<前回の続きを読んでいきます。>
ギーターでは、献身、知識、行為という三つの道が、いずれも詳しく論じられています。
そのため、これらのどの道を歩む求道者であっても、この書物の中に、自分を導くための十分な材料を見いだすことができます。
ただし、アルジュナは主の献身者でした。
そのため、主はさまざまな道を照らしながらも、アルジュナ個人への指示としては、一般に、献身をとくに重視した行為の道に従うよう勧めています。
いくつかの箇所では、行為そのものだけが勧められているように見えます。しかしそこでも、他の箇所から考えれば、献身が暗に含まれていると理解されるべきだとされます。
第四章三十四節では、主はアルジュナに、悟った人々に近づき、彼らから教えを求めるように命じています。
しかし、それはアルジュナに自己実現の方法を示すためであり、また注意を与えるためでもあります。主は、実際にアルジュナをどこかの悟った人のもとへ送り、そこで智慧を求めさせようとしたわけではありません。アルジュナ自身も、その節で述べられた方法に従って、どこかで智慧を求めたわけではありません。
ギーターの始まりと終わりを見ても、その頂点は「自己を明け渡すこと」、すなわち自己放棄にあると結論づけられます。
たしかに、ギーターの教えそのものは、第二章十一節の「あなたは悲しむべきでない者たちについて悲しんでいる」という言葉から始まります。
しかし、この教えの種子は、その前の第二章七節にあるアルジュナの言葉の中に含まれています。そこにある「Prapannam」、すなわち「帰依した」「身を委ねた」という語が、彼の自己放棄の精神を示しているからです。
そのため、主は最後に「すべての義務をわたしに明け渡して」という呼びかけによって、教えを締めくくります。
ギーターには、献身への言及がまったくない章は一つもありません。
例として、第二章六十一節、第三章三十節、第四章十一節、第五章二十九節、第六章四十七節、第七章十四節、第八章十四節、第九章三十四節、第十章九節、第十一章五十四節、第十二章二節、第十三章十節、第十四章二十六節、第十五章十九節、第十六章一節、第十七章二十七節、第十八章六十六節などが挙げられます。
このように、ギーターの各章には、何らかの形で献身への言及があります。とくに第七章から第十二章までは、バクティへの言及が豊富であるため、主としてバクティを扱う六章として認められています。
同じように、知識への言及も多くの章に見られます。特に第二章、第五章、第十三章、第十八章には、知識を扱う多くの詩節が含まれています。
また、ギーターは献身と知識の真理を明らかにするだけでなく、行為の秘密も明らかにします。第二章、第三章、第四章、第五章、第六章のいくつかの節は、行為の秘密を詳しく解き明かしており、他の章でも行為の主題は扱われています。
つまり、ギーターは献身だけを論じる書物ではありません。知識、行為、献身という三つの主題すべてに、十分な光を投げかけているのです。