本当のクンダリーニかもしれないエネルギーが仙骨に一時的に現れる

2023-06-13 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

夜の瞑想にて、おそらく数分かそこらだったかと思いますが、その後、いつものように眉間に意識を集中し、眉間のアジナから喉のヴィシュッダ、そして胸のアナハタにかけて宇宙のエネルギーらしきものを取り込む状態を続けていました。アジナと頭の中心のエネルギー・ルートの開き具合によってこのアナハタ以下にまで降りてくるエネルギー量が変わってきて、この時は、まあ、普通と言いますか、もっと開くような気がするけれども、一応は開いています、と言うくらいだったかと思います。

そして、最近はアナハタが開いて愛を感じやすくなっておりましたので、アナハタにおいても圧力のようなものを感じるくらいエネルギーが胸に充満されていた状態だったかと思います。瞑想中ではありますけど、ふと、昔のことを思い出すように振り返り、確かその時、昔懐かしい曲の記憶が蘇ってきていて、そういえばあの曲で一時的に感じていたのもアナハタの愛の感覚と同じものだったな・・・ とか回想していたように思うのです。「僕たちは、幸せになるため、この旅路を...」から始まる有名な曲ですけど、先日、食堂にて久々に聞いたこの曲で昔のことを思い出したのですが、この曲を聴くと(昔のことを思い出して)涙が出るので外で聴くと周囲から変な目で見られないように平静を装うのです。ですので、食堂で聞いたときに一時的に押さえていた感情を瞑想中に呼び起こして当時の思いを感じていたわけです。

そうしていると、眉間のアジナ(サードアイ)と呼応するかのように、アジナにてもう少しだけ集中が強まり、眉間に圧力が僅かながら強まった状態にて、不意に、背骨沿いの仙骨のあたりで不思議なエネルギーの高まりがあったのです。高さで言うと足の上側と同じ高さの背骨沿いです。ちょうど感覚があったところに手を当ててみてから、そのまま足の方にまで手を前に動かしてみると、足の太ももの上側(前面)の皮膚と同じくらいの高さでした。ですので、背骨の一番下というわけでもなく、おそらくは、大体は仙骨あたりかなと思うのです。その辺りで、今まで感じたことのない、不思議なエネルギーの高まりがありました。

この感覚は言葉で言い表し辛く、色で言うのであれば黄色味がかかった土の色のような茶色のような、明るめの、黄色に近い茶色あるいは黄茶で、黄色と茶色ですと黄色の方が若干強めで、鬱金色 (うこんいろ) を明るくしたような感じで、全てがその色というわけではなく、割と円状か楕円のエネルギーの高まりでしたけど、その円の部分の中に茶色の細かな線が幾つも入っている感じのエネルギーで、その全体が茶色かあるいは白黒に近い感覚で、それは完全な白いエネルギーでもなく、はたまた、完全な黒いエネルギーでもなく、灰色というような「黒」の感覚はなくて、かと言って真っ白でもないわけで、言うならば、ちょっと色がついているけれども、その色は黒が薄まったものでもなく、白を基点としたものでもない、不思議な感覚なのです。なかなか表現が難しいです。

少ししたら、そのエネルギーの高まりは治って元に戻りました。何でしょうね。これはアナハタの愛とも違い、アジナやサハスララの宇宙系のエネルギーとも違います。であれば、もしかしたら、これがようやくクンダリーニなのかもしれません。だとすれば、私が今までクンダリーニかもと思いつつ感じていたものはクンダリーニではなかったと言うことにもなりますけど。はてさて。どうなりますかね。

世間でも「クンダリーニと皆が思っているものは、大抵はクンダリーニそのものではなく、シャクティ(エネルギー)が上がっただけ」とは度々聞くお話ですけど、今までのはクンダリーニではなく、単なるシャクティだったとすれば理屈は通ります。

このエネルギーを再現して、更には、常時24時間その状態でいられるようになるとようやく本格的な覚醒なのかな、と思います。

であれば、今の私はまだまだ覚醒していなくて、であれば、まだまだ成長の余地は多いにあるようです。


これはおそらく流派によって言い方が違っているのかなと思います。

  • これをクンダリーニと呼び、それまでのものはクンダリーニではなく、シャクティ(力)とみなす流派。どちらも上昇。
  • クンダリーニを2つに分け、肉体的なクンダリーニと高次のクンダリーニに分ける流派。どちらも上昇。
  • クンダリーニを2つ(以上)に分け、地上的なクンダリーニと宇宙的なクンダリーニに分ける流派。上昇するものだけでなく下降するものもクンダリーと呼ぶ流派。宇宙的なものをコスミック・クンダリーニと呼ぶ場合もある。
個人的な段階に当てはめてみます。

  • シャクティ(力)としての肉体的(地上的)なクンダリーニ。マニプラ優勢アナハタ優勢ヴィシュッダ優勢アジナ優勢の諸段階に相当。この中でも段階ごとに感覚は相当異なります。この時点では宇宙的クンダリーニと呼んでも良いエネルギーはあまり入ってきておらず、長い瞑想をしてサハスララに時々至ることで静寂の境地に一時的に至る程度。
  • 宇宙的なエネルギー。創造・破壊・維持の公の意識。いわゆるハイヤーセルフプルシャ(神霊)との合一。これらはそれぞれエネルギー的に大きな変化ではありましたが、それはどちらかというと魂の融合であり、クンダリーニとしてのエネルギーもそれに含まれてはいますけど、この文脈におけるクンダリーニとは直接的な関係はないように思えます。
  • 今回の、より根源的なクンダリーニ。高次と言えばそうだが、これこそが地上的と言えなくもない。地球的なエネルギー。コイルや蛇という古来から伝わる例えがまさに相応しい。(これが普通のクンダリーニなのかコスミック・クンダリーニなのか、どちらなのかは不明)
おそらく、これで終わりではなくて、更にもう1段階次の宇宙的なエネルギーの段階があって、更にまたその先もあるように思いますが今のところそれは予感のみです。であれば、今回に一時的に現れたものこそが普通のクンダリーニで、コスミック・クンダリーニとかいうお話はまだまだその先ということにもなるのかもしれませんけど、それは様子見になります。

ひとまず、今回、一時的に体験したコイル(あるいは蛇)のクンダリーニを安定させることがまず第一ですね。

先日のスピリチュアル・カウンセリングで示唆されましたように、仙骨のあたりのスワディスタナ・チャクラが女性の性だとすれば女性の歌手の音楽で仙骨のあたりでクンダリーニらしきエネルギーが出てきたのも当然と言えるかもしれません。クンダリーニはムーラダーラ・チャクラと言われていたりスワディスタナ・チャクラと言われていたり通説にブレが生じているのは、同カウンセラーによれば、それはムーラダーラが男性性としてのクンダリーニであってスワディスタナが女性性としてのクンダリーニであって、両方がないと完全なクンダリーニの覚醒にはならない、と言うことで、私は男性ですから、男性に足りない部分である女性のエネルギーを補って活性化させると言うことが必要で、女性の歌手の曲を聴くだけでも女性性のクンダリーニがスワディスタナで活性化して男女の混合としての全体としてのクンダリーニも一時的に活性化されたのかな、と解釈しております。


翌朝。同じように瞑想している時に仙骨の周辺にあるエネルギーをよりしっかりと観察してみました。そこには薄っすらとではありますけどエネルギーはあって、どうも、そのエネルギー自体は少し以前、おそらく数ヶ月前から少しづつ存在していたものの、そこまで大きなエネルギーではないのでスルーしてたような気がしてきました。翌朝の瞑想においても基本は眉間に集中して宇宙のエネルギーを眉間のアジナから胸のアナハタに取り入れわけですけど、そうしていると、昨晩ほどではないにせよ仙骨の箇所にて多少のエネルギーの高まりを感じます。

更に瞑想をしていると、仙骨のエネルギーのほんの一部が背骨を伝わって頭頂にまで上昇しました。微かなエネルギーですし、ざわざわとした感じでしかありませんので、先日の仙骨のことがなければ割とスルーしてしまいそうな微かな動きではあります。同じ「ざわざわ」と言う感覚で表現できるものと言えばかなり以前からそういう表現は使っていたわけですけど、今回は、上記のような茶色あるいは黄色のような感覚のイメージのエネルギーが仙骨から頭頂までほのかに上昇しました。これは、昨晩のように強力なエネルギーそのものが上昇したわけではなく、同じ質ではあるものの、微かなエネルギーが上昇しただけです。ですので、まだまだこれからのようにも思うのですけど、エネルギーの質的にはそれっぽい感じではあります。


更に数日後。

これ、単なる場所だけのお話ではなくて意識の深化あるいは純化とも関係していて、最初は眉間に集中したところでそれが仙骨のあたりのエネルギーと繋がっているという感覚はなくて、眉間と仙骨が関連しているという実感すらないのですけど瞑想を続けていって意識が深化および純化するにつれてふと眉間に集中ポイントが現れて、その集中ポイント自体はそれ以前からあったといえばあったわけですけどその集中の感覚が異なって感じられて、その、ある程度まで集中が深まった時に仙骨とのエネルギーとの交流および繋がりが感じられるわけです。ここで言っている意識の深化というのは眉間への集中ポイントがこの新たな状態になり、かつ、それが仙骨との繋がりを感じられる状態のことを言っていて、一方、意識の純化というのは眉間に限らず頭の周辺ですとか体全体のオーラの状態が瞑想を始める前の状態より何段階か(1段階のこともあれば数段階のこともある)静寂が深まった状態のことのことを言っており、順番としては、それらが前後することもあって、ある程度の集中が深まって意識が深化してきてから意識が静寂になる場合もあれば、意識が静寂になってから意識が深化して仙骨と繋がる時もあります。頭で理解する分には静寂になってから意識が深化、という順番の方が理解しやすいですけど、観察をしているとどうもそうでもなくて、意識が深化してから静寂、という場合もあるように思います。ただ、ある程度の仙骨とのエネルギーとの繋がりができるには(順番はどうであれ)両方が必要のようです。多少のエネルギーの深まりであれば静寂がそこそこであっても可能ですけど、しっかりと仙骨と眉間とが繋がるにはそれなりの静寂が必要のようです。おそらくこれは程度のお話で、静寂が深まれば集中もしやすくなって仙骨のエネルギーも活性化されるということだと思います。