ライトワーカーが覚醒すると幽体が動き出す

2022-03-13
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

覚醒という言葉は多様に使われていて、スピリチュアルに入ったばかりの段階を示すことや、あるいは、ある程度の悟りと同意で用いられることもあるかと思います。それはコンテキスト次第ではあるのですけど、ここでは、私が一応考えている、ある程度の悟りの入り口である覚醒状態はどのようなものかをお話したいと思います。

まず、基本の階梯としてパンシャコーシャ(5つの鞘)に基づく階梯のお話があります。これは概ね、「個」としてのスピリチュアルな階梯を表していて、ヨーガや瞑想などをすると大体はこのような階梯になるかと思います。

これらの階梯を「覚醒」と呼ぶ人もいるかと思いますし、特にクンダリーニの覚醒は確かに覚醒と呼ぶのに相応しいと言えばそうなのですけど、覚醒は覚醒でも、クンダリーニの覚醒はライトワーカーとしての覚醒とはちょっと違うのかなという気も致します。

クンダリーニの覚醒は覚醒と表現できる階梯のうち最初のものと位置付けても良いかもしれなくて、人によってはそれで何か凄いことを成し遂げたかのように最初は思いがちですけど、クンダリーニは割と最初の方の階梯になるわけです。実際のところ、クンダリーニが「覚醒する」とかいう場合は、元々クンダリーニが動いていなかったからこそ「覚醒」と言うわけで、割と最初から動いていたり、覚醒に似たようなことが過去に起きていたのにあまり気にしていなかったりした場合には覚醒とかそう言うのはあまり自覚がなかったりするわけです。

ですから、まず最初にクンダリーニがあって、あるいは、割と最初からクンダリーニが動いている状態があって、それを覚醒と呼ぶのならそうなのかもしれませんけど、その段階では、ライトワーカーとしての覚醒というにはまだちょっと物足りない感じではあります。

その後、クンダリーニが活性化して、パンチャコーシャのうちアナンダマヤ・コーシャ(至福の鞘)に達してもまだライトワーカーの覚醒というには物足りなくて、もう一歩、というところが必要に思います。

私が考えるライトワーカーの覚醒を果たすと、自分の肉体と重なるか少し背後に近いところに、自分より少し大きめの幽体としての自分が常に存在していて、そちらの視点も常にあるようになります。ですから、そうなると、肉体としての視点と、自分の肉体と重なっている幽体の自分自身が見た視点と、どちらも認識できて、幽体の方は割と大きさは自由自在ですし視点も変えることができて、自分の後頭部を見たり背中を見たりすることもできるようになります。

その幽体はただ単に背中を見れるだけだとあまり面白味もないのですけど、実際のところ、その幽体だけどこかに出かけることができるようになります。その時、場所を移動するだけでなく、時間も移動できるようになります。量子力学で時間と空間とは対になっていてどちらかが動けばどちらも動くとか、確かそんな説明を聞いた気が致しますが、割とこの幽体の動きはそれに似ていて、時間を動かすにも空間を移動するにも、どちらの場合にも自分で意図をするだけで自由に移動することができるようになります。

幽体を自由に動かすことができて、しかも、幽体としての視点持つことができるのが覚醒時の特徴です。

このようなことは瞑想中に座って行うことができる人はぼちぼちいらっしゃると思いますけど、私の言うライトワーカーの覚醒は、日常生活の中で顕在意識が働きつつ、そのような幽体の動きと視点が常時持てるような状態を言います。ですから、常時、肉体としての五感と幽体としての視覚などが両方あるわけです。肉体と幽体のどちらか片方になってしまうのではなく、両方とも同時に知覚できるようになります。幽体を肉体の五感で知覚するということではなくて、肉体の五感に加えて幽体としての感覚が追加で加わって、幽体としての感覚と肉体の五感とが同時並行で存在して両方とも知覚できるわけです。とは言いましても幽体の感覚として働いているはほとんどが視覚で、肉体の皮膚のように幽体のオーラの境目での感覚もあるにはありますけど、それはほんのちょっとだけです。

最初は単に見えるだけですけどそのうち幽体のアバター(分身)のようなものが現れてきて、肉体とは明らかに別物として割と重なって浮き出てくるわけですけど、漫画でイメージしますと、ナルトに出てくるサスケが使う須佐能乎(スサノオ)とかジョジョに出てくるスタンドなどに近くて、あんなに大きくないですし、姿は割と自分自身と似ていて、漫画のように戦ったりはしないですし、それに、自分と別々にいると言うよりは自分と重なっていますが、なんとなく雰囲気は出ている感じです。ジョジョのスタンドみたいに変な能力や戦う力はほとんどなくて、ちょっとした能力を持つ人もたまにはいるとは思いますけど、普通はそんな不思議な能力は持っていないと思います。

そうしてスサノオとかスタンドみたいな分身を日常生活の中で普通に使いこなすのが覚醒の第一歩なわけです。

覚醒前も幽体はあって、瞑想中に自覚したりもできるのですけど、覚醒する前ですと日常生活しながら自覚してはなかなか動けない状態であるわけです。

その状態においては幽体による場所の移動はもちろんのこと、過去も未来も一続きのものとして線を辿るように見ることができたりします。

私はその段階はまだ未達ですけど、瞑想中で探ったところ、どうやら自分の今の人生のパラレルワールドでもそのくらいまで覚醒していたりすることもありますし、グループソウル繋がりの他の分霊のタイムラインなどを垣間見て覚醒状態を見るに、それほど無理な話ではなくて、今世でも十分に可能のように思っていますが、さて、どうでしょうかね。

私の場合、霊界の特殊なマントを被って転生しているので生きている間は覚醒状態まで行かずにずっと今のような状態のままかなと思っていた時期もあったのですけど、瞑想中に自分の今の人生の他のタイムラインを探ってみたら覚醒しているパターンもあったりしたので、どうやら無理なお話ではなくて十分可能かな、と思うようになりました。

それに、実際のところ、そのようなイメージはただ単にシンボルでしかなくて真実は違う、と言う可能性もありますので、実際には、ただ単に、そのような霊界のマントを超えてゆきなさい、というお話なのかもしれません。霊界からのインスピレーションを私が間違って解釈しているだけかもしれなくて、そうなれば、特に気にすることなく霊界のマントを超えてゆけば良いだけというお話になります。

このあたりの覚醒する感じ、特に最初に覚醒する時の感じは意外に漫画やアニメ、あるいはゲームにおける主人公の覚醒シーンと似た部分もあるように思います。

又、この種の覚醒は必ずしも悟りと同等でもないのですけど悟りの一要素であるように思います。

スピリチュアルな成長には方向性があって、主に地球において転生を繰り返している地上由来の魂が成長する際にはこの種の覚醒が途中で現れるのに対し、高次元から降りてくる場合は最初から能力があってそれに加えて様々な地上的な性質が後から加わるように思います。ですから、地上由来の魂の階梯としてはこの種の覚醒は悟りの一部ではありますけど、高次元の存在が物質世界に降りてくる場合は少しづつこの種の能力を失う(かのように見える)ことになるわけです。それでもまた(元々高次元の存在が一旦この世に降りてきた後に)高次元に戻る時は覚醒を取り戻すわけですのでこの世の生活で覚醒をなくなるとか言うのは錯覚のようなもので、一時的に自分が高次元の存在であることを忘れると覚醒を失ったりと言う状態になるわけですけど、本当になくなってしまうわけでもなくて、覚醒は本来の状態のようなものなわけです。一方、地上から発生して物質や動物などの霊から成長して高次元へと進化している魂の場合は初めての覚醒というのも理屈としてはあるとは思いますけど私はこちらの方向性はそれほど詳しくはありません。

この地上においてはその混合というものがおそらくは一番多くて、地上由来の魂であっても高次元の存在の恵みを受けると、それはつまりのこと高次元の存在のオーラに触れるということで、オーラに触れるとそのオーラが自分のオーラと混ざり合って高次元の能力を付けることがあるわけです。そのような状態になると地球由来の魂であってもその一部に高次元のオーラがくっついた状態になって、それはある種の覚醒状態を齎したりもしますけど、その場合、ただ単にオーラがくっついているだけですので、やがてはそのオーラは自分のオーラと混ざり合って、能力は消えてゆくことになったりします。

一方で、自分の魂そのものをきちんと階梯を踏んで成長させた場合は自分のオーラの根源から変容していきますので、その場合は覚醒した場合に能力が失われることがなくて、継続的な普遍的な能力になったりするわけです。

神秘的な団体の密儀とかでは高次元のオーラを植え付けて覚醒を促すということが行われていたりしますけど、それは時に、一時的に能力が開発されることにより本人に勘違いをさせてしまうこともあります。それよりは、あまりオーラを付けたり混ぜたりせずに自分自身の根源の、自身の魂、自身のオーラを根底から成長させるようなスピリチュアルな成長が望ましいと言えます。

オーラがくっついたり部分的に高次元のオーラで揺さぶられている時は単に「見えた」くらいにしかなりませんし、見たいものを意図的に見るというよりは不意に何かの断片が見れたりする程度でけど、自身のオーラがしっかりと全体で覚醒すると幽体それ自体が独立して動作して知覚ができるようになりますし、見たいものを意識的に見ることができるようになり、時間も空間も意図的に移動できるようになります。そのことは、単に知覚できるというだけではなく、上記のようにアバター(分身)が現れてそのアバターが主体となって知覚も動きもすることができるようになるわけです。

最初はそのアバターは自分と重なっているだけで自分の普段の視点と似たような視点がぼやけて重なって見えるだけですけど、やがて、自分と分離して場所や時間を移動したり移動した場所の違う視点から知覚できるようになります。