低い慈悲から感謝へ、そして高い慈悲へ

2022-02-13 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

慈悲というものは今までそれほど深く考えてこなかったのですけど、ここに来て、日常生活で何気なく感謝をして喜びが何度も湧き上がってくるような状態になってから、改めて慈悲とは何だろう? ということをことあるごとに瞑想中に思念で問いかけていたりします。

慈悲というものを抜かした場合、段階としてはまず静寂の境地があって、次に感謝、があるのですけど、このあたりに慈悲というものがどのように関わってくるのかが不明で、慈悲の正体を知るのが課題でした。今までの感覚で言うと、静寂の境地の次にはそのまま感謝の段階へと入っていて、慈悲というものの正体がよくわからないでいました。

そうして疑問を持ちながら何度か瞑想をし、注意深く観察していてふと気付いたのですが、どうやら、感謝の前後に低い慈悲と高い慈悲がそれぞれあるようなのです。順番としては以下のようになるようです。

1.静寂の境地
2.低い慈悲、感じる慈悲
3.感謝。周囲に対する有難いという気持ち
4.高い慈悲、他者へ働きかける慈悲

不意に、特に意図せずして「ハートでただ[[link:/2022/2589/ ありがたい、ありがたい、と思う瞑想」に至った私としてはあまり慈悲というものの位置付けを意識していなかったわけですけど、愛と感謝と慈悲の関係および仏教などで言われている慈悲とは一体何だろう? という疑問が出てきたわけです。

そうして慈悲という観点を持って観察しながら瞑想をしていると、どうやら、慈悲と呼んでも良いものは「感謝」の状態の前後に挟まっているように思えたわけです。

低い慈悲は他者への共感という形で現れ、それは静寂の境地の後に現れました。

まず静寂の境地に至り、低い慈悲が現れ、そうして更に瞑想を続けると気持ちが高まり、感謝の気持ちが湧き出てきて「ありがたい」という気持ちに包まれます。その後に、更には高い慈悲として他者へと働きかける慈悲が少しづつ出てくるように思います。

私の段階で言いますとまだ感謝がメインであってまだ高い慈悲という段階にはそれほど入れていない気が致しますけど、おそらくは順番としてはこういうことなのかな、というように思います。

階梯を見てみると「感謝」が低い慈悲と高い慈悲に囲まれていて、それなら感謝の段階も慈悲でいいじゃないか、という気もしないでもないのですけど、感覚的なものではありますけど言葉で表そうとするとやはり真ん中は「感謝」がしっくりきて、上記のように、2と3が慈悲、とするのが言葉的に適切のように思います。

言い換えれば、2番は低い感謝ということもできて、そうなれば3番は中くらいの感謝、4番が高い感謝の気持ち、と言えなくもないと思います。