このような勘違いがスピリチュアル業界に蔓延しているように思います。具体的には、次のようなことです。
・ハイヤーセルフは全ての人に共通で全て同じ性質を持つ
・ハイヤーセルフは完璧
・ハイヤーセルフの人格は全て同じ
・ハイヤーセルフは無謬無疚(むびゅうむきゅう)誤りがなく、やましさもない、完全に正しい状態
・ハイヤーセルフは寄り添ってくれる存在
・ハイヤーセルフは生まれる前の大元であり、生まれた後に自身が戻っていく場所であるところの存在
合っているようなそうでないような、様々な誤解があって、それ故に、「ハイヤーセルフに繋がれば全て解決」、というような更なる勘違いを生んでいるように思われます。
まず第一に、ここでいうハイヤーセルフが自身のスピリットそのものなのか、あるいは、生まれる前のグループソウルから分かれた自分の分身であるのか、あるいはハイヤーセルフがグループソウルを意味しているのか、どのコンテキストで話しているのか人によって意味合いが大きく異なってきます。
■コンテキスト
・個として
・集合意識として
具体的には以下のようなものです。
・ハイヤーセルフが自身のスピリット(時空を超えていない現在の自身のスピリットの場合と、時空を超えて他の時間軸あるいはパラレルからの関与の場合)
・ハイヤーセルフは自身と同じグループソウルから分かれた存在(スピリット)。自分とは異なる、しかし大元は同じであるので一応「自分」とも言える存在・スピリット
・ハイヤーセルフがグループソウルそのもの(その集合それ自体でも大きな個としての意識があり、個といえなくもないが、分霊から見た時の大元であるという意味における集合意識)
ですから、ハイヤーセルフと言ったときに個としてのスピリットを意味するのか、あるいは、グループソウルのことなのかで大きく分かれるわけです。ですが、多くの場合では個としてのスピリットを意味しますのでひとまずそこだけにフォーカスしたいと思います。それに、とあるスピリットが個なのか集合意識なのかは見方によるもので、全て個と言ってもそこまで間違いではないからです。視点によっては集合意識と感じられつつも、と同時に個の意識でもあるわけです。
その観点で言えば、実のところ、ハイヤーセルフと言いましても、結局は一人のスピリットであり、ハイヤーセルフと各自が認識するものは自身のスピリットであるわけです。そして、各自の状態によって認識が異なってきます。
まず、肉体としての低次の意識とハイヤーセルフが合一していない状態があります。とある人が、未だ蒙昧な意識状態に居る場合、自身のスピリットと自身の体とが、どこか「ずれて」いたり、あるいは、重なってもいずに空中に浮いている、上から見られている様な状態になっていることがあります。これは精神的にも分離していて、物理的な意識状態が顕著に表れ、スピリチュアルなことが未だによく分からない状態です。ですからスピリチュアルで「分離」と言われているわけです。
このような時、自身が「他者」の存在としてハイヤーセルフを認識するのは2つの可能性があります。
・自身のスピリット
・同じグループソウルから分かれたスピリット(ガイドと呼ばれる時もある)
一方、ある程度のスピリチュアルな成長が見られ、自身のハイヤーセルフたる自身のスピリットと体とが一致して合一している場合は、ハイヤーセルフたるスピリットは自分の内に座っています。
この時、自身のスピリットは外にはいませんので、外でハイヤーセルフを感じられるとすれば残るもう1つの可能性になります。
・同じグループソウルから分かれたスピリット(時にガイド)
ですので、ハイヤーセルフとしてもし外側に認識できるものがあるとすればそれは自身のスピリットではなく同じグループソウルから分かれたスピリットであり、それは信頼できますのでガイドと呼ばれることもあるわけです。
このガイドは様々な性質および目的があって、生まれる前にそのようにガイドとして寄り添うことを決めたスピリットである場合は英智を有しており、その英智はというと生まれる前に決めた計画を全て保持しています。肉体を持って生まれた方はなかなか思い出せなくても、ガイドたる自身の片割れの方は高い知性と方向付けを示してくれるのです。ですから肉体を持った自身から見ると完璧かのように思えるようなことがあっても、完璧というよりは、良き方向に辿れるよう、道しるべとして誘導してくれるような存在な訳です。
その他の場合もあって、同じ自分というスピリットが時空を超えて関与してきている場合もあります。これは時間軸のみならず空間・パラレルワールドを超えた関与があります。何か行動を失敗したり改めたいと思った時は時空を超えて過去あるいは未来の選択に関与する場合があり、そのような時は、同じ自分のスピリットでありながら外側から自身の人生に介入するわけです。
ここまで理解すると、最初に挙げたような誤解も解けるのです。
・ハイヤーセルフは個としてのスピリットでありますから全ての人がそれぞれ「持つ」と言うよりは「私」としての存在そのもの。よって、それぞれ違う性質を持つ。
・ハイヤーセルフはスピリットでありますが完璧ではない
・ハイヤーセルフは個としてのスピリットでありますから人格は全て異なる
・ハイヤーセルフは個としてのスピリットでありますから誤りや間違いも内包する(全体として見た時に全て正しいというお話は成り立つがそれはまた別のお話)
更には、ガイドとしての性質を持つハイヤーセルフは完全な存在ではないため、その導きすらも間違っている可能性があるということです。その上で、肉体を持つ自身にはない、時空を超えた視点を持ちますので、そうは言いましても肉体を持った自身よりは遙かに英智がある存在であるわけです。
そして、寄り添うガイドというものが常にいるかどうかは、人によってはいつも寄り添っているのは確かだということは確実であるのですが、必ずガイドがいるかどうかは、確信がありません。と言いますのも、何か使命を持っている場合は生まれた時にガイドとして自身と同じ出自のスピリットがガイドとして寄り添うのですが、そうではない場合、おそらく寄り添うガイドはいないのではないかと思うのです。このあたりは確証はないのですが、特に理由もなく1人のスピリットとして彷徨い、この地上の世界を遊ぶ場合、寄り添うガイドはいないように思うのです。
それとは別に、チームとしてのガイド役はいて、それは常に人を見ているというよりは見守る存在はいて、それをガイドと呼ぶこともあるように思います。しかしながら、そのチームのガイドは必ずしも自身のスピリットと出自が同じわけではないように思いますので、ハイヤーセルフとしてのガイドはおそらく必ずしもいるわけではないように思うのです。
そのような場合であっても時空を超えた自身のスピリットの介入は時折行われますので、そのような時に、地上の人間は高次のスピリットの意思を感じるわけです。
さて。ここまで理解すると、スピリチュアルで言われている各種のハイヤーセルフに対する誤解も解けることになります。
例えば、時折スピリチュアルで耳にする言説「それは、ハイヤーセルフに繋がっていないから問題なのです」みたいに、あたかもハイヤーセルフに繋がれば全て解決するかのような誤解があります。確かに、上に書いたような意味合いにおいて、自身のスピリットと分離しているような人であればそういうことも言えますが、ハイヤーセルフと繋がったところで自身のスピリットと繋がっただけであり、そうなったからといって終わりではなく、むしろ始まりであるわけです。
霊能力者あるいはチャネラーと名乗るYoutube教祖あるいはスピリチュアルな教師の中にはこのあたりのことが分かっていない人がそれなりにいて、それでいて、他人の何かおかしい行為を揶揄しては「あの人はハイヤーセルフに繋がっていない」などと面白おかしく言って再生数を稼ぎ、あたかもハイヤーセルフが全て解決するかのような誤解を蔓延させているように思います。
スピリチュアルな認識がない状態においてはエゴ(それはヨーガでいうアハンカーラ)が優勢で、その状態としては何が自己なのかを誤って認知しているわけです。その状態から誤りを正して自分のハイヤーセルフ(それはスピリットである)に立ち返る、繋がる、という段階は必要ではあっても、かといって、それだけで全てが完了するわけでもないのです。
ですから、ハイヤーセルフと繋がるのはスピリチュアルの初期における一つの通過点ではあっても、ハイヤーセルフが全ての解を持っているわけではないのです。使命を持っている場合は導きの意味におけるガイドはとても有用になります。そうではない場合、ハイヤーセルフとは要は自身のスピリットであり、そうであれば、英智は限られているのです。
話はもっと単純で、個々のスピリットがこの世界を探索して、それぞれの意図を持って活動しているのです。そのいずれかのスピリット高次の愛を見つけることがあったとしても、個々のスピリット(それはハイヤーセルフである)が必ずしも高次の理解と愛に達しているとは限らないわけです。
地上の蒙昧な人生に対し、自身のスピリットと繋がるのはスピリチュアルな大前提であるのですが、繋がらないとしても、そのような、分離の状態を生きることで理解できることが多くあるのです。そして、そのような蒙昧さを体験することこそが「知る」ことになり、とても重要な意味を持つことがあります。その状態にただ留まっているだけでは輪廻の人生に留まってしまい、欲望と消費を繰り返すだけになります。そこを超えてスピリチュアルに目覚めることが必要なのはそうだとしても、地上の蒙昧な人生にもそれなりの意味があるわけです。
それぞれの経験を通じて学び、ハイヤーセルフと繋がり、そして時に使命を果たすこともあり、そうでなければ一人のハイヤーセルフとして探求を続けるわけです。
人によってはその過程でこの世界のスピリチュアルな側面を見つけるでしょうが、それは元々ハイヤーセルフが知っていれば良いですが英智はそれぞれ異なり、ハイヤーセルフが普遍的な存在であるという誤解を取り除けば、そこに残るのは結局は一人のスピリットであり、この世界の有り様とは、各自のハイヤーセルフたるスピリットが探求を続けて真実に到達する物語の集合であるわけです。