自分の利益しか考えられない人を憎まずにいられるようになった

2025-05-18公開 (2025-04-17 記)
トピック:スピリチュアル: 回想録

以前はそのような人を見ると憎んでいて、いわゆる悪あるいは低級な人だと見做していたように思います。今は、そういう人もいるのだと客観的に受け入れられるようになりました。世の中には、他者に対して分かち合いとか譲り合いとかお世話になるという感覚がほとんどなく、他者から奪うことこそが当然だと思っている人が一定数います。そういう人が社交辞令で良い人を装っていたとしても本当の姿は別にあるわけで、ここでいっているのは本心のことであるわけです。社会で普通に暮らしていても、実のところは他者から奪うことを生きがいにしている人は大勢いらっしゃいます。

そのような人は、誰か他の人が好意でしてくれたことに対して、表面では感謝したとしても、本心は感謝するどころか、逆に、他人のために行動する人を小馬鹿にしたり罵ったりします。他者とは搾取の対象でありますから、何か要求してしてくれたのであれば、それは全て自己の勝利であるとみなすのです。

このような人は世間に大勢居るわけですが、どうやら、私が幼い頃からそのような人と密接に付き合わざるを得ない環境にいた理由はというと、その種の人を理解すべきだったからなのだと思うのです。

これは男性・女性に関係なく、男性であれば力で奪うわけですが、女性であれば性的魅力で奪うわけで、そこはさほど変わりがないのです。男性であれば他者から得たものは自身の勝利であると誇りますし、女性であれば男性から得たものは自身の若さと美貌の勝利であると誇るわけです。手法は違えども、他者から得たことに対して自分の勝利であるとみなす点に関してはさほど変わりがないのです。

そして、これを理解する鍵となったのは、世間一般で言われているスピリチュアルというものが結局は勝利するための道具でしかない、ということを理解する点にありました。大抵の場合、他者に自発的に何か自分のためにしてもらうために、スピリチュアルという道具を利用しているのです。それは自己実現と言われたり、はたまた、引き寄せの法則と呼ばれたりします。

長い間、この地球育ちのスピリチュアルにとても違和感を感じていました。

そして、世間でスピリチュアルと言われている人たちの多くは他者をコントロールして自分の利益に供するためにスピリチュアルをしているという真実に気がつきました。

当人たちの言葉を借りれば、「スピリチュアルによって現実を変えられるようになると楽しくなる」と言います。物理的世界にせよスピリチュアルにせよ、要は他者をコントロールして自分の利益になるように現実を動かすことこそが今の多くのスピリチュアルのレベルであると言えます。

それはというと、現実の世界において自分の利益しか考えられない人がただ単に目に見えないスピリチュアルの世界を利用しているに過ぎなかったのです。

実のところ、私は元々、スピリチュアルの世界とは現実世界の欲望の世界の願望実現とは違うものだと思っておりました。と言いますのも、私のスピリチュアルの根本は幽体離脱にあって、子供の頃の幽体離脱において自身のガイド・守護霊や自分の大元となったグループソウルとも言える存在、はたまた天使など、多くの存在と会って見解を得ていたからです。

ですから、その後、スピリチュアルと言われている業界で同じような話が出来るかと思えば、その大半はというと現実の利益を追求して現実を変えるというお話ばかりで、そのために儀式(リチュアル)をしたり現実を変えるための勉強をしたり、結局は求めているところが現実の世界を変えるとか自己実現ということであれば、そのようなスピリチュアルな世界で目指すよりも物理的な世界で目指す方がよほど健全であるように思えたのです。

スピリチュアルの世界というのは思考によって成り立ちますから、思考が間違っていたとしてもその論理は一応は成り立ってしまいます。ですから、思考の修正というものがなかなか効きにくいのです。

一方、現実の世界、特に仕事というのは物理的な制約がありますから、それによって思考が修正されるのです。そして、その制約にぶつかることで思考の間違いを訂正することができるのです。

一方、スピリチュアルの場合は思考の訂正があまり効きません。合っていても間違っていても、その違いはよく分からないことが多いのです。合っている場合はお互いに理解し合えることもありますが、無知な人が他者のスピリチュアルな意見を理解することは時に困難であるのです。

そのように、物理世界でも他者から利益を得ようとする人たちと、スピリチュアルの世界でも他者を動かして利益を得ようとする人たちがいて、そのどちらも私にとってかつては憎む対象でした。いわゆる悪とみなしていたのです。

ですが、最近になってハートが更にもう一段開き、眉間のアジナも以前より活性化した今、そのような低級な思考であっても、さもありなん、と思うようになりました。人はきっと、そのようなものであるのです。ですから人々は苦しんでいるのです。その苦しんでいる人たちを憎んでも何にもならないのです。無知であるが故に、その人たちは苦しんでいるのです。

そのように、一歩引いて、憎まずにいられるようになりました。

きっと、このことを学ぶために幼い頃から自分勝手な人たちの間で生きてきたのだと思います。

そして、今思うのが、その理解こそが地球を救う鍵であるということです。自分勝手な人を憎まず、ただ理解する。それは物理的な面であってもスピリチュアルであっても、自己の利益のために動いている人は、それはそのようなレベルで動いているのだ、と。

そういう人は決まって、他者のためだとか世の中のためだとか世界平和のためだとか大言壮語を言います。しかし、その発言を注意深く眺めると、「他者をコントロールして楽しい」、という感情が浮き彫りになることがほとんどなのです。時にそのようなことを公言したりします。

実のところ、人というのは自由な存在でありますから、他者をコントロールして楽しいというのは自由に反しています。しかしながら、そのような人は色々な言い訳を駆使して他者をコントロールすることを正当化するのです。例えば「悪のヒエラルキーは恐怖でコントロールするが、善のヒエラルキーは秩序のため」みたいな、一見すると尤もなことを言いますけど、その実、「善に入っていないと悪に落ちる」とか様々な脅しをかけて他人をコントロールしようとします。そのような口実に騙されて恐怖によってカルトに従っている人も一定数いるわけです。世界のためだとか大言を言っておきながら、実際やっているのは他人をコントロールして喜んでいるという小さなことだったりするわけです。それがカルト団体や高額セミナーを行うスピリチュアルの実体であったりします。

そうであったとしても、地球のスピリチュアルとはそのくらいのものだ、として、納得して眺められるようになりました。

それは第一に、物理的な世界において他者の利益を搾取しようとする存在に対しての許しであり、また、スピリチュアルな世界において他人の思考と行動をコントロールしようとする人たちに対する許しなわけです。

そのどちらも本質ではなく、本当のスピリチュアルではないわけですが、そのような偽物であったとしても許すことができるようになってきたように思います。

以前はなかなか難しく、自身の利益のために近寄ってくる人を嫌がる風潮がありました。スピリチュアルと言うと、結局は引き寄せの法則で現実を良い方向に持って行きたい、という、そのようなレベルのお話でしかないことがほとんどであったため、それが目的でカウンセリング等に来た人を訝しく思ったこともありました。

今はというと、そのようにスピリチュアルを思い違いしていることは無知故でありますし、致し方ないことかと思うようになりました。

それよりは、少しでも真実に目を向けてくれたら,それで良いのではとも思うようになったわけです。