ミスリードして操ろうとする悪徳スピリチュアル講師たち

2026-01-25公開 (2026-01-21 記)
トピック:スピリチュアル: 回想録

それは単に無知の仕業か、はたまた、操ることに快感を覚えているのか。あるいは、他者を見下すことによる優越意識によるものなのか。多様な理由で他者をミスリードし、操り、時には高額セミナーに誘導しようとする悪どいスピリチュアル講師が大勢いるのです。

ですから、よくわからなければ、基本駅にはスピリチュアルには関わらない方が良いのです。こういうのは、生まれつきにある程度わかる人がやるか、あるいは、真面目に修行して来世くらいまでに多少は成長していれば良い、というくらいの長いスパンで見た方が良いのです。

昨今、「時代の流れが早くなっている」というお話もありますけど、それは、基礎がある人のお話です。悪くなる方も早くなっているので、成長していると思いきや、気のせい、ということもよくあります。

カルトに洗脳され、本当でないことを本当かのように広め、時に秘密主義で他者を煽り、特別な教えやグループを標榜して他者との分離及び恐怖心を煽りたて、黒魔術によって他者を操る、そういう人がいるのです。

悪徳、というのは、行き着く先は「影響力の拡大」であり、それは「強い力」ということであり、昔風に言えば黒魔術ということです。

スピリチュアルの、「わかるようでいて、わからない」あるいは「本当そうに見えて、実は本当ではない」そういうことを言うこと自体はそこまで害はないのですが、その行き着く先に自身のセミナーやセッションを受けさせ、高額を取ったり、カルトに入会させようとするのです。

ですから、聞こえの良い「他者を救う」「人助け」だとか「地球を救う」だとか、そう言う言葉を真に受けない方が良いわけで、あまりよくわからなければ関わらないのが良いのです。

例えば、「思考を止める」みたいなお話にしても、きちんと理解しなければ全くミスリードになってしまうのです。思考というのは意識の表れだとしても、その思考というのがどのレベルのものなのか、何のことかわからなければそれを聞いたり理解したとしても、変な方に行ってしまったりするのです。それを理解するには勉強が必要です。ですが、人は往々にして自身の理解でしか物事を捉えないのです。

スピリチュアル講師がドヤ顔で「思考を止める」みたいな話をしたとして、それがどういうことなのか解説できますか。大抵の場合、できないです。その先を突き詰めて話そうとすると、スピリチュアル講師のくせに「イライラ」し始めて、怒鳴りつけて「思考は止めるのです!」みたいに、頭の悪い人のように、まるで猿や獣が叫ぶかのようにヒステリーになる光景を時折見ます。その野蛮な口調とキーキー声のおばさん声の、どこがスピリチュアル講師と言えるのでしょうか。自分に都合の良いことを言い、浅い考えしかなく、より深く理解するための質問を怒鳴って突き返し、自身の主張が受け入れられなければドヤ顔で他者を見下す、そのような、くだらないスピリチュアル講師が割といたりするのです。

「思考を止める」という表現をするところまではまだ許せるとしても、それをドヤ顔で怒鳴りつけるような圧力をかけながら当然のことかの如く強要してきたり、それ以外はないかのようなことを言ったり、喋っていることが浅すぎたり、聞くに値しない人が、とにかく多いのです。

はたまた、何かの理由をつけては自身の(効果もなさそうな)ヒーリングを受けさせようとして、それが更には何やら10万円以上の高額セミナーに誘導する入り口であるような、そんなスピリチュアル講師やカルト団体もあります。

スピリチュアルというのが本来の働きから離れて、単なる金儲けのための狩場と化している状況のように思います。

それはまるで、かつてカトリックが腐敗してプロテスタントが抗議したような、そんな状況にも似ているように思います。カトリックが当時、教会のみが神と繋がることができるとした状況が、カルトや似非スピリチュアル講師が神やハイヤーセルフの名を語る状況にも似ているのです。そして、プロテスタントがより直接的な神との接触を主張したのと同様に、スピリチュアルにおいてもスピリチュアル講師やカルト経由ではなく直接的に神と繋がる状況に移る必要があるのだと思います。

このことを、スピリチュアルの腐敗と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。

別に私はキリスト教徒ではないですが、この種のお話は、おそらく古来から繰り返されてきたお話なのではないかと思います。一部の団体が神の言葉を代弁し、それに対して、個々の人による直接的な神との対話を重視する流れは、またこの時代においても起こるのだと思います。

ミスリードして、例えば「思考を止める」だとかいう話をドヤ顔で言って他者を従わせようとしているスピリチュアル講師には未来はないと言えます。大抵の場合、スピリチュアル講師と言っても大したことはわかっていないのです。それが実感です。