ワヤナタ
HOME
全記事一覧
トピック一覧
このサイトについて
問い合わせ
RSS
黒はアジナチャクラのアストラル下層の段階
←
(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)
→
エネルギーが増した状態で更に状態を安定させ、静寂の境地へと至る
不二の意識かどうかは勉強しなければわからない
2020-09-21 00:00:00
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
各流派で「不二の意識」とはよく言いますけど、個人的には、きちんと定義を確認するまでは自分の経験している状態が不二の意識だとはわかりませんでした。
そこで思うのは、不二の意識とはなかなか分かりにくいお話ですので、実際にその状態で生きていたり不二の状態で瞑想していたとしても定義を教わらないと不二の意識だとはわからない、そのようなものだと思います。
自分の状態が不二の意識だと勉強しない限りは自分で「不二」という言葉を使うことはなかったと思いますし、今でも、単に不二と聞いただけでは言葉の意味だけを考えますとあまりピンときませんが、昔から言われている不二の意識とはこういうことだと説明されれば、ああ、それはきっと私のこの経験と同じことを言っているのだな、とそこで初めてわかるのです。ですから、不二と聞いて「なんのことかわからない」と思ったとしても、わからないのが普通だと思います。不二の意識に普段からいるような人であっても「これのことを不二というの?」という感じかなと個人的には思っています。そのくらい、不二とはわかりにくくて不二の境地にある人にとってすら不二が何なのか理解されていないものだと思いますので、不二のことをわかっているという人の方をむしろ慎重に見極めて本当にわかっているかどうか判断した方がいいのかもしれません。基本的には不二の意識が何なのかわからないのが普通だと思います。
最初は割と単に
スローモーションのヴィパッサナー(観察)状態
だと認識していたわけですが、勉強するにつて、それを成り立たせている心の本性が存在していて、その心の本性が観察する時は不二の意識になるということがわかると、経験が先に来て、説明としての不二の意識というのは後で理解したわけです。
確かに不二の意識は最初のうちは弱くてそれが完全に不二の意識だとは
思っていなかった
面もありますので、最初にスローモーションが始まった頃は不二の意識が少しだけ出てきて、まだ弱い段階である
チェルドル
の状態だったわけです。そのくらいですと不二の意識だとはよくわからないわけですが、実際は不二の意識の始まりだったわけです。
そして、
チェルドル
の状態になると次第に不二の意識とはこういうものなのかおぼろげにわかるようになってきて、
シャルドルの前兆
により不二の意識が割とはっきりと出てきたからこそサマーディが深まってきたのだと理解するに至ったわけです。
ですから、シャルドルに至るまでは不二の意識と言われてもピンとこなかったわけですが、今ですら、全く勉強していなければこれが不二の意識だとはわからなかったと思います。不二の意識というのは、言葉だけでは分かりにくくて、経験したことのある人であれば説明されると、「ああ、あれのことね」とわかるようなものでもあると思います。
この分かり難さ故に、勉強しただけで経験せずに自分が不二の意識を知っていると思っている方もいらっしゃるようにも思います。ですから、不二の意識を知っているという人のことをあまりホイホイと信用しない方がいいと思います。私が言うのもなんですけどね。自称で真理を知っていると言う人に大勢会いましたけど、大抵の場合は知識で知っているだけでしたから。その中には本当に知っている方もいらっしゃったのかもしれないですけど、私はそう主張している人が本当に不二の意識を知っていること認識できませんでした。
勉強と経験の両方が伴って初めて不二の意識が理解されるものと思いますし、おそらくは、不二の意識で生きていても不二の意識なんてよく分からないと言う人の方が多い気がいたします。もちろん全員を見てみることはできませんが、会った限りでは、不二の意識に生きていそうな人ほど不二の意識が何のことなんてわからない事の方が多く、不二の意識を知っていると言う人はかなりの割合で単に知識を知っているだけで、そのうち一部は、知識をきちんと理解しさえすれば悟りが得られてモクシャ(自由)に至ると思っていたりします。そんな方々が本当に不二の意識を知っているのかどうかはよく分かりません。世間なんてそんなものです。不二の意識を知っていると言う、自称聖者は大勢いらっしゃいますけど、多くの場合において私はそれらの人々が本物かどうか分かりませんので、もはやあまり気にしないことにしています。
他人が不二の意識を得ているかどうかは言動では分かりにくく、しかも、自分が不二の意識に生きていると主張している人は割といるとすれば・・・。あまりそう言う人のことは気にせず、関わらずに生きるしかないわけです。だって、明らかにそうでない、関わり合い持ちたくない種類の人や、延々と長い話をしていつまで経っても本筋を言わずに焦らすだけの人がいたりして、なんだか時間の無駄であることが多いわけです。
ある程度の勉強をして、本も読んで、正しいと思う筋道を自分で突き進むしかないかもしれないですよね。スピリチュアルな道なんてのは落とし穴だらけで、正しいグルを見つけるのはかなり困難ですし、まあ、あまり気にしすぎても仕方がないと思います。
・・・不二の意識とは、そのくらいよくわからないものです。ですから、あまり不二の意識を追い求めてセミナーに通ったり勉強に通いすぎない方がいいと思います。どちらにせよ時が来るまではわからないのですから、勉強は必要にしても、勉強はそこそこにして、まずは瞑想なりヨガアサナするなりした方が近道だと思います。どちらにせよ先に自分が変化すれば定義を見れば「ああ、このことだったのか」と分かりますので、私は勉強は必要と言いましたけど、勉強だけでいいとは言っていませんので、勉強はそこそこでいいのかな、と言う気も致します。
まあ、スピリチュアルなんて人それぞれ好きにすればいいのですから、勉強も好きにすればいいのですけど。
黒はアジナチャクラのアストラル下層の段階
←
(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)
→
エネルギーが増した状態で更に状態を安定させ、静寂の境地へと至る
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
続きを表示する
自動読込
最新の記事
肉食は怒りを蓄積する
自己正当化せずに肯定する
普段の生活そのものに幸せを感じる
肉体あるいは心の否定で真我に辿り着く
山寺(立石寺)を参拝
ジーヴァとしての私がアートマンに包まれている
エゴ(自我)を愛で包むのは結果であって行動や手段ではない
エゴを愛で包むとエゴ(自我)とハイヤーセルフが協調する
神様の愛と感謝を受け止める段階から能動的に感謝する段階へ
溢れ出る感謝の気持ちがエゴを包み込む
[
→ 記事一覧を見る
]
トピックス
スピリチュアル: 瞑想録
日本:山形
日本:山形:羽黒山
スピリチュアル
スピリチュアル: 呪いとトラウマ
スピリチュアル: LGBT
日本:東京
スピリチュアル: コロナ
日本:名古屋
日本:高山
[
→ トピック一覧を見る
]
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
1998年
1997年