頭頂から意識のあるオーラ(濃い光)がもの凄い力で「胸の奥の小部屋」に入り込んできた

2023-02-20 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ここ数日、瞑想をすると、頭の上から何かがのしかかるように強い圧力で濃いオーラが入り込んでくるようになりました。

最初、何事かと思いましたが特に危険はないようで、まず頭の上3分の1くらいまでがその濃いオーラで既に包まれて、一部は頭の真ん中あたりを通って喉のヴィシュッダも通って、胸のアナハタの特に中心部、ハートの中心にまで線のようにずっと通ってオーラが降りてきています。

それはとてつもなく強い力であるわけですが、まずアナハタの中心を満たして、それに伴い、体の各所、例えば腕のオーラも多少は強化されたように思います。ですが、やはり影響が最も強く受けているのはアナハタの中心と頭頂付近で、そのあたりには濃いオーラが入り込んできているのを感じます。これは一体何かと思うわけですが、おそらくは、約2年ほど前に始まった胸の奥の神意識の上位版、あるいは、その時にはまだ全体の半分か半分に満たないくらいしか入ってこなかったものが、次第に、残りも入り始めてきたのかな、とも思います。

実のところ、この種のオーラの侵入には一応は気をつけた方が良くて、変な存在が入り込んでくることもありますので何者なのかしっかりと見極める必要があるわけですけど、オーラの質的に以前と方向性が似ているために危険はないかな、と思っております。

入り込んでくる時に、何度か話しかけられて、しっかりとした声で「受け入れて」「大丈夫です」と言う意思表示もありました。そこに一応は肉体を持った私の方の選択もあるわけですけど、危険はなさそうですので受け入れることにしたわけです。同じようなことを言って騙してくる意識体もあったりしますけど、そこは、オーラの質で最終的に判断するわけです。同じ神意識のオーラの方向性ですから違和感はありませんでした。そもそも、質の違うオーラの場合は順応できませんが、次第に順応できてきています。ここで言う順応は、基本的に「同じグループソウルの出自」であれば順応できるようです。

おそらくは、最初から全部入ってしまうとキャパシティ的に対応できなかったがために、2年前に入れるだけひとまず入って、時間をかけて順応させたということかなと思っております。そのようなインスピレーションを何度か受けたことがありますが、確信がなく、今も完全に確信があるわけではありませんが、おそらくは、そう言うことかな、と言う気がしております。そう考えるのが筋が通っていて、その時に既に今回のことの予見も一応は知らされておりましたが、割と予見の通りになりつつあります。

ここで、表現としては単にオーラとは言っていますけどそれ以上のものと言ってもよく、もはや慣れてしまっているだけでオーラの質としては2年前に始まったものと同じで、創造・破壊・維持のエネルギーであり、神意識と言ってもそう間違いではなく、その質としては(ヴェーダンタで言うところの)アートマンの3つの質、サット・チット・アーナンダと言うことなわけですけど、その感覚は2年のうちに割と当たり前になって慣れてきているが故に単にオーラと言っているだけで、ものとしては割と同じものです。

同じとは言っても、その時の神意識のオーラよりも今回はより一層「濃縮度」が高くて、より精細で、綿密に、しっかりと「詰まっている」感覚を受けます。

その、しっかりと詰まっているオーラが頭の上から圧力と共にとてつもない力で強制的に入り込んできていて、体の軸に沿って喉を通り胸のアナハタまで降りてきているのです。

もう既にその質のオーラに慣れてきているとはいえ、以前よりも遥かに濃くて圧力のあるオーラでありますし、まだ体の全体に浸透したわけではなく、頭の上の方にあるのと、アナハタに一部が通ってきたくらいですので、まだまだこれからかな、という気もいたします。


・・・翌日。

そのように、昨日から、ゼリーのようなオーラ(濃い光)が頭の方から圧力と共にのしかかってきて一部は胸のアナハタの中心にまで届いていました。

オーラといえばそうですし、光と言うほど光ってはいないですけどオーラという言葉があまり一般的ではなかった昔であれば光と言ったかもしれません。瞑想中にそこに濃いオーラの凝縮がある気がするだけで目視で光っているわけではありません。濃い光というのは、光が濃いので向こうが見えないくらいの雲か霞のように感じられます。雲や霞なのに光っている、とは、変に思われるかもしれませんけど、実際そうなのです。光といえばそうも言えなくもないですがオーラでもあるし、向こうが見えないので灰色かというと灰色でもないのですが光の霞で、見ようによっては漆黒のような気も少しするのですが光っているのでそれもまた不適当で、なんとも言い難いオーラの光なのです。オーラと言っても、オーラな気がするだけです。

オーラでもありますし、意識体でもあります。その意識体から、しっかりした声で「大丈夫」「信頼して/安心して」と語りかけられていたように思います。「大丈夫」の後に、声が重なるように、認識はそれぞれ順番に聞こえた気がしましたが、波紋のように広がるその声は「信頼して」と「安心して」とが両方とも、2つの波紋が重なるかのように両方とも響くように、ですがしっかりとした意識として感じられていたのでした。それが先日でした。

そのようなものを感じつつ、本日、瞑想をしていたら、やはり先日と同じように頭の上半分に圧力があって、下方向にものすごい力で押し付けていて、昨日と同じように細い線のようなオーラが体の中心軸を通って喉のヴィシュッダ経由でアナハタまで通じていたわけですが、瞑想をしているうちに、最近の瞑想では瞑想すればするほど頭が緩んできてサハスララの開きが良くなってきますので、そのいつものように頭の中が緩み出して、後頭部あたりがピキピキと言う頭蓋骨が少し動くような感覚と共にオーラの通りが良くなりました。その、オーラの通りが良くなること自体は割といつも通りなわけですが、いつもと違ったのは、そうしてオーラの通りが良くなって割とすぐに、不意に、その、頭からアナハタまで繋がっていたオーラが急に下に「つるん」と動き出して、引っかかっていたと思われる後頭部のあたりのエネルギールートを無理やりねじ込んで力づくで広げながら進むようにして、少し通りが良くなった後頭部のエネルギールートを更に力づくでこじ開けつつ下方向にオーラが動き出し、まるでゼリーが細い通路を通るように喉のヴィシュッダの細いところを通って胸のアナハタにまで「するするっと」一気に降りて行ったのです。

そして、今まで頭からアナハタまで繋がっていたオーラの全ては、ハートの奥にある「小部屋」に、小さく小さく全てが収まりました。そして、今、その小部屋は小さく振動しています。心臓とはちょっと違う場所で、体の左右中心ですけど、心臓よりちょっと下です。

先日から、光っぽい感じもある濃くてゼリーのようなオーラがサハスララのところで意思を持ちながら無理やりと言っていいほどの強力な力で下に押し付けてきていて、入り込もうとしている感じがしていたように思います。そのオーラの、頭が少し下がりそうになるくらいの強い圧力(物理的なものではないですが)を感じていたのですが、それが、ふと、頭の真ん中に通り道を見つけると喉を通ってアナハタまでするするっと入り込み、スポンと収まったわけです。単に押し付けてきていて、それが体に広がるのかなとか思っていたところ、不意に、全く予想外のことなのですが、まさかこのようにアナハタの奥の小部屋に収まるとは思ってもいませんでした。

これには驚いて、何事かと思いました。そうなると、もはや頭の上の方には先ほどの圧力のオーラはなくて、全て胸の奥の小部屋に入っています。場所的にはほんのちょっとの小さな空間ですけど、全部入っているような気が致します。そこが少しジンジンきていますが、特に苦しいこともなく、ものすごく心地がいいかと言うとそうでもなく、割と普通で、単に、面白い圧力のオーラが集まっている、というくらいです。今のところは。

これはもしかしたら、インドのウパニシャッドと言う聖典で述べられている「胸の奥の小部屋」と言うものかもしれません。

ハートの聖なる空間は心臓の秘密の小部屋とも呼ばれ、「今ここ」であらゆることが可能となる、時間のない意識の次元です。 「ハートの聖なる空間へ(P95)」より

とは言いましても、私の場合、まだ「あらゆることが可能になる」ということは全然ないのですが。

同書によれば、チャーンドーギヤ・ウパニシャッドやユダヤ教にも記述があるそうです。

アートマンは心臓の蓮華の内に座す。これを知り、アートマンに専念し、賢者は日々、その聖なる領域に入る。 「ウパニシャド(日本ヴェーダンタ協会)P153」より

実のところハートが聖なる空間だと言うのはスピリチュアルやヨーガあるいはヴェーダンタ等では割と常識ではあるのですけど、常識であるが故に見過ごされがちで、ここに来て、おそらくはこれが「ハートの小部屋」なのかな、というものを見出したように思います。

これは一回目が一番強烈でしたが一回で終わりではなく、瞑想をすると何度も何度もオーラが大きな雫あるいはゼリーの塊でハートまで同じように降りて行くようになりました。最初こそ喉のところが細くてゼリーがそこだけ細くなって「つるん」と降りて行く感じでしたが、10回も降ろした頃にはすぐに道が広くなって、喉のところだけ多少は細くはなっているものの、概ね、すぐにスムーズにオーラが降りるようになりました。

ただ、最初に降りてきた時ほど強烈で圧力のあるオーラはそれっきりで、次に降りてくるオーラもそれなりに太いものの、最初の強烈さと比べたらそこまででもありません。

そうしてスムーズに降り始めると、5秒から10秒に一度はオーラの塊が頭からハートに降りるようになり、何度も何度も降ろしているうちに同様の濃いオーラが胸のハートから頭まで太く繋がる感じになりました。濃さで言えば一番最初が一番濃かった気がしますが、何度も繰り返しているうちに、濃度も次第に濃縮されて濃くなっていくように思います。

ただ、ある程度経つと、そのように強烈にオーラが降りてくることはなくなり、割と落ち着いて、静かにオーラというか空気のようなものが降りるようになりました。体の中に入りたかったオーラが一通り入り終わったので落ち着いたのかな、という気もしておりますが、どうでしょうかね。最初のオーラは意思がありましたけど、その後に入ってきている空気のようなオーラはちょっと違う感じですね。

スムーズに降り始めて最初のうちは、時折、逆流してきてハートから頭にまでオーラが波のように折り返しで戻ってくることもありましたが、それは割と最初だけだったようで基本的にはオーラは降りる方向で、瞑想を続けると、また、頭からハートにテンポよくオーラが降りるようになり、ハートと頭の方まで太いオーラの線で結ばれて行くように感じました。その一方で、ハートから光あるいはオーラのようなものが放射されているのを次第に強く感じるようになったのです。

あまりルートが開いていない時に強烈に感じられていただけで、ある程度ルートが確立されると感覚としてはそれほど感じないものの、きちんとエネルギーはそれでも通っていて、最初の頃より断然、エネルギーは通っているものの、単に、感覚として、ルートが細い方が感覚としては強烈に感じられて、ルートが確立されてそれなりに太くなると感覚としてはそれほど感じられない、ということなのかな? という気がしております。要は慣れたということでしょうか。

この内容はどうやら、「ライトボディの目覚め」に記載されている「チャクラ統合への祈り」の内容と類似しているようです。この祈りのことは以前から知ってはいたのですがどうも腑に落ちていなくて実際には読むくらいで祈ったことはほとんどなかったのですけど、今読むと、内容が現在の状況からその次への方向性と思われる内容に酷似しています。この祈りの通り、今の状態はハート・チャクラとその他のチャクラが融合する動きそのものということもできそうです。(実際のところはこれから見ていきますが)

この祈りでは「ハートの中心から、わたしは光を吸い込みます」とか書かれていて、一体どう言うことでしょう? と思っていたのですが、光をオーラだと読みかえれば、なかなかその内容は腑に落ちます。同祈りの「わたしのハートは開きはじめ、わたし自身が美しい光の球へと広がってゆきます」と言う言葉は、単なるアファメーション(宣言)かと思っていたのですけど、これは、文字通り、まさにこの文字そのままの状態なのだと理解しました。そのことが少しづつ進みつつあることを今は感じます。これは想像上のことではなくて、本当にそうなることだったわけです。そのことに、ものすごく納得を致します。

実際のところ、これは見分けが難しくて、同じように一見すると思える状態には何度もなってきたわけですけれども、今度が一番それっぽい感じではあります。また、今後、もっとそれっぽい状態があるかもしれませんが、それはそれとして。

それに加えて、少し部位と表現は違いますけど、空海が室戸岬の洞窟をしていた時に明けの明星が口に飛び込んできた、というお話と似ている部分もあるように思います。私の場合は口ではなくてサハスララから入ってきたわけですけど、その後、私の場合はサハスララから喉のヴィシュッダを通ってアナハタまで降りたのですから、口から飲み込んだという空海のお話と、それなりに一致します。似ているからと言って空海のような超能力が使えるようになったわけでもないですけど、表現としては似ているわけです。



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