タマスな瞑想あれこれ

2019-11-27 記載
トピックスピリチュアル

先日タマスな瞑想について言及しましたけど、語弊もあったかもしれませんので少し書いておきます。

タマスな瞑想になるのは主に2時期ある気が致します。

・ナーダ音が聞こえる前、雑念が多い時期から雑念を抑えて「無」の瞑想になる時のタマスな瞑想
・ナーダ音が聞こえた後、雑念もかなり減って雑念がほとんどない瞑想になった時。エネルギーのレベルがまだ比較的低い状態の時。自身はサットヴァな瞑想をしていると思っているかもしれない状態。後から見ると比較的タマスな瞑想。相対的にタマスな瞑想だが割とサットヴァが増えてきている状態。これをタマスと呼ぶかどうかは微妙だがタマスと呼べなくはない瞑想。

タマスとかラジャスとかサットヴァとかは主観的なものですので、なかなか誤解があるような気もしています。

私の場合はタマスな「無」の瞑想に入って数日か1週間前後くらいですぐにナーダ音が聞こえ始めましたので、最初「無」のタマスな瞑想に入れたときは「こんな安らぎの瞑想があるのだ」と喜んでタマスな何も感じない、それを安らぎといえば安らぎでもある瞑想に入っていたのですが、1週間前後したらすぐにナーダ音が聞こえ始めてタマスな瞑想に入るのを遮るようになりましたので、最初はナーダ音がむしろ邪魔に思う時もありました。最初は、タマスな瞑想に入るのを邪魔する音だと思っておりました。

ですが、今から思えばそれはタマスな瞑想でしかなくて、ナーダ音を観察することで雑念が消えてゆく体験をしたわけです。

タマスな瞑想をいくらしていても一時的に心が止まるだけで、タマスな瞑想を抜ければまた雑念が復活します。それはそれで安らぎの瞬間ではあるのですが、一時的なものであるわけです。

その後、ハタヨガプラピディカにも記載されているナーダ音の観察を続けてようやく雑念が本格的に減り、現在に至るわけです。

続き: ナーダ音は瞑想中の眠りを許さない