最近の瞑想の手順

2021-07-21 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

基本:あぐらをかいて座り、眉間に集中する。

1.雑多なオーラを下半身から上半身に上昇させる。この時、上昇するように意図することはなくて、行うこととしては、単にあぐらをかいて眉間に集中するのみ。集中していると、不意にこのようなオーラの上昇が発生するので発生するまで眉間への集中を続ける。
2.もう少し固まったオーラが下半身から上半身に上昇する。行うことは同じ。上昇を意識することなく、単に眉間に集中する瞑想を続ける。頭の方にまでオーラが上昇する。まだこの段階では頭の全てがオーラで満たされなくても良い。頭の下半分だけでも良い。
3.頭の中あるいはその近くにあるモヤモヤとした雨雲のような薄黒い煙のようなタマスのオーラを喉のヴィシュッダに吸い込ませる。この時も、吸い込むことを意識することなく、ただ単に眉間に集中を続けるのみ。眉間に集中しているとやがてこのような状態が発生し、頭のモヤモヤが取れる。不意に発生して急に吸い込まれて意識がはっきりする。
4.体の中でオーラが行き届いていない場所があればそこにオーラを満たすよう意識する。この時は集中の場所をその該当場所に合わせる。この時は眉間に集中する必要はありませんが、常にその場所に意識しても良いし、眉間への集中とを交互に行っても良いです。例えば、私の場合は割と頭の頭頂あるいは頭の左上など局所的にオーラが行き届いていない時があって、それは「感覚がない」として認知されており、例えば頭頂あるいは頭の左上の感覚がないということはそこにオーラが行き届いていないということですから、そこにオーラが満たされるようにその「感覚がない」場所あるいはその周囲に集中します。感覚がないのですから厳密にはその場所そのものには集中できないのですが、その周囲に集中して、オーラをその「感覚がない」場所にも届かせるようにオーラを移動させるように圧力のようなものをかけてあげます。その後、すぐに反応があることもあれば、何回か瞑想をしてから変化が起こる場合もあります。変化としては、その場所に急に不意にオーラが満たされることと、それと同時に、意識の面においてもリラックスが相応に深まります。緊張が取れます。
5.同様のサイクルを続ける。最初は割と大きな変化から始まり、やがては少しの変化になります。そして、安定が深まっていきます。そこにおいても基本は眉間への集中の瞑想です。体全体への観察・観照状態が深まって常時サマーディ状態で行動できるようになれば座った瞑想をする必要がありませんので座った瞑想を解きます。そうは言いましてもしばらくすれば少しづつサマーディ状態から落ちてきたりもしますので座った瞑想で整えてあげるということは必要ですし、自分の状態を確かめるために座った瞑想をするということは続けます。ですけど、次第に座った瞑想というものが必要なくなってゆきます。

状態が悪い時は1から始まって状態が良ければ4から再開、というようにその時々に応じて行うことは変わりますけど、基本は単に眉間に集中するだけですし、必要なことが自然に起こりますから、特に何をするという意図をしなくても基本は眉間に集中した瞑想をするだけで良いわけです。1まで落ちることはそうそうなくて数ヶ月に1度あるかないかですけど、4番のように体の一部分、特に頭頂あるいは頭の左上のあたりにオーラが行き届いていない時は割とあって、そのような時に瞑想をしてオーラを充満させてあげる、ということはよくしますけど、その時も、一応はオーラが充満するように意図はしますしその周囲を意識するということは行いますけど基本は眉間への集中の瞑想を常に行うわけです。

補足
この瞑想の手順とは別に、瞑想以前の問題として、もし調子が凄く悪い場合は死霊が(右肩に)ついている可能性があるので右肩(あるいは人によって違うかもしれませんが)を探って死霊あるいは何かの意識体をオーラの手のようなもので掴んで引き抜いておきます。そうすることで急に緊張が取れてリラックスできるようになります。何かに取り憑かれている場合は瞑想をして状態が回復してもすぐにまた調子が悪くなりますのでこれをするのは重要です。瞑想とか言う場合にこの種のお話はほとんど聞くことがありませんけど、経験上、取り憑かれていて瞑想の妨げになっている時は時々ある気が致します。特に街に住んでいて様々な悪霊に遭遇する頻度が高い場合に起こりやすいと思います。田舎の人はさほど心配いらないかもしれません。瞑想してうまくいかない場合はこれが原因であることも度々ありますので、右肩を探って掴んで引き抜いてみて、何も反応がなければなんでもないと言うことですし、もし急に緊張が取れたのでしたら何かが憑いていたということになります。時々、その意識体が胸のハートにまで触手を根のように伸ばしていてエネルギーを吸い取っている場合もありますので、その根も含めて引き抜いてあげると急に緊張が取れてリラックスできる、と言うような変化も時には起こります。このように取り憑かれている場合は鏡を自分で見てみれば目に緊張があって、慣れるとわかりますし、他人と目があった時にそらされる場合が多い時は取り憑かれている時が多い気が致します。特にスピリチュアルでなくても誰しもがこの種のことを直感的にわかっていると言うことだと思います。ただ、わかることと対処法は別ですので、取り憑かれている場合はしっかりと対処してあげる必要があります。古典的なヨガ瞑想とかではこのようなお話はなくて割とスピリチュアルの範疇ですけど、これは瞑想以前のものとして割と重要です。マインドフルネス瞑想などは科学的だと謳っているのでこのようなお話はできないみたいですけど、瞑想と言うのは目に見えない世界と対峙しますから、実際のところ、この種のお話とは切り離せないのです。科学的な瞑想と言っているところは、理解できない現象が起こったら例外として除外するかあるいは現実に目を背けて「そんなことは起こらない」と言って現実を否定したりしますけど、本当に瞑想を深めようと思うならば現実に向き合って対処する必要がありますし、そうなると、この種の死霊の問題を避けては通れないわけです。このようなことが起こらなかったり遭遇しないあるいは遭遇しているのに気が付かないのだとしたら瞑想がそれほど深まっていない、と言うことでもあります。そういえば本山博先生は「修行を進めていくと必ず魔に遭遇する。必ずね」と言っていましたが、それは真実だと思います。その時の対処方法は知っておく必要があります。実際には、誰しもが魔に遭遇していてもそれに気づいていなくて瞑想をすると気付き始めて対処もできるようになる、と言うことだと思います。漫画から言葉を借りるならば、瞑想をそれほどしていなくて魔に遭遇している状態は「極寒の地で全裸で凍えながらなぜつらいのか分かっていないようなもの(元はハンターハンターの台詞)」と比喩することもできるかと思います。