生まれる前に立てた人生計画の程度の違い

2021-04-09 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

よくスピリチュアルでは「人生は計画されているのです」とか「生まれる前に人生を決めているのです」とか言われていますけど、それは人によってかなりの程度の違いがあります。

割と普通にあるのが、あの世・・・ というか、割とこの世と似たような感じでちょっとぷかぷかと浮いているような自由な世界なわけですけど、人によってはそれを天界と呼んだほうが適切かもしれなくて、その世界で生きている時に、色々と見聞きして興味を持ったりするわけです。

あの世で死んでいるわけですけど、肉体がないだけで、文字通り、スピリットは普通に生きてます。

ですから、あの世でもこの世と同じように誰かとお話をしたり何かに興味を持ったりするわけです。

地上を覗き込んで「あれ、面白そう」とか思ったりもするわけです。

その、「興味を持った」ということが、そのまま人生計画になって転生する場合があります。この程度のことであっても「人生計画」になることがあります。この場合、これ以上の解像度は人生計画にはなくて、それは割と生きている人間が何かに興味を持って何かをしてみる、ということと大差ないお話になります。それですらスピリチュアル的には「人生計画」になったりするわけです。そんな大層なお話ではなかったりします。

一方で、この世ではすごく物事を計画してから実行する人もいます。それはスピリットでも同じことで、人生を詳細に計画して生まれてくる人もいます。それもまた、スピリチュアル的な「人生計画」なわけで、そこには解像度の違いがかなりあるわけです。

それと加えて、そのスピリットの成長度合いによって時代を超えることができるかが変わりますから、あまり成長していないスピリットはあの世に行っても時代を超えることができずに時間軸に囚われれています。その場合、人生計画を作る段階においても未来を見通して計画を立てるということにはならなくて、単に、生きている人間と同じように何かを想像したり理屈を組み立てたりして人生計画を立てます。

一方で、スピリットが成熟している場合は時間を超えられますから、未来を見た上で細かく計画する場合もあります。見ることができても見ないで転生する場合もあります。それはそのスピリットというかその人の性格にもよりますし、その人生計画で何をしたいかにもよります。

スピリットができることが成長度合いによって違うことと、スピリットによって性格の違い、やり方の違いがあるわけですね。

ですから、人生が必ずしも全て計画通りかというとそうでもなくて、計画したところがそうなることもあれば、ただ単に「やってみよう」というだけで、やってみたらうまくいかない、なんてことも普通にあります。

スピリチュアルでは「その失敗も全て計画していたのです」みたいなことを言いますけど、そのように失敗を意図していたこともあれば、単にやってみて失敗してしまった、みたいなこともあります。

スピリチュアルという説明になってくると物事はもうちょっと複雑なのかなとも思ってしまうかもしれませんけど、単純に、生きている人間の人生とそう変わりないということと、スピリットになれば生きている時より時代を超えやすい、ただし超えられない人もいる、という違いがあるくらいでスピリチュアルで言うようなそんな特別なことではないように思えます。

まあ、そうやって改まって言った方が人が興味を持つ、というのもあるのかもしれませんね。普通の人生と一緒だ、とか言ってしまうと神秘的ではなくなってしまいますからね。私は割と夢を壊すようなこと言ってしまいますけど、スピリチュアルを特別なものにしたい人あるいは特別かのように思っている人が一定数いて、そういう人は特別感のある言い方をするかもしれませんけどあの世でもこの世えもそうは変わりがないと言えます。スピリットにしても人生は割と普通で、生きている時とそこまで変わりはなくて、生きている時に元気でポジティブなら死んでからも元気でポジティブですし逆もまた然りです。