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覚醒だとか悟りだとかの大半は気のせい

2022-02-27
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

第三の目が開いた、とか、チャクラが開いた、とか、色々とありますけど、割とそういうのは気のせいだったりするわけです。

魂の遍歴に応じてこの辺りのレベルが人によって違いすぎて、一部の人で言われていることは割と大多数の人にとってはその気になるだけの話だったりします。話を聞いてなんとなくその気になる、というのが割と多くて、その次にちょっとあるものとしては、少なからず外部からの干渉があって、ほんのちょっとではあるものの、高次元の存在からの働きかけが時折起きていたりもします。全くチャクラが開けていない人には何も届かないわけですけれども、日本の場合は割とスピリチュアルな人たちが生きる社会ですので、かなりの人のチャクラが多少は動いている状態のように思います。低次のチャクラだけでもインスピレーションを多少は受けることができますが、それで覚醒とか悟りかと言うと、そうでもないわけです。

ほとんど全ての人が実はインスピレーションを受けているのですが大抵の場合はそれに気づくことなく、気づいたとしても、スピリチュアルな解釈をするスピリチュアル初心者の場合はそのほんの一瞬だけで覚醒だとか悟りだとかチャクラだとか言い出してしまうか、あるいは、スピリチュアルでない人の場合は「自分」が主体となってアイデアを生み出した、みたいに解釈してしまうのがせいぜいなわけです。

一瞬だけ聞いてその瞬間「あれっ」て思うくらいなら割と誰にでもできて、それはまだ覚醒とか悟りではなくて、チャクラもそれほど開けていないわけです。そもそも、誰しも多少はチャクラが開けているのが特に日本では普通なのであって、インスピレーションを受け取れるのが普通なわけです。

ですから、特に何も変わっていないのですけど、そういうお話を聞くと自分もそうかも、みたいにそれっぽく感じてしまうわけです。実際、ちょっとは誰しもが開けているので、心当たりはあるわけです。

実際のところ、元々無意識で受け取っていたそれらのインスピレーションと顕在意識が統合されてくるとそれらはインスピレーションとしての一瞬ではなくて常時繋がっている普通の認知として認識されますので、明確に「それ」と分かります。これをクリヤボイヤンスと言っているような人もいるようですけど、明確にそのインスピレーションの声を聞けるようになります。そうなるともはやインスピレーションとは言わなくて、単にクリアに声を聞くようになります。顕在意識の認知にもしっかりと残るようになります。

インスピレーションとして聞いているときは顕在意識の認知に残りにくくて、すぐにメモするなりしないと忘れてしまいますけど、クリアボイヤンスのように明確に顕在意識で聞けるようになると普通に声で会話したり音声を聴いた時と同じように顕在意識の認知に残るようになります。そうなってくるとようやく多少はチャクラが活性化してきたかな、ということになるわけですけど、そうなる前は、特に何も変化がなくて、最初から多少はチャクラが動いているというだけなわけです。

そのことをチャクラと表現することもできますし、意識がクリアになった、あるいは、手放しが進んだ、手放しができてきた、みたいに表現することもできます。割と同じようなことではあります。実際には明確な区分がありますけど、まあ、それは各々、追求すればいいと思います。

ヨーガとか一部の流派のスピリチュアルをやっている人は割とゼロイチで考えやすいことがあって、開けているか開けていないか、みたいなお話になりがちですけど、それは明暗で度合いが違うものなわけです。

例えばヨーガの一部の流派では「チャクラなんて上級者のことだから初心者の皆さんには関係のないこと。気のせいだ」みたいに言う風潮があって、確かに一般的にはそうなのですけど、特に日本人の場合は割と高次のスピリチュアルで最初から生まれてきている人がぼちぼちいますので、ヨーガみたいにインドの物理的な社会で生まれた流派の常識をそのまま当てはめてもしっくりこないのかなとか私なんかは思ってしまいますけど、まあ、それでも、確かに一般論としてはその通りですし、特に異論があるわけでもないのでそう言うことを聞いてもスルーしたりしています。

確かに、チャクラが本格的に関係してくるのはクンダリーニが動き出した後で、しかも、一旦サハスララにクンダリーニが上昇した後はそれぞれの7つのチャクラとしてではなくアジナとアナハタが一体になって動き出して統合されたチャクラとして動き出しますので、チャクラが関係してくるのはその階梯においてであって、クンダリーニ以前は7つのチャクラはあまり関係ないですし、ある程度のスピリチュアルの成長がなされた後も、もう7つのチャクラはあまり関係なくなるわけです。

私が見たところ、生まれた最初からこの最後の段階で最初から「統合されたチャクラ」で生活しているスピリチュアルな人が日本にはそれなりにいて、それらの人は、チャクラのことなんてよくわからなかったりします。

チャクラが気になると言うことはクンダリーニが関心事の段階にいると言うことですので悟りに到達していない可能性が高いわけですが、チャクラのことがわからないという場合、まだクンダリーニ以前なのか、既に最初からクンダリーニ後なのか、という違いがあるわけです。

そんな生まれながらにスピリチュアルな人であったとしても最終的な悟りとか覚醒とか言うには今一歩、という感じだったりしますので、まあ、大抵の人はそれっぽい気がしたとしても、文字通り、気のせいなことが多いわけです。

百年前ほど前までは、生きているうちに悟りまで行く人は割と生まれながらに悟りに近いことが多かったように思います。ですけど最近は変わってきて、急激なスピリチュアルな成長を遂げている人が増えてきましたので、最初は気のせいだったとしても、そう悲観することはないようにも思います。



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