歴代の天の介入者は欲望に満ちた人の憎悪と怨念を受け続けた

2026-03-16公開 (2026-03-14 記)
トピック: :スピリチュアル: 回想録

<ファンタジー小説です>

それらは蓄積され、負債のように貯まってゆきました。介入者はいわば天から来た人々で、この地上に降り、人々を導きましたが、それを由と思わない人もいたのです。地上を自分の欲望のまま蹂躙したいと思っていた人たちは天からの介入を憎み、憎悪を天から来た人に投げかけたのです。

結果、この世を物理的に支配して蹂躙し続けたい人たちにとっての、都合の良いストーリーが出来上がりました。「あの、闇の政府は、この世界を支配しようとしている、あるいは、既に支配しているのだ、と」これは、地上を支配したい人による、天からの介入を拒むためのストーリーです。

そのストーリーと、実際に地球を支配しようとしているという現状が重なって「ディープステート」のようなよくわからないお話が生まれました。

これは、元を辿れば2つのお話なのです。

・地上を、地球人の手で、自由に欲望のまま支配したい、というお話。
・天からの介入を拒むための、欲望のまま支配し続けたい人が自己擁護するためのストーリー。

欲望のまま支配し続けたい人にとっては、天からの介入こそが邪魔者であるわけです。一方、一般の人たちにとっては天からの介入の方が良いわけです。欲望に満ちた人々によって天からの介入を阻止するようにストーリーが作られ、世論がそうなることにより、天からの介入がしにくい状況にしようとしたわけです。

この状況に加えて、プラスアルファとして、これからは地球は地球人たちの手によって自分たちで考えて統治させていこうという100年ほど前からの方針が加わり、更には、もう少し先に天使たちが自分たちの星(国)へと変える準備期間として介入を控えている、という事情も加わりました。

・地球は地球の人によって運営するという方針(長期的には元からそういう方針だったといえばそうですが、極端な介入を止めるという方針)
・天使たちが帰還する準備期間

もっと昔を見てみれば、数百年前よりもっと昔から、地上を支配したいという勢力に対し、時折、天から降りたグループが地上の歴史に影響を与え続けてきました。

そして、その時々において、かなり強引に歴史は動かされました。

その結果、本来ならば特定の地域の支配者となっていたであろう欲望に満ちた人々が弾き出され、結果、彼らは憎悪と憎しみの怨念を天から来た人たちに投げかけ続けたのです。天から来た人たちは任務優先ですからそのようなつまらない小物の相手はあまりしなかったのですが、それでも怨念というのは長年に渡って蓄積しますから、それが山のように貯まっていたのです。

実のところ、そうして貯まった怨念は解消されることなく溜まり続けました。そして、ようやく今から遡るほど100年ほど前から、順次、解消することにしたのです。そのためだけに一部の天使たちは特に任務もなくこの地上を平和に過ごしています。

天使たちは基本的に忙しく、ルシファーを頂点とした指示系統によって地球の平和のために様々に動いているのですが、そうして貯まってきた怨念を解消するということも、それはそれとして一つの任務と言えなくもないのです。そうしなければ大勢の天使たちが重い波動にさい悩まされて本国に帰ることができなくなってしまうかもしれないのですから、天使たちに自覚を持ってもらって自発的に帰れるようにするためにも、平和に過ごすことも大切な任務と言えなくもないのです。休養も時には任務であるわけです。

地上の人たちは欲深いですから、自分たちの欲望の好きにできる状況を(それは欲深いことで罪深いことだからと)遮られては怒り狂い、又、自分が助けを求める側になった時には天の人々に対して「助けられるのに助けない」だとか、「与えられるのに与えない」のだとか、どちらの状況になっても天に対して恨みを抱いてきたのです。

地上の人たちは割といつも自分勝手であったということです。

ですが、そうして不平不満を言うだけの時期は過ぎ、そろそろ、自立する時期に来ています。甘やかしすぎるのも考えものです。

元はと言えば、助けに来ている天使たちに向かって怨念や恨みつらみをぶつけ、それが凝固するまでに濃縮させてきた責任というのは地球の人々の側にあります。それにも関わらず、天の介入者たちが悪者扱いされたのです。確かに、自身の好きにできない不自由な状況に置かれた欲望に満ちた地球の一部の人々は、本来ならば天の介入がなければ自分たちの好きにできたであろう状況を見て、天の介入者たちを悪者扱いし、呪い、怨念を長い期間、投げかけ続けてきたのです。そして、その怨念によって、天使たちは重く押しつぶされてきたのです。それでも天の介入者たちは任務を優先し、そのような怨念を「棚上げ」してきました。文字通り、自分に影響が出ない場所へと一時的に追いやっていたのです。しかし、怨念というのはしつこく付きまとうのです。

そして、天使たちが帰るためにはその怨念を解消する必要があります。その解消期間が過去100年前に始まり、今も続いています。そうであれば、今の期間は、天使たちが地上を助ける期間というよりは、天使たちが自分たちの星へと帰還する準備期間と重なっているのです。天の者から主権が地上へと移る時期でもあります。全てが同時進行しています。

ですから、怨念という意味においては全ての人に責任があるわけではないとはいえ、状況的に、天が助けないとしても仕方がないと理解する必要があります。また、怨念と関係はなくても、方針として天は直接的に助けずに地上の人々の選択に任せる、という運用に変わってきています。その意味においても、天が助けないとしても仕方がないと理解する必要があるわけです。

好意による助けは届かない
それに、昨今の状況としては「好意による助け」が届かないことが多く、ことごとく「好意を利用した金儲け」に流用されてしまい、一部のずる賢い人が利益を享受する状況になってきています。ですから、天使たちはこの状況に学んで、「それならば、助けても意味はないかもしれない」と思い始めてきています。そういう面もあります。

好意を表に出しておきながら、実はそうではない、というお話があまりにも多すぎるのです。好意や自発的な行動を単に安い労働力としてカウントしているお話が多すぎるのです。好意や奉仕が特定の人を儲けさせる、あるいは、特定の人が他者を考えなくても良い状況、困った人は他人が助けるという状況を作り出しているのです。そうであれば、短期的には助けは必要だとしても長期的には天からの手助けなどしない方がよく、放っておく方が良いのです。

助けることそれ自体が状況を悪化させていると言えなくもなく、地球の人たちが考え方を変えて、自発的に自他共に助け合うようになるまで放っておく方が良いのではないか、というお話にもなってきているわけです。

今までは、短期的には助けた方が良い、ということで強引な介入がなされてきました。ですが、どうも、地球の人たちはそれに頼ることに慣れてしまい、自分たちで考えず、自分たちは今のまま欲望に満ちて生きれば良い、と思っているのではないかという節があります。そのような勘違いを助長させてきてしまったかもしれないのです。

「欲望のまま突き進んでいても、いつか誰か救世主がやってきて助けてくれる。」そのように考えている人は一定数いるように思います。

今まで、かなりのところまで助けてしまった結果、その助けというものを、利益を享受するための一つのスキームになってしまっているのです。これでは助ける意味が失われてしまいます。

物理的に救っても意味がない。であれば、知恵を与えるのはどうか、というお話にもなってきます。ただ、これまた、知恵というのも大半は利益が目的になってきてしまい、天使たちを幻滅させています。結局、周りめぐって、直接助けるというお話はあまりなくなってきてしまうわけです。

人々があまり知恵を持たなかった頃は、時たま強引な介入をしてもそれは一時的なことでありました。そして、その結果は大多数の利益となりました。しかし、昨今は情報が広まってしまいますので、その利益は誰かに吸い取られてしまうのです。であれば、助ける側というよりは、ずる賢い側が反省して直していくしかないのではないかと思います。

この地球は地球人が自分たちで考えて管理していくというのが基本路線でありますから、このまま欲望を肯定して破滅に向かうのか、そうではなく継続するのか、それは地球の人の選択にかかっているわけです。

ここで、地球の人の変革が期待されています。実際、そうなることでしょう。


▪️善が悪を滅ぼすストーリーではない
地球が救われるのは、人々が陰謀論で理解しているような善と悪のストーリーではないのです。戦いによる勝利ではなく、変容のストーリーなのです。元々は欲望に満ちていた地球の人が100年以上の長い時間をかけて変わっていくストーリーなのです。光が闇を滅ぼすストーリーでもないのです。いわば、清濁合わせ飲む、と言うほどの綺麗事でもないのですが、善悪はそこまで関係ないのです。そもそも、清濁合わせ飲むというほどの清も濁もはっきりと存在しておらず、ただ単に欲望を満たしたかった、ということであれば、元々はというとそれほど大層なお話でもないのです。

というのも、この世界に酷いことは沢山あると言えばあるし、綺麗なこともあると言えばあるからです。それを細かくいちいち善だとか悪だとか言っていたら、この世界に何も残らなくなってしまうかもしれないのです。そのように分けることに、究極的にはそこまで意味がないということです。

ただし、究極的にはそうであったとしても、成長の過程では善悪に意味がある場合・段階があります。究極的に善悪が関係ないと言えるのはある程度まで学んで秩序(ダルマ)を持った時だけで、秩序がなくこのようなことを理解しようとしてもカオスになるだけでしょう。秩序の先に、清濁合わせのむ境地があります。そこに何も面白いことはないかもしれないが、地道に地味に変わっていくと言うストーリーなのです。自分の過去が悪だったとして、それならば、今の自分を滅ぼすのですか? 自分だけは例外にして他人を悪とする人もいるかもしれませんが、自他ともに悪を持っているものです。悪が滅ぶというストーリーは破綻しているのです。悪が滅ぶというのは全員が死ぬというストーリーです。皮肉にも、多くの世界(タイムライン)において「悪を滅ぼす」と言いながら地球を吹き飛ばす核爆弾を使用してきた歴史があります。自分は正義で悪を懲らしめるというストーリーでは地球は破滅するのです。

よく、この種の世界変革において「光が闇を討伐し、光の世界を作る」だとか「善が悪を滅ぼし、善が悪に勝利する」と言うような、一見するとわかりやすいストーリーが好まれることがあります。ですが、実際にはそのような勧善懲悪のストーリーにはならないのです。二元論の世界にいる以上、誰かにとっての善は、誰かにとっての悪になり得るのです。他者を滅ぼしても良いという論理を一つ肯定したら、全く同じその論理で自分が滅ぼされても良いという理屈に本来はなる筈ですが二元論に生きている人は自分のことは肯定しても他者が自分に対して危害を加えることに決して同意はしないでしょう。そこに自分と他者との分離があります。本当に同等に対等に全てのものを見ているのならば、自分が他者に対して行なった行動の理屈で持って誰かが自分に対して行動してきたならば、そこから何か学ぶことがあるでしょう。しかし、多くの場合は他者の自分への行動から学ぶ代わりに、他者を悪とみなして、結果、他者は悪だから滅ぼしても良い、と短絡的な判断を下すのです。

酷い状況ではありますが、これが現実です。別に、そのような短絡的な思考がそこまで悪いことだとは言いません。そこを抜けることで、善悪ではないところまで成長をすることができるからです。善悪で考えているうちはこの世の中から争いは無くならない、何故ならば誰かを悪と見なすことでそれらも神たるワンネスの一部であるという現実から目を背けることになるからです。

この世界は、「勝てば官軍」の世界です。ですから、力の強い者、勝利した者、そのような人が心変わりして善人になるというストーリーが必要なのです。誰かがまず気付かなくてはならない。しかもそれは、力の強い者が気付かなければならないのです。気付いた後は、そこに、かつての悪人を懲らしめるというストーリーは存在しなくなります。一旦、覚醒をし、変革すれば、その後は、同じ人であろうとも思考も行動も別人のようになるのです。本当にそう言うことがあるのか、と思われる人がいるかもしれません。生まれてからそれほど変わらないという人もいるかもしれません。一方、自分を大きく何度も変えてきた人もいるのです。今まで自分を変えてこなくても、これから自分がずっと変わらないと断言して言えるでしょうか。

インドの神々のストーリーで、カーリーと言う真っ黒で怖い神様がいます。荒々しいその神はいわゆる象徴で、カーリーのような人は成長すればドゥルガとなってライオンのようになるのです。そして更に成長します。神々の姿は、人の成長の一面を象徴しています。そこに滅ぼすだとか絶対悪だとかいうストーリーは存在しません。悪魔ですら成長をして悟り(モクシャ)を得ることすらあります。一見すると勧善懲悪のようなストーリーであっても、長い視点で見ればそれすらも超越した視点があります。

ですから、この地球の荒々しい現実を悪だとは思わないことです。

時にカルトやゾロアスター教のように悪が善を滅ぼすというストーリーを訴え、時に現代においてもそれを本気で実行しようとしている一団がいます。そのような集団は悪と善を分け、二元論の中で自身は正義の側で光の側だという立ち位置にいると思っているのです。それはあくまでも二元性のある次元のお話で、究極的には二元性はないのです。ワンネスということです。すぐにワンネスは難しくても、方向としてワンネスに誰しもが向かっているのです。

ですから、かつての世の中で、欲望に満ちた人が世界を支配したいと思っていたとして、それがそのまま悪ということにはならず、よって、滅ぶべき悪ではない、ということにもなるのです。

多くの人が、「今後、光の世界が来るとき、世界を支配している悪が滅ぶ。」「救世主が現れて、世界の悪を一掃する」、そう思っている人が少なからずいます。自分の心地の良い考え、状況に安住し、世界に多くいる「一見すると悪に見える人たち」を切り捨て、自分たちだけが救われると思っている、実際には救われることはないのにも関わらずそう思っている、一見すると救いようのないような人たちが大勢います。二元論の中で生きて、自分が善で他者が悪という分離の世界に生きている人たちは、そのように悪を滅ぼすことを願うことで、更なる争いを生み出していることに気がついていないのです。ですが、今そういう絶望的な理解にある人ですら、新たな理解を得ることにより変わっていくでしょう。それこそが人にある成長の可能性です。

実のところ、日本だけが、そのような分離の考えを聞いても尚、そこまで本気にはしないでいられるのです。いわば正気を保っていられるのです。このような二元論の善悪を聞いても、日本人であれば、そこまで本気に二元論を信じたりはしないのです。一部そうではない人もいますが、基本的に、日本人は心の中で、このような二元論は正しくないことがわかっているのです。それは、日本人が心の中ではワンネスを最初から理解しているからこそ、理屈の上で二元論を聞いてもそこまで信じ込まないのです。そこに、変容していける余地があります。

そもそも、光が闇を滅ぼすだとか、善が悪を滅ぼすだとか、世界でそのようなストーリーが信じられているという状況を、日本人は心の奥ではそこまでよく理解できないのです。一方、世界の人が本気でこのようなストーリーを信じているという状況を、日本人は実感を持って理解することがなかなか難しいのです。それはというと日本人が最初からワンネスの状態で生きているから、ということでもあります。

さて、そのような状況で、世界では何が起こっているかというと、欲望に満ちた人が、本気で世界を支配しようとしているのです。そして、その人たちは自分たちを善だと思っている、あるいは、自分たちを光だと思っていて、やがてくる救世主によって善たる自分たちは救われるのだと思って信じていたりするのです。そのような状況で、天はかつて介入者を地上に遣わしました。そして、天からの介入者は一部の人には歓迎されたものの、一部の欲望に満ちた人からは酷く嫌われ、呪いの言葉を投げかけられたのです。

・元々、欲望に満ちた人たち
・救われることを願っている人たち
・天からの介入者

このうち、天からの介入者は100年前を境に、極端な介入は避けるという方針になったわけです。では、残された人々はどうすれば良いのか。それは、自分たちが変わっていくしかないのです。それは「善が悪を滅ぼす」というお話ではないために、もともといた人たちが、学んで、考えを変え、行動を変え、より良い地球の統治を学んで実行していくしかないのです。

救世主がやってきて全てを良くしてくれるというストーリーでもないのです。極端な介入はもはやしないという方針になっているからです。


地球政府の必要性
このような状況において、今、何が地球を支配しているかというと、それはディープステートのようなよくわからないお話ではなく、もっと明確なのです。

現在のところ、それは政府と、宗教と、国連です。当たり前すぎるほど当たり前のお話です。

そして将来的には世界政府も作られることでしょう。世界政府は、その前にエルサレムで3つの宗教が和解していわゆるエルサレム共和国のようなものができた後、その合意を雛形として世界政府が作られ、地球が統一されることで地上から戦争はなくなります。そこにディープステートのようなよくわからないお話は出てきません。

先に書きましたように、ディープステートというお話は2つの話が重なっているのであり、今は前者たる「地球の管理は地球人の手で」というのは既にそうなっており、後者にしても(先に書きましたように)100年ほど前から介入はあまりしないことになっています。ですから、既に100年ほど前からそのようなお話はなくなっていても良い筈なのですが、何故か今更になってそのような、よくわからないお話が出てきています。それはというと、100年も経ちますと過去の歴史が明らかにされてきて、過去を振り返るとそうだったかもしれない、というようなお話を今更ながらにまるで今もそうであるかのようにしている、ということのように思うのです。

・地球の支配者層は、天からの介入を拒み続けた。
・天からの強引な介入は100年前で終わりを告げた。
・天使たちは100年前から帰還の準備を始めた(今後数世代の後に帰るでしょう)。
・地球が救われるかは、地球の人たちのエルサレムの選択次第、そして地球政府が作られるか次第。

よって、かつてのように、天からの介入者を厄介者として排除することは多少はあるとしても以前のように殺されるようなことにはあまりならないでしょう。