静寂の境地に浸ることを許さない奥深い意識

2020-12-04 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

少し前までは静寂の境地に至ると平らな状態になっていわゆる平穏あるいは流派によっては涅槃と言うに相応しい状態になっておりました。

今は、静寂の境地に達すると奥深いところに意識が存在するようになって、涅槃の別のバージョンみたいになっています。ただ、これは流派によっては涅槃とは言わないようですが、なんとなくの概念としてとりあえずは涅槃としておきます。

最初は、この状態は少し戻ってしまった状態で再度涅槃に至る必要があるのかなと思っておりましたが、今の理解としては、涅槃には違わないけれども奥深い意識が現れ出したのではないか、と解釈しております。

これは、言葉で説明するとちょっと難しいですね。

涅槃の境地に至る前はある程度の静寂の境地とリラックスが段階的に現れていました。そのような段階的な静寂の境地とリラックスは今もあるのですが、以前との違いとしては、涅槃の境地に相当するところでも地平線の彼方まで見えるという感じではなく、胸の中に何かが脈動している、という感じです。

涅槃の時は胸のあたりに何もなくてお腹のあたりにオーラが凝縮されている状態でした。頭のタマスをハートや下半身に落とすことで静寂の意識に至っていたわけです。

基本は似ていて、今も同様に頭のタマスをハートや下半身に落とすわけですが、昔と今の違いとしては、昔はハートのあたりに感覚がなくて下半身に落ちていたのに対し、今は、ハートがそれらのヴィシュッダで浄化されたタマスを受け取る、という感じになっています。

昔も今も後頭部に集中するというところは変わっていなくて、後頭部に集中しさえすればタマスが集まってヴィシュッダに吸い込まれる、というのは同じであるわけですが、その後、以前は下半身に落ちて涅槃になって、今はハートの核で動いている奥深い意識で受け止めている状態なわけです。

これは、かなり段階は違うのですがかなり昔、ナーダ音が聞こえ始めた頃にも似たようなことが起こったように思います。ナーダ音が聞こえるようになる少し前は「無」の状態になって完全に心が停止して無意識で完全にリラックスした状態になったのですが、1週間くらいでナーダ音が聞こえてきてその「無」を妨げ始めたのです。ナーダ音によって意識が起きている状態を強制してきたわけです。

今回は、その時とは状態はかなり違うのですが、涅槃に留まって安寧に過ごしていたら奥深い意識動き出した、と解釈することができます。

ナーダ音が現れたときは、無の意識に落ち込んでそのまま過ごすことを許さない、という感じでした。ナーダ音が現れる前の1週間は無の意識での完全なるリラックスを楽しんでおりました。しかし、そのような眠り込むような無の意識にずっと留まることを許さない、といわんばかりにナーダ音が聞こえてきました。

今回は、涅槃によって意識が停止して静寂の境地における完全なる無意識いわゆる「空」のような状態を楽しんでいたらその奥底からまた深い意識が現れ始めて、涅槃で無意識に留まることが許されない感じです。

今回はナーダ音のように音というわけではなく、胸のあたりにある、奥底から突き動かされるような感覚です。その感覚が奥深くから私を揺さぶるというか圧力を内から外へとかけている感じで、涅槃の安寧の状態に安楽に留まることをその奥深い意識が許していない感じです。

タマスの無の眠りにせよ、今回のような涅槃の静寂の境地にせよ、どちらも悟りではなくて、まだ先があるということだと思います。


(追記→ どうやら禅宗的にはこれは涅槃と言わなくておそらくは第四禅定です。流派によって涅槃の位置付けが異なるようですね。後日詳しく書きます。)