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体と「わたし」が一致する感覚のヴィパッサナー状態
スローモーションのように体の動きを感じる
2020-09-17 00:00:00
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
昨年末に
スローモーションで視界が感じられるヴィパッサナー状態
に変化し、ここ最近は割とその状態が安定してきました。その結果、最初の頃ほど激しい感覚を視界に感じなくなり、変わらずそれなりに早い速度で視界を認識できてはいるのですが、それが普通かな、というくらいに当たり前になりました。ですので、もはや視界がスローモーションのコマ割りのように特殊に感じられなくなりました・・・ と言うと語弊がありますが、変わらずそれなりに良い動体視力を保っていますがスローモーション映像のような不思議なムービーのように特別なものに感じることは徐々になくなり、普段通りの当たり前のことになってきたと言うことです。当たり前になったからと言ってつまらなくなったわけではなく、普通に視界は美しいですけど、最初の頃の面白い感じに比べると8割くらいの微細な感覚で落ち着いた、と言う印象があります。最初の頃は視界の変化が面白くて割と常に目にエネルギーを送っていて焦点を合わせてくっきりと見ていましたが、今は焦点に関しては割と普通です。
そのように視界のヴィパッサナーが落ち着いてきた一方で、9月頃から体の動きのヴィパッサナー状態が次第に現れてきました。ある程度は
目の感覚が戻る
一方で、全身の感覚が出てきた感じです。そして、
普通の生活の中
にヴィパッサナーの気づきの状態で生きる時間が増えるようになってきています。
体のどこを動かしても以前より細かく動きを感じます。特に意識していなくても体の各所の動きを感じるのです。単に動くかどうかだけでなく、細かく動いていることがわかるのです。これは、昨年末の、視界に関するヴィパッサナー状態の変化の時にも多少は変化に現れたことですが、ここ最近の変化ほど顕著ではありませんでした。
その状態を表現すると、時間は変わらないのですが、比喩的に言うと「スローモーションのように」と言うのが割と状態を示しているような気が致します。昨年末の視界のスローモーションのヴィパッサナーというのも実際の時間は変わっておらずに細かく認識できるようになったことを比喩的にスローモーションと表現した、というのは以前にもお伝えしましたが、今回もそれと同様で、時間は変わらないのですが、細かく認識できるようになったということを比喩的に表現するとスローモーションと表現するのが割と通じるのかなと思っております。
ゲームやアニメの動きが以前はカクカクでしたが、私の体の動きの認識もそれと同様にカクカクで以前は認識していたように思います。それが、今は細かい体の動きが分かります。
少し前には、まず、指の動きなど、小さなところでその変化が現れました。しかし、その時点ではきちんと意識していないと体の動きが細かく分かりませんでした。
今は、それほど意識していなくても自然に体の細かな動きが各所でよくわかるのです。
これはきっと程度問題で、世の中には才能があってダンスがうまい方などは私のこの状態よりも遥かに体の細かな動きがわかるような気も致します。ですから、体の細かな動きがわかるようになったからと言ってダンスをやっている方やスポーツ選手などにかなう気はしないのですが、少なくとも、自分自身の変化として以前より遥かに細かく体の動きがわかるようになったということです。
私は昔は体の動きがそれほどスムーズではなくて、体育も苦手ですし動きもちょっと悪かったように思いますが、今は以前より細かなところが分かります。
瞑想をすることで、このように体の動きの変化も現れるのですね。
そうは言っても、もともと才能がある方には敵わないとは思いますけどね。
昔の剣士などが瞑想をしていた理由もよく分かります。きっと、生まれながらの才能に加えて瞑想で更に動体視力と体の動きを上げていたのですね。体の筋肉を鍛えるだけでなく瞑想で頭と体のレベルアップができるということかなと思います。
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