それは、「勝者」「力強さ」「奇跡」「神秘」「元気」「財産」「お金持ち」「王者」「貴族」「魔法」「魔女」といったイメージが付き纏います。キラキラとした表現でそれは飾り立てられます。
それは全て、地球人から見た、「割と泥臭いところからそうではない綺麗なところに抜ける」、「上昇する」、というイメージです。「見上げて」、あるいは「見下ろしている」わけです。それは、ふわふわしている、実際にそう言っている人たちを見るとグラウンディングが弱い、地に足がついていない、机上の空論になってしまっているわけです。非日常のイメージがあります。
精神性を高めるために大切なのは自分の人生を生きることでありますが、現代スピリチュアルではそうはなっていないことが多いわけです。むしろ、現実的なところを他人に任せて自分はふわふわ生きることことが「貰うだけの生活」「引き寄せの法則」だと思っていたりします。そして、その現実を周囲の人が与えてくれないとイライラしてキレ始めたりするのです。女性が結婚して旦那はATMで自分はずっと楽しく暮らす、ということを夢見ていたりして、実際、本当にそうやって生きている人もいたりします。そういう人がいたとして、それが精神性の高さとはそこまで関係がなかったりします。むしろ、成長できない状態でずっと暮らすことにもなりますが、現代スピリチュアルで引き寄せやらキラキラを自称している人はそんなことはお構いなしのようです。
現代スピリチュアルでは「引き寄せ」やら「何でも与えられる生活」を夢見るので、自分は行動しない方が良い、誰か他の人が行動してほしい、と願うのです。
地に足がついていないなら、スピリチュアルなどやらない方が良いのです。それよりも自分の仕事なりを一生懸命やる方がよほど精神的な成長になるわけです。精神性のことを考えるなら、まず地に足がついた生活を送るべき、しかし、現代スピリチュアルでは誰か他の人が全てやってほしい、自分は貰うだけ、という生活を願うのです。自分が成長する、という視点が抜けているのです。そして、自分が望む生活や理解が得られないとなるとイライラして怒鳴りつけて他者を遠ざけ、自分が心地よいゾーンに留まろうとします。それが現代スピリチュアルのよくある姿かと思います。
古典スピリチュアルには必ず修行があります。ですが、現代スピリチュアルには修行がなく、与えられるだけの「引き寄せの法則」を求めて高額セミナーを受けつつ自他をそのカルトの思想に巻き込んでいくわけです。
現代では修行というのは少なくなりましたが、現代では仕事がそのまま修行になることも多いわけです。仕事を一生懸命して、仕事に集中すればゾーンに入ります。ゾーンに入ればいわば瞑想状態になって自身の精神の浄化が行われます。そうすると精神性が高まるのです。それに従って会社でも認められて報酬も増えます。それは、スピリチュアルとかで色々と引き寄せやら何やらして小賢しいことをして富を引き寄せることなど全くせずとも成果が高まれば富が集まってくるのです。
何度も書いていますがそういう普通の成長の方が大切なことも多く、であれば、現代スピリチュアルが成長の足枷になっている人も多いのです。
まず基本のきとしてのゾーンがあります。まず、このゾーンに入れない人が誠に多いのです。信じられないほど多い。ゾーンに入ることを邪魔してくる人や、ゾーンに入っている人に怒鳴りつけたり大声をして精神を混乱させたり集中を妨げ、精神的な疾患を発生させる人を大量生産しているパワハラな上司のような人が大勢います。精神性が理解できないからこそ大声で他人の集中を邪魔し、一時的な隷属及び長期的な離散を繰り返すのです。それは精神的に落ちていく側の人たちがすることで、落ちていく側こそが引き寄せとかで他人を隷属させて利益を一時的に享受するからこそ財産が集まるのです。それはカルトやパワハラの部類です。カルトが他者を見下し、利益を享受するのです。そのような「引き寄せの法則」には関わらない方が良いでしょう。
スピリチュアルな人は「自分はパワハラとかと無縁である」と言うかもしれません。ですが実際、(相互ではなく)一方的に引き寄せをして他者の利益を自身が貰うということは他者を隷属化しているということです。暗黙的に、他者を見下す目線を投げかけてはいませんか。そうして、空気で持って他者をコントロールしていませんか。それを、心地の良いオブラートな言葉で覆い隠している場合もあるわけです。「波動」だとか「心地の良い」だとか、自分たちの心地の良さをマウンティングの道具にしています。そういう人があまりにも多いのです。心地よい自分と、そうではない他者、それを対比させることで自身の居場所を確保しているのです。そこには分離があります。他者は永遠に下のもの、自分は永遠に上であり続けようとします。
そして、自身の「心地よさ」を保てる環境に安住するのです。
更には、自身の心地よさを妨げるものに対して「スピリチュアルではない」として排除をします。
大抵の場合、この構図に当てはまっているように思います。
心地よさと、他者の排除、そして自身が得られるだけの環境を求めること。それが「引き寄せ」やら「与えられるだけの生活」やらというスピリチュアルという名の下の幻想と結びついています。
自身に利益を与えてくれるものに対してはスピリチュアルであると評価し、与えてくれないものに対してはスピリチュアルではない、と判断してレッテルを貼るのです。
それは、引き寄せの法則の裏返しで、引き寄せをするというよりも、自身に利益を引き寄せてくれる人だけを肯定するのです。周囲の人からすると、そういう人に関わっても割と一方的になってしまって、良いことはあまりないように思います。
そういう人は周囲からオーラを吸い取って(引き寄せて)生きていますから、一見するとオーラがキラキラしている、しかしそのオーラはどこかザラザラしているのです。本質的ではない。というのも、それは周囲の人から集めたものだからです。それは他者から奪ったもの、悪魔的、黒魔術的です。そうして集めたオーラを持つ人を、時に魔女とも言います。
そういう人が、意外と多いのです。
それが、いわゆるスピリチュアル、そして引き寄せの法則で自身を肯定して生きている人の姿として割と見られる光景なのではないかと思います。
昔から悪魔信仰やカルト或いは秘密結社がありましたが、何かを犠牲に利益を得る、という黒魔術的な思想を背景にしていることも多いように思います。
・・・・一方、私の見たところ、宇宙の人たち、例えばプレアデスの人は高い波動があるとはいえ、そのように他者から引き寄せるなどということは考えていないように思います。それは自立しているということです。
大人であるということです。
自身の役割をし、貢献をする。それは波動の高さと優秀さが一体となっています。特に地球に来ている人たちは本星のアカデミーで優秀な成績を収めた人たちであり、自立しています。本国にいる人たちも自立している点は一緒です。
一方、地球のスピリチュアルは他者への隷属を暗黙的あるいは明示的に強要し、ヒエラルキー及び分断を作り出します。
宇宙全体としては全て自由であるというのはそうなのですが、精神性が高い人というのは秩序と知恵があります。一方、低い場合には秩序が欠けています。
地球のスピリチュアルは秩序というよりも隷属を生み出します。それは形を変えた宗教ということです。昔の宗教が、今は割とスピリチュアルと呼ばれているわけです。引き寄せの法則というのは、昔からある拝み宗教です。教祖様に拝んで利益を享受する、あるいは、自身でその利益を再現しようと試みるわけです。
昔はそれが団体として行われていました。今は個人主義ですから、宗教としてではなく、個としてのスピリチュアルという形を取っているのです。昔は団体、今は個人。しかし、その拝みと搾取、何かを求めようという思想は根本的に変わっていないのです。
このようなことを言うと、人は次のように言うかもしれません。例えばカトリックとプロテスタントとの対比を持ち出して、教会など団体を通じてではなく直接的に神と繋がることが重要なのだと。ただ、ここで言っているのは、それとは少し違うお話で、求めるものが同じであるのにも関わらず、以前は団体を通じて求めていて、今は個人として何かを得ようと思っているのだと言うことです。実のところ、カトリックにしてもプロテスタントにしても、きちんと真面目に勉強をしてそれぞれの理解を得ているのであれば、それはどちらも問題ないのです。カトリックの有り様にしても、普通の人が神と繋がるのが難しいために神と繋がったと自称して悪魔と繋がる危険性があるので教会を頼りましょう、ということであり、一方、プロテスタントにしても、もし可能であるならば個人が直接的に神と繋がった方が良いのです。どちらの言い分にも一理あります。そのように、理解が進んでいる人は別に問題ない、といいますか、理解している人のことは心配していないのです。自分の頭できちんと考えて理解しようとしている人は、宗教に入っていても真理をやがて見出すでしょう。
ここで言っているのはそのように神を理解しようとしている人や割と理解が進んでいる人のお話ではなくて、一般的な風潮である、拝み宗教、あまりよくわかっていないのにも関わらず「引き寄せ」やら何やらで「全て与えられる生活」が得られると夢みているお花畑の人たちのことです。そして、それは暗黙的あるいは明示的な隷属化を生み出すのです。奴隷と貴族の社会です。
このような状況を観察してた宇宙の人々がいて、昔、地球の宗教を知って真似したりすることもありましたが、それは多くの場合で争いを生み出しました。地球の宗教というのは分断を生み出すのです。それが宇宙の人にとっての学びでした。
そのような宗教的スピリチュアルに未来はないと思いますが、自分は宗教ではなくてスピリチュアルだから問題ない、と思い込んでいる人が意外に多いのです。昔、宗教といっても普通の流行りの思想でした。今の流行りの思想をスピリチュアルというのは、昔の宗教ということです。言い方を変えただけの話であるわけです。
「拝み宗教」、「引き寄せスピリチュアル」、「与えられるだけの生活」、そのようなものがこの世界の宗教的対立を生み出しているというのは日本人にとっては割とすんなり理解できるお話ですが、世界では、意外とそれは当たり前ではなく、自分の宗教や自分のスピリチュアルが正しくて他者は間違っていると思っている人が意外に多いわけです。
世界から輸入した、そのような歪んだスピリチュアルをわざわざ日本人が拝む必要はないのですが、意外に、舶来物のスピリチュアルを大切に思ってしまう人が多いのも現実かと思います。