<前回の続きを読んでいきます。>
ギーターは、ジーヴァ、すなわち個々の魂の行き先について、高いもの、中間のもの、低いものという三つの段階を述べています。
それは、ジーヴァの性質、つまりグナと、その行為に対応しています。
シャーストラに定められた義務や礼拝を、カルマヨーガとサーンキヤヨーガの観点から行う人々の行き先については、第八章二十四節で述べられています。
また、ヨーガから落ちた人の行き先については、第六章四十節から四十五節で述べられています。そこでは、彼らが肉体を捨てた後、天界や他の世界へ昇り、その天上の領域の楽しみをかなり長い期間味わったのち、信仰深い富裕な人々の家に再び生まれるとされています。
あるいは、一時的に天界へ移されることなく、直接ヨーギーの家庭に生まれ、前世の修行の力によって再びヨーガの実践へ向かい、最高の目標に到達するとされます。
一方、定められた義務や礼拝を、何らかの利己的な目的をもって行う人々の行き先については、第九章二十節と二十一節で述べられています。
そこでは、天界に到達したいという願望をもって、ヴェーダに定められた供犠などを行う人々が、その領域へ昇ること、そして功徳の蓄えが尽きると、この死すべき世界へ投げ戻されることが示されています。
第十四章十四節、十五節、十八節では、すべての人の行き先が、より一般的な形で簡潔に述べられています。
サットヴァの性質が優勢なときに肉体を離れる人は、より高い世界に到達します。ラジャスが優勢なときに死ぬ人は、人間のあいだに生まれます。タマスが優勢なときに息を引き取る人は、鳥、獣、虫、蛾、樹木などの種に生まれるとされます。
同じように、サットヴァに確立された人は、死後に高い領域へ昇ります。ラジャス的な性向を持ち、ラジャスに確立された人は、死すべき人間の世界にとどまります。
タマス的な気質を持ち、タマスに確立された人は、霊的進化の階梯を下ります。つまり、地獄に落ちるか、人間より低い種に生まれるとされます。
第十六章十九節から二十節では、悪魔的な性向を持つタマス的な人々について、主が彼らを繰り返し悪魔的な胎に投げ入れる、すなわち犬や豚など低い生きものの種に生まれさせ、その後さらに恐ろしい地獄へ投げ入れると述べています。
このように、ギーターは他の箇所でも、人が自分の性質と行為に応じて、善い行き先にも悪い行き先にも至ることを語っています。
そして、解放された魂の行き先については、知識の道と行為の道の目標という形で、多くの箇所に詳しく述べられています。