ルドラ・グランティ(シヴァの結び目)が解け始めた?

2023-12-31公開 (2023-08-25 記載)
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

今までも頭の各所で、特にここ半年ほどはずっとミシミシだとかバキッだとか何度も何度も、日に数えれないくらい日常生活を送りながらでもずっと骨の音が鳴るのがここ最近は普通になってきており、それは瞑想中は特にバキバキ鳴っており、そうした時にも時折、大きく緩むことがあって頭の特定の部分が強く脈打ったり一気にかなり緩んだり、ということを繰り返してきたわけですけれども、ここにきて、単にミシミシとかバキッ、というよりも、まさに「結び目」という古来から言われている比喩がピッタリくるような感じで緩むことがありました。

その結び目は、頭の中央の少しだけ後ろ寄り、少しだけ下寄り、でも大体は頭の中央で、その部分が、まさに「糸の絡みが自らシュルシュルと勝手に解消して解けていく」かのように急に絡みのようなものが解消して頭の中央、それは主に頭の中央から下半分で起こったことですけれども、頭の中央を起点として、主に下方に向かって、首や喉、特に喉のヴィシュッダ・チャクラのあたりにまで緩みの波動が広がりました。ここで波動と言っているのは、まず起点としては頭の中央の糸の緩みの解消だったわけですけれども、それは波紋のようにサワサワと周囲に揺らぎながら心地よい感覚が頭の、特に下半分に広がって、その波動が頭の下半分に広がると、頭の下半分が一気に一段緊張の緩んだ状態へと変わったのです。それは主に頭の中で起こったことですが、喉のヴィシュッダにも影響が現れて、今まで私は喉のヴィシュッダ・チャクラは詰まり気味でエネルギーが半分くらいしか通らないのが常でしたけど、今もちょっと詰まっている感覚がなくはないのですが、今までよりかなり通りが良くなりました。このことにより、眉間のアジナから取り入れたエネルギーを頭の中央を経由して頭の下半分を経由して喉のヴィシュッダ、そして胸のアナハタへと通すルートがかなり太くなり、体に満ちるエネルギーの量を増やすことができそうな予感が致します。

これで完全に解けたというよりは一気に解け始めた、ということで、緩んだのはまだ下半分のみで、頭の中央にしてもこれで一気に緩んできたものの完全に解けたわけではないようですが、少なくとも、「結び目」という意味においては一応は解けたのかな、というように思います。まだ頭の上半分は完全に解けてはいないものの、頭の中央がまた一段と緩んで広がり始めましたので、あとは時間の問題かなと思います。

最初は単に緩んでエネルギー量が増えて、次には、緩んだことで頭の中で窮屈になっていた部分が一段と広がって、いわば今まで成長することができなかった頭の中心部が一層広がることができるようになったように思うのです。

頭の成長、というと変に聞こえるかもしれませんけど、おそらくは今までは緊張で頭が萎縮していて、緊張が解けてリラックスしてくると頭が動き出して、それ故に、今まで固まっていた頭の各所が緩んで、頭がよく働くようになると思うのです。

それが、今までは割とバキッ、とかミシッ、ということで半年くらい緩んできたわけですが、ここにきて、まさに古来からの言い伝えである「結び目」が解けて、それで、「ふわふわっ」と、まるで糸が解けて広がるときの気持ちよさと共に、実際に緊張が解けて頭が一段と広がる、その感覚が今回あったということです。

これが、いわゆる「ルドラ・グランティ(シバの結び目)」で、これが解けることが次の段階への鍵だとすれば、ここ半年くらい続いていた頭の緩みも、ようやく、そろそろ終わりに近づいているのかもしれません。

本山博先生の著作には以下のようにあります。

アジナは、脊髄の終わったところに対応して位置し、三つのナディが合流して、ちょうど糸の結び目のようになっています。この結び目は、ルドラ・グランティ(Rudra granthi)またはシヴァの結び目と呼ばれています。肉体の上では、アジナは松果腺に対応すると言われています。「密教ヨーガ」P160より

これがあっても、まだ、頭の中のミシミシやバキッという感覚は続いていますが、少なくとも頭の下半分に関してはかなりの部分で緩みはひと段落して、まだ完全に緩んでいない頭の上半分に向かってこれからミシミシやバキッ、ということを繰り返せばこの段階もそろそろ終わりが見えてきたのかなという気も致します。

それと同時に、これがあった直後から、普段の静寂の度合いがまた一歩、深まったように思います。普段の日常生活における静寂の度合いと、思考をした後に静寂に戻る際の深さが変わったように思えて、それは思考をしないということではないですけど、思考とそうではない静寂の区切れ目が、よりはっきりとしてきたように思えるのです。思考するときは思考をして、そうでないときは静寂、という、区切れ目がはっきりと出てきたように思います。

それは言い換えれば、より周囲がはっきりと見えるようになったということでもあり、より周囲をはっきりと感じられるようになったということでもあり、より微細な自らの動きを感じられるようになったということでもあり、視界がより細かく分割して滑らかかつ細かな動きが認知できるようになったということでもあります。

この段階に達すると、スピリチュアルやヴェーダンタが言っている「満ちている」ということの意味が、その通り、文字通りそのまま正しいものとして、そのように感覚で認知されるようになります。それはヴェーダンタが言っているような「理解」のお話だけではなく、文字通り、そうだからこそ、そう、という、物理法則のようなものとして認識されるようになります。世界、とは言いましてもこの段階ではわずかな周囲数十メートルの範囲のことでしかありませんけど、わずかなその空間ですらも、自らの感覚が「満ちている」ということに気が付きます。かと言って他人の思考を覗けるわけでもないですし特段の便利さはないのですけど、それでも、満ちている、ということはその通り文字通りそのままそのように感じられます。

この段階に来て、ようやく、今までの自分はかなりの部分が眠っていた、ということに改めて気が付きます。今までも段階的にそのように思うことはありましたが、この段階においても、まだ、この変化の以前の自分はかなりの部分がまだ眠っていたのだな、と気が付きます。おそらくこの先もまだまだ段階はあるのでしょうが、ここにおいても、認知の変化を感じるわけです。

今までも同じような認知の微細化は起こっていましたが、そのためには、それなりに意識を多少は集中する必要がありました。今回は、それが、より自動的に起こっているのです。そのように、意識の基本が一段階ほど静けさが増したことにより、意識の認知が深く自動的に起こるようになった、という違いがあるわけです。