善と悪は存在するのか

2025-09-17 記
トピック: :スピリチュアル: カルト

二元論の世界に生きていると善と悪に分けて区別する状況を時折目にします。色々と理屈はあるようで、「他人の○○を犯さない」みたいな根本原理としているのも耳にしますが、どちらにせよ、「他人」と言っている限りは二元性の世界に生きているわけです。

二元論の理屈で生きている人の話を聞いていると、善と悪というのは光と闇にそれぞれ対応している概念であることが多いように思います。善=光であり、悪=闇というわけです。これは個人的には違和感のある解釈ではあるのですが、善悪の二元論の世界に生きている人はそう考えるようですから、ひとまずここではそれを正としましょう。であれば、善悪の話は光と闇の関係で代替することができます。その前提に立って、光と闇の関係を紐解きましょう。

まず、光というのはスピリチュアルにおいて自身の意識のことです。これは善悪の二元論の方も同様に主張しているようで、ここに特に違和感はありません。では、闇とは何でしょうか。二元論の方が言うには、闇とは滅ぼさなくてはならないものだそうです。そして、闇(悪)を滅ぼすことで光(善)が勝利するのだそうです。これは、とても単純化された古い教えであるかのように思えます。まるでゾロアスター教のように善悪がこの世界を支配しているというのです。

実のところ、闇とは、自身の光を遮っているものの影として生じるものです。一般的な光と影の解釈では「光が遮られるところに影が生じる」ということではあるのですが、その、遮るものがあって、そこに生じるのが闇なわけです。これは割と一般常識のお話なので特に違和感はないかと思います。

さて、それをスピリチュアル的に解釈してみましょう。

・自身の光(意識) → 現在の認識、顕在意識 ・遮っているもの  → 無知、無理解、誤解 ・闇  → 自身が理解できないもの、恐れ

ということになり、闇とは、ただ単に、自分が理解できない、というだけのお話なのです。それを大層な理屈を持ち出して自己正当化するのです。

スピリチュアル的に解釈すれば、そのように、善と悪の理屈を持ち出して自身の(自称)「善」を正当化することは「エゴの自己防衛反応」でしかないのです。であれば、そこまで重視する必要もないといえばそうなのですが、ですが、そのエゴの自己防衛反応そのものがこの世界に争いを生み出している元凶なのです。

そして、そのように争いを生み出す元凶としての「善悪」の対立を精神的な理屈をもって正当化しようと試みるのが善悪の二元論であるわけですが、その実際は、自分の行動を正当化するというエゴの自己防衛反応でしかなく、結局、相手への無理解は続き、「どちらかが正しくて、どちらかが悪い」という善悪のお話、光と闇の話になってしまうのが善悪で物事を考える古い宗教の特徴なわけです。

現代においても、術や何やらを使って世界の善悪の戦いを続けている一派が色々あって、これは単に文化的な考え方というだけでなく、宗教やカルト的な思想的背景としても現代にも未だ続いているのです。

そのような思想、考え方があるから、この世界から争いが終わらないのです。

この状況を再度、単純化してまとめます。

・自身の光としての意識 ・無理解としての「遮るもの」 ・自身が見えないもの、理解できないものとしての「闇」

であれば、「闇とは(二元論者が言うような)滅ぼさなくてはならないもの」、というのは間違った解釈なわけです。素直に考えれば、実際にそのような他者を滅ぼすのではなく、自身の無理解をなくすべき、というお話になる筈ですが、世間の一般の二元論者はもっと単純な考えをしているようで、単に目に見える他者を悪として罰して滅ぼせば良いと見たままに考えているようです。

補足:

そうは言いましても、厄介で無理解で無秩序な人々と無理に付き合う必要はなくて、自身の理解しあえる範囲で付き合えば良いわけで、無理をする必要はないわけです。「言っても無駄」とはよく言ったもので、そのように、何を言ってもどうしようもない人は一定数いるものです。ですから、光と闇との対立あるいは善悪の対立とまではいかなくても、無理解というものはどこに存在するわけです。ですから、あまり気にしても仕方がなく、仏教がいうように、不道徳な人とは付き合わない、というのが良いのかなと思います。

強制してくる人に対する拒否はあってもよくて、そうであれば善悪対立という言い方もできるかもしれませんが、それは、そもそも独立・自立して生きていないということなので、自立した上で強制に対しては拒否すれば良い、と言いつつもこの世界ではお金を稼ぐなどが必要で必ずしもうまく行くとは限りませんが、基本はそうなわけです。

この社会の物理的制約に関しては大抵は死ねば制約から解放されますが、上記のような善悪の概念は死んでも無くならないものなので理解を改めてもらわないとこの世界から争いがなくならないわけです。

補足: