知覚を内に向けることで純粋な意識の知覚を生じさせる

2020-11-19 記載
トピックスピリチュアル

最近の涅槃と言ってもよい状態は、超越瞑想(TM瞑想)の書籍にも同様のことが書いてありました。これらの説明は仏教の涅槃の状態を表しているように思います。TM瞑想の目的はここにあるのですね。

内側に向かって心を働かせると、心は超越的な「絶対」の領域に入り、永遠「存在」の力で満たされることになります。次に、心が再び外側に向かって動き出すと、心の活動は超越的な絶対「存在」の光を外界にもたらし、粗大な現象界の知覚における至福を強めるのです。(中略)超越界から出てきた人間は、神の栄光を携えていますので、この世界における実生活のあらゆる分野を輝かすことになります。「超越瞑想(マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著作)」

これは涅槃の説明のように思います。

私の目的は涅槃の次の宇宙意識と同一になった状態ですので涅槃そのものはゴールではありませんけど、これらの表現からは宇宙意識らしき面も読み取れます。誰でも読める本にはきっとそこまでは深く立ち入らず、このくらいの表現にしているのかもしれません。

静寂に達する理想的な方法は、神経系の活動を「安らぎに満ちた機敏さ」の状態に持っていくことです。心の状態さえもゼロにして、思考過程をその源の一点にまで減少させることです。この点に達すると、知覚は絶対意識の状態にとどまり、悟りの状態が得られ、絶対の超越「存在」が生命の意識されるレベルにやってきます。逆の言い方をすれば、現在意識のレベルが「存在」の超越的なレベルに達するのです。「超越瞑想(マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著作)」

翻訳のせいか回りくどい表現が多いですけど、要するに、神意識が顕在意識にまで上がってきて普通に認識できるようになるということでしょう。

神意識のことを流派によっては「キリスト意識」とか「アートマン」とか「ハイヤーセルフ」とか色々言ったりしますけど、同じことだと思います。粗大な顕在意識が静まって静寂の意識、いわゆる涅槃に達することで神の意識が現れてくる、ということだと思います。


(追記→ どうやら禅宗的にはこれは涅槃と言わなくておそらくは第四禅定です。流派によって涅槃の位置付けが異なるようですね。後日詳しく書きます。)