日常生活で何気なく感謝をして喜びが何度も湧き上がってくる

2022-01-25 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想をすると割と感謝の気持ちが湧き起こってくるわけですけれども、最近は、特に瞑想をしなくても普通に日常生活をしているだけで何気なく感謝の気持ちが湧き上がってきます。

何もかもが有り難く感じ、幸せを感じます。

とは言いましてもその幸せや有難さにも深さのレベルというのはあるのでしょうけど、割と、普通に感謝をしているとか普通に幸せを感じると言っても良いくらいの度合いで何気なく感謝と幸せを感じながら日常生活を送ることができます。

もちろん常時そんな気持ちを感いているわけではないですし時折、過去のことを思い出してちょっとしたトラウマに近い状態に一瞬なることが今でもなくはないですけど基本的には割と幸せと感謝の気持ちで生活できています。

特に理由もなく、ただ平凡な毎日を「幸せ」と思えて、何が特にあるというわけでもなく自分が生きてる環境で何があるというわけでもないのですけど「ありがとう」と感謝の気持ちを持って何気ない日常を過ごすことができる、そんな状態が「幸せ」と言えるように思います。

それは特にパートナーがいるからとか誰かがいるからとか、特に条件もないように思えるのですが、自分で気づいていないだけで、自分が当たり前と思っているところで何かの前提条件があるのかもしれなくて、最低限の清潔で安全な日常生活というものが守られている現状において、多少は前提条件はあるものの、その前提条件を特に気にすることなく、何気ない日常を過ごして幸せを感じることができています。

今は普通にフルタイムで働いていますが特に残業が多いということもなく、給与も割と普通かなとは思いますけど、特に借金もなく普通に生活をしているような状況で、家も大して広くはなくて普通のそこらにある割と古めのマンションですけど、そんな割と普通の環境でも日々に幸せを感じて感謝の気持ちで生きることができています。

上を見ればキリがないですし、下を見てもキリがありません。特に上を見ることもなく、下を見ることもなく、そもそもそんなことには興味がなく、ただ単に自分の今いる環境に感謝をして幸せを感じて、割と前と同じような生活を送っていながらにして、その同じような生活に対して、今は幸せを感じていて感謝の気持ちを発しているわけです。

これは、スピリチュアルの人がよく言っている「現状に満足しましょう」みたいなことと同じかと言えばちょっと違っていて、好意的に判断すれば同じと言えなくもありませんけど、そもそも満足とか満足しないとか、そういう「達成」にまつわることに興味がなくて、達成が幸せと感謝のための前提条件にそもそもなっていなくて、何かを達成すれば幸せとか、何かを達成しないから幸せじゃないとか、そういう、幸せと前提条件のお話とは根本的に違っていて、前提条件が何もなくても(まあ、最低限の前提条件はありますけど)、特に何かを求めることなしに、何を達成しなくても、ただ現状に満足して幸せを感じて感謝の気持ちを発する、という状態なわけです。

何かの歌でもあったような、何気ない日常を幸せだと思うような気持ち、そんな幸せの日々に感謝の気持ちを表現すること、そんなさりげない幸福の状態なわけです。

最初からこのような幸せと感謝に入れない時は瞑想をしてマントラを唱えたりすることにより感謝と幸せの状態に入りますが、ある程度の状態になれば日常生活においても同様の感謝と幸せが続くように思います。それは日によっても状態は違いますので瞑想をして状態をチェックしたりというのは定期的に必要に思いますが、日によっては瞑想をしなくても割と感謝と幸せの状態が日常生活において続くようです。