満ちているものが体をダイレクトに動かす

2021-07-25 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

体と重なって体およびその周囲に満ちているものがアートマン(真我)です。その満ちているものが体をダイレクトに動かしているのですが、もともと誰しもがそのようになっている筈ではあるのですが自覚があるのがサマーディ(三昧)の状態で、自覚がないのだとしたら普通の状態です。満ちているものが感じられなくて体を動かしている場合は普通の状態です。ですから、普通に「ダイレクトに体を動かす」と言われた時に「まあ、そうだよね」となりがちなのですけど、満ちているものを感じられているかどうかが大きな違いなわけです。

満ちているものはアートマン(真我)なわけですけど、その質としてはブラフマン(全体)と同一であると聖典には書かれてあります。アートマン(真我)とは個としてのブラフマン(全体)であり、実際にはアートマン(真我)とブラフマン(全体)は同一です。ですけど限られた意識においてはアートマンが切り離された個として認識されているためにアートマンが個とはなってはいるものの、それは実際にはブラフマン(全体)と同一であるということです。

このダイレクト感は最初は割と切り離されたものとしてはっきりと認識されます。

ですから、最初は、アートマン(真我)と物理的な体が別物として存在しているかのように感じられ、特に最初は体とは重なっておらず「外側」に存在していて外側から段々と近づいてくるかのように認識されます。私の場合は最初は胸の少し離れた後ろにあって、感じ始めた最初の瞑想の中で少しづつ身体に近づいてきました

最初はそれは単に創造・破壊・維持の意識として始まり、最初はそれが体をダイレクトに動かしているという感覚はなく、単にそのような3つの意識、特に創造と破壊としての意識が強く感じられた状態でした。

その後、不意に意識が高まり、意識(アートマン)が体をダイレクトに動かしていると実感するようになりました。

最近は更に進んだのかあるいはもしくは後戻りしたのかもしれませんけど、おそらくは安定してきたのか、割とこの状態が普通になってきて、普通、と言うのは、特別感が薄れてきたと言うことで、アートマンとしての意識と体とが更にぴったりとくっついてきて、ダイレクトと言うよりはアートマンの意識が体にぴったりとくっついた感じになってきました。

体をダイレクトに動かしていると言う時は、まだ少しアートマンとしての意識と体とがほんのちょっと離れた状態で、離れているからこそ「動かしている」と言う感覚があって、それ故に「ダイレクトに動かす」と言う実感がありました。

ですけど、最近は、更にアートマンが体と一体になってきましたので、言葉としては割と同じ「ダイレクトに動かす」と言う言葉で表現するくらいしか言葉が見つからないのですけど、距離が近くなってきて、割とアートマンと体とが一体になってぴったりとくっついて動かすような感覚に変わってきました。

これはとても微妙なお話で、状態そのものを見ると割と昔と変わらないと思うかもしれませんし、普通のことだと思われるかもしれませんけど、少し前にアートマンが離れていてダイレクトという感じだった時はその時々において気付きを入れてあげることにより雑念が溶解すると言う感じだったのが、ここに来ると、まだ力は弱いものの、体や心がどのような状態であろうとアートマンの意識が浸透する、という状態の前兆のようなものを感じます。

シャルドルにおいては気付きを再確認することで雑念が溶解する状態だったのですが、それは、アートマンの意識と体とが一体にならずに離れてるが故にそのように気付きを入れた方が安定する段階だったと言える気が致します。

その次の段階であるランドルは書物によれば瞬時の雑念の自己溶解と説明されていて、そのような表現もできるように思いますけど、そう表現するよりは、もはやアートマンが離れておらず体や心に浸透しているが故に瞬時に観念や五感の入力及び雑念も含めてアートマンが直接的に瞬時に体や心を認識できる状態であり、それ故に雑念が瞬時に溶解すると言うこともできますけど、溶解すると言うよりは、アートマンが体や五感及び心に浸透しているが故に瞬時に気付けるが故に心の認識が素早く完了する状態というのが基本にあって、それゆえに雑念も素早く気づけて次の雑念を自分が生み出すことが少ない状態、ということなのかと思います。

それは消える、というよりは、素早く目の前を通り過ぎるようになります。雑念の繰り返しが起こらないが故に素早く消え去るように感じられるようになります。雑念そのもののスピードが早まるというわけではなく、単にそれをありのままに見られるようになって単に通り過ぎてゆくだけになりますので、繰り返しが起こらないが故に素早く消え去る、ということです。

ですけど私の場合、そのようにアートマンと体とが一体になっている力がまだ弱いため、しかしながら、力が弱いのにも関わらずアートマンの意識が更に体や心と密着して一体になりつつあって、おそらくは過渡期のようなもので、一時的に多少の不安定さがあるのかな、という気が致します。

このように段階を経る時の一時的な不安定さはスピリチュアルの成長にはつきもので、意識が朦朧としたり、色々な症状があるように思います。

まあ、あるいは、このように解釈しているだけで、実際にはちょっと後戻りしているだけ、という場合もあるにはあるかと思います。そのような可能性も含めて、これから状態を見ていきます。



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