ライトワーカーを自認している人たちを私がどう見ているか (1/3)

2026-05-13公開 (2026-04-13 記)
トピック: スピリチュアル

ライトワーカーは、不退転に至った状態

それまでの低い欲望だらけ状態から一つ上がった段階です。この状態では低い波動と高い波動の「二分性」が強く現れます。と同時に、もう低い段階には戻らないという不退転の状態に達しています。

  • 低い状態: 欲望に満ちた状態(悪、闇)
  • 高い状態: 善、光

このような二分化された言い方は一般的には語弊があることも多いのですが、この段階におけるものの見方は、このような2つに分けた価値観が強く出るということです。

このくらいの状態ですと、まだ自身の中に低い波動のものをそれなりに保持しています。ですので、自他ともに「善と悪」という二元性の状態と価値観が現れやすいのです。自身は不退転に達した、そこから更に上昇しようとしている。そのような中間的な状態において心理的には「光と闇」と言う価値観として表れやすいわけです。そして、かつての価値観を周囲に投射して見ることにより他者を「悪」と糾弾するようになることもあります。

オーラあるいはチャクラの状態はアナハタ(第4)が優勢です。

それ以前のマニプラ(第3)くらいですとまた転落して動物的あるいは欲望の世界へと戻ってしまうことがあります。しかし一旦アナハタへと上がってしまえばもう戻らない、不退転の状態になるのです。それは一定の成長を意味する興味深い状態ではありますが、それ以上の状態であるヴィシュッダ(第5、理性が成熟、スピリチュアル的な論理を理解する)、アジナ(第6、個としての神聖)はまだ不活性なことが多いです(もちろん人によって差があります)。

概ね、このくらいの段階ですと、完全に統一されたワンネスの境地ではない。しかしながら、闇とも比喩される自身の低次の部分より高次の方が優位になっています。低次を高次が凌駕しています。

それにより、自身の認知が「光と闇」と言う価値観で満たされるのです。この状態においてはワンネスというよりも、闇を滅ぼして光が勝つという二元性の視点が強くなります。実際、自分のオーラの状態がそうであるからです。自身が、そうして低次を高次に昇華していく段階なのです。それを、主観的には「光と闇の戦い」として認知しやすいのです。

それは決して悪いことではなく、この状態における、ものの見方なのです。

グループの自己統制のための論理としての「善と悪」

又、この状態では他者への関わり方として同様の関係性が現象面にも現れ、善の側(あるいは光の側)と称するグループを作ることがあります。そして、自身のグループの統制を取るために悪の断罪(あるいは闇の断罪)という論理を使ったりします。それは他者への評価だけでなく、自身のグループの秩序のためでもあるという面もあるのです。そのように、その論理が必ずしも他者のことではなく自身のグループの自己統制のためである場合はこの種の善と悪の論理をあまり一般化して捉える必要はなかったりもしますが、、それでも、この種のグループの主張としては「善と悪」になるので、傍目にはそれが第一の主張であるかのように見えます。実際は、本気半分、内部統制が半分ということが多いように思います。

このように、グループの場合においても、個人という単位においても、どちらにせよこの種の善と悪という論理は自己完結的になることが多いように思います。

  • 個人の場合は自身のオーラ・チャクラに基づく価値観が「善と悪」という二元論になる。
  • 団体の場合は自身のグループの内部統制のための論理になる。

(続きます)

トピック: スピリチュアル
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