エネルギーがアジナやサハスララに満ちるのをただ待つだけの瞑想

2021-03-04 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

以前は、瞑想中にエネルギーを操作して陰陽エネルギーを混ぜ合わせるということをしていました。

今は、ただ座って手を膝の上に置くか前で手を組んで眉間に意識を合わせているだけです。

以前はマントラを唱えて効果がありましたし、今もエネルギーが部分的に通っていないと思う時は同じようにマントラを唱えて効果がありますけど、基本的にはマントラは唱えない瞑想を最近はしています。たまに思い出してマントラを唱えてみたりもしますけど効果がないことの方が最近は多いです。効果がないというよりはマントラが効果のある部分に関しては既にエネルギーが通っているので、エネルギーがきちんと通っているかどうかを確認するという意味においては効果があるとは思いますし、エネルギーが通っていなければマントラによってエネルギーが通りますので、確かめのために少し唱えてみるのは有効かなとは思っています。しかしながら基本はあまりマントラに頼ることは最近はなくなりました。

最近の瞑想は、特に呼吸に意識を合わせることもなくなりました。かなり昔は呼吸瞑想と言って呼吸に意識を合わせることもしましたし、それはそれで効果があったと思いますけど、最近はしませんね。

また、ナーダ音に意識を合わせる瞑想というのもしていましたが、最近はしませんね。ナーダ音を使った瞑想はハタヨガプラピディカに書かれていて、ナーダ音に意識を合わせることでサマーディ状態に導く、とあります。それはそれで有効でそれなりに長い間、ナーダー音に意識を合わせる瞑想をしてきました。

瞑想にて意識を無にせず意識を保っておくということは重要で、そのためにナーダ音の果たした役割は大きかったと思っています。しかし、今はそのようなナーダ音に頼ることはほとんどなくなりました。たまにナーダ音に意識を合わせてみたりもしますけど、基本はナーダ音の瞑想は最近はしていません。

最近は、文字通り、座って眉間に意識を合わせてただエネルギーがアジナやサハスララに上がるのを待つだけです。

エネルギーが上がれと念じたりはしませんし、以前のようにぐるぐるとエネルギーをオーラの手のようなものでかき混ぜて上げたり下げたり、ということもしません。

このやり方は割と古典ヨーガで言われていて、瞑想は座って眉間に意識を合わせなさい、とはいうものの、以前はどこかしっくりきていませんでした。多少の効果はありますけど、眉間よりは後頭部の方が意識を合わせる場所としては安定していました。

ですから、この古典ヨーガの眉間に意識を合わせるというやり方はそれなりの納得はあったとは言え、どこか、それは違うのではないかという疑念のようなものがありました。

しかしながらここに来て、古典ヨーガの教える通り、ただ座って眉間に意識を合わせるだけでエネルギーがアジナやサハスララに満ちてきて、特にそうなれと意図しなくてもただ文字通り座って眉間に意識を当てるだけでエネルギーがそのように動く、という感じになってきています。

以前もそうなることはありましたし、眉間や後頭部に意識を合わせていて不意に意識が静寂になったりもしていましたが、最近のように、文字通りただ単に座って意識を眉間に合わせているだけ、というよりは、もうちょっと色々と何かしていたように思います。

かと言って、最初から古典ヨーガのやり方だけをしていたら良かったとは思えなくて、やはり、その時々に合わせたやり方があったのだろう、と思っています。

確かに今となってはこの古典ヨーガのやり方が一番しっくりきていて、それだけで十分なのではないかと思うことも最近はあるにはあるのですけど、かと言って他の人にそれだけしていればいいとは言いませんし、おそらくは古典ヨーガのやり方だけで成長するのは特にこの現代においては困難なのではないかとも思います。

そうは言いましても、今となればこの古典ヨーガのやり方が一番しっくりきているわけで、もしかしたらしばらく経てばそれだけでいい、という理解になるかもしれませんが。

一方で、それだけでなく他の方法もあるかもしれない、という探究心と言いますか選択肢の余地は残しておくべきかなとは思っています。その上で、今はこの古典ヨーガのやり方が一番しっくりときています。

古典ヨーガにおいては、雑念はほおっておけばエネルギーを失って消えてゆく、とも教えていて、その点もしっくりきますけど、それはちょっと別のお話です。

今は、文字通り、座って眉間に意識を合わせるだけの瞑想をしています。エネルギーの操作もせず、雑念が出ても観察状態で意識は保たれて雑念の発生と消滅を観察しています。そうして、意識を眉間に集めているだけで次第にエネルギーがアジナやサハスララに満ちて静寂の境地、観察状態、サマーディ、ヴィパッサナー状態に至るわけです。