<前回の続きを読んでいきます。>
カルマヨーガの実践では、行為が中心になります。そして人は、自分の社会的な立場に応じて定められた義務を行うよう、とくに命じられています。
一方で、この道においては、行為そのものを放棄することは妨げであるとされています。
そのため、サンニャーサ、すなわち出家の階梯においては、行為を重視するタイプのカルマヨーガを実践することはできません。なぜなら、その階梯では、物質的な対象だけでなく、供犠や布施などの行為そのものも実際に放棄されているからです。
ただし、神への献身の実践は、すべてのアーシュラマで行うことができます。したがって、献身に支配されたカルマヨーガは、すべてのアーシュラマで可能であるとされます。
ここで、よくある誤解が取り上げられます。
それは、ギーターは隠遁者や出家者にだけ役立つものであり、家住者には役に立たない、という誤解です。そのため、人々はしばしば、少年たちをギーターから遠ざけようとします。ギーターを学ぶと、家庭生活を捨ててしまうのではないかと恐れるからです。
しかし、これまで述べられた事実は、その不安が誤りであることを示しています。
人々は見落としています。アルジュナは、迷いに覆われて、クシャトリヤとしての義務から退き、托鉢で生きようと決心していました。しかし、ギーターの非常に深い教えによって、彼は生涯、家住者としてとどまり、自分の義務を果たし続けたのです。
同じギーターが、どうして私たちの少年たちに、これと反対の結果を生み出すでしょうか。
それだけではありません。ギーターを説いたバガヴァーン・シュリー・クリシュナご自身も、地上にアヴァターラとして留まっていた間、絶えず行為に従事していました。
彼は徳ある者を守り、悪しき者をその地上での存在から解放し、地上に正義の王国を確立しました。
さらに主は、もし自分が厳格に行為に従事しなければ、人々は自分の道に従って義務を放棄し、社会に混乱を生み出す責任を自分が負うことになる、とまで述べています。
もちろん、これはギーターが出家者に向けられていないという意味ではありません。
ギーターは、すべてのヴァルナとアーシュラマに属する人々のためのものです。人はそれぞれ、自分に適したサーンキヤまたはヨーガの原理に従って、また自分のヴァルナやアーシュラマに属する行為を果たしながら、霊的な実践を行うことができます。