らしからぬ人々を大量生産したのです。そのような人たちにより、家庭内あるいは学校、地域社会におけるヒエラルキー形成および虐めの常態化、はたまた年代間あるいはカテゴリごとの虐めの構造の連鎖といった状況も作り出しました。そうして、長年に渡り、他人の心や行動を萎縮させる、制限させる、考えないようにさせる、という状況を作り出してきたといえます。
そのような状況にあっては、むしろ、積極的に他人を貶めて虐めて勝利した人だけが脳の萎縮を免れた、という状況であったように思います。そうすると、欲深くて強欲で力も強い人がより賢くなる、という、いわゆる悪がはびこる世界になってしまったわけです。そして、脳が萎縮してしまった善良な多くの市民は愚かになり、自分で考えられなくなり、奴隷のような精神状態で日々を過ごすようになってしまうわけです。
そして、スピリチュアルの嘘として、「どのような人生であろうとも自分が選んだ」というお話がありますが、このような宣伝はむしろ、勝者が敗者あるいは奴隷に対して「貴方の奴隷の人生は自分が選んだのだから甘んじて受けなさい」という、勝者による論理なのです。実際のところ、それは本当のことを歪んで解釈しているのです。その本来の文脈でいう「私」とは「ワンネス」のことであり、この世界そのものです。であれば、そのような運命論のお話や意思表示のお話ではなく、単に、この世界全てが「私」というワンネス意識において存在しているのだから、どのような人生であっても全てそのワンネスの「私」の人生であり、そのコンテキストにおける「私」であれば、自分が選んだ人生であるのだから、全て「私」が選んだという、当然といえば当然のお話をしているだけなのです。それを、自分の都合よくスピリチュアルのお話にして他人を萎縮させコントロールさせ、成長させないように貶めるようなスピリチュアルの嘘と罠が巧妙に張り巡らされているのです。
虐めに対して「虐められる方が悪い」みたいはお話がありますが、それもスピリチュアルの嘘では割とそのようなお話が肯定されますが、それは状況次第でありますので、必ずしもそういうことは言えないどころか、基本的には虐める方が悪いのです。
この種のお話は、まず、根本に戻って考えれば簡単に理解できます。重要なのは、誰が劣等感を感じているか、というところです。劣等感を感じていれば妬みが生じ、他人に対する虐めが発生します。であれば劣等感を感じている方が虐めているということになります。一方、それに対して反撃をした場合、逆に、劣等感を感じている方が虐められているという構図に見えることがあります。その場合、ある意味、けんか両成敗ということになりますが、そのコンテキストにおいては「虐められている方が悪い」ということも言えなくもないですが、やり過ぎているのであれば両成敗ということにもなりましょう。
どちらが悪いのかという善悪のお話であればそういうことにもなりますが、根本を見れば、そもそも、このように、日本人同士が足を引っ張り合うように仕組まれているのです。
ですから、善悪のお話を持ち出してどちらが正しいとか悪いとか、そのような目先のお話を持ち出しても大して効果がないどころか、悪とみなされた方は更に反発するか社会の枠組みからはじき出されてしまうのです。そうなると、世代を超えて悪い影響が出て、海外では問題になってるような「子供のマフィア化」といった状況にもなりかねません。
たちが悪いのが、根本的に無理解で間違った固定観念に根付いていて、考えを直すだけの度量がない割に意外と頭の回転が良くて小賢しい、それでいて、他者から指摘されたら反撃するか虐められたと主張する人たちです。実のところ、そういう人の方が短期的および低レベルの人たちの中では比較的まともに成長しているかのように一見すると見えるのでたちが悪いのです。
これが酷くなると(子供の)マフィア化ということに繋がりますが、そこまで行かなくてもこのようなことは今でも割と一般的な日本人にありがちなことで、小グループ内の井の中ではぱっと見は賢そうに見えてしまう反面、脳が萎縮しているが故に小賢しいという程度のレベルに留まってしまっているわけです。他人を攻撃あるいはかわすことでしか自分を守れない、小市民であるわけです。そして、それが地域での厄介な人であるというのならばともかく、やもすれば半グレになるという状況も作り出してしまうこともあります。
であれば、どうすれば良いでしょう。
まず、劣等感を作り出すような環境にいることを減らすことです。きらびやかな生活、高級な品、豪華な旅行、そのようなものは多くの人の目にとっては毒になりかねません。単純に見て楽しむくらいであれば害にはなりませんが、特にバブル期の番組には他者に対して劣等感を抱かせるような、他者をあざけ笑うことで視聴率を取ろうとするような番組が多くありました。Youtubeになってからはそのような番組は減ってきましたが、まだあるかと思います(私が見ていないだけかもしれませんが)。
ですから、子供が、自分が好きなYoutubeだけ見るようになる、という状況は、一部ではエコーチェンバーやフィルターバブルと言われて悪いことであるかのようなニュアンスで語られることが多いかと思いますが、実のところ、子供の頃に脳を萎縮させない、健全に日本人としての脳の成長をさせる、という意味においては意外に悪くはない、むしろ好ましい状況の面もあるように思います。子供の頃からテレビばかりを見て劣等感を感じて成長した子供は頭が萎縮してしまいますが、それより、エコーチェンバーやフィルターバブル状態で自分の(時に歪んだ)認知のまま成長した子供の方が脳が萎縮せずに済み、結局は後々になって成長の余地があると思うのです。
教育においても、多くの教科を学ばせるよりは、自分の好きなことだけを重点的にやらせれば他の教科は自動的に伸びていく、というようなお話もあります。それはというと、好きなことをすることで脳が発達する、ということでもあると思うのです。であればエコーチェンバーやフィルターバブルで自分の興味のあることだけに集中できるのは好ましい状況であると言えます。
その時に、あまり偏りすぎないようにするための大人の手引きは必要かと思いますが、自分の興味のあることだけやるのはさほど悪いことではないように思うのです。そうすれば、外圧の悪い影響を排し、良い成長をすることができます。
もちろん、大人になるまでに多様なことを学ぶことは必要だと思いますが、それは大人になる頃までに学べば良いことです。その頃までに脳が成長し、多くのことを素早く学べるようにもなっているでしょう。しかし、脳が萎縮してしまうと理解度も低ければ記憶力も頭の回転も低い状態のままになってしまうのです。
ですから、子供の頃は特に、子供に対して怒鳴ったり叱ったりしないことです。よっぽどの時はそういうこともあるかもしれませんが、怒るのは5年や10年に一度くらいにしておくか、あるいは、本当にあきれて見放す寸前に怒るくらいにしておくべきです。それはどのような子供かにもよりますが、基本的に日本人の子供はそれなりに元のスピリチュアルなレベルが高く、と言いますのも日本人は基本的に天界(神界)の住民の転生ですので理解度も高く、スピリチュアルなレベルが基本的に高いことがほとんどだからです。ですからあまり怒ることもない筈ですが、時に、そういう魂ではない子供もいるかもしれません。
そのような子供は最近そうなったかのように言われることがスピリチュアル業界ではよくありますが、割と昔からそうであるように思います。天界と言っても神様のいるところと、一般庶民がいる天界とは少し階層が違って、神様がいるような天界は少し上等ですけど、どちらにせよ、どちらも天界には変わらず、最近は少し天界が全体的に上昇して天界というよりも神界に近くなってきましたが、どちらにせよ、他の国とはレベルが少し違うわけです。
昔:(庶民の住む)天界、そして(神様の住む)神界
今:割とどちらも神界寄りになってきた、混ざってきた
昔は、足の引っ張り合いをするような教育および環境がありました。今は、本来の日本人の性質を出しさえすればすぐに良くなるような状況です。それは認知を変えるということならず、しっかりと脳を本来の日本人の程度にまで成長させるということです。それは大人になってからでもできることで、脳が固まっている状況を解除して、成長を再開させるということでもあります。
そのために、ヨーガの手法や瞑想が役に立ちます。時間がそれなりにかかることでもあります。
時に、交通事故や某かで急激にそうなることもありますが希ですしリスクも高いので、基本的には時間をかけてやっていくのが良いかと思います。