人生の計画とやり直しとタイムライン

2023-05-16 記載
トピック:スピリチュアル: 回想録

私がかつて計画したものの破棄したタイムラインがあって、破棄とは言っても一応は一度なぞっているわけですから現実とも言えるわけですけど、破棄というのは、その後にやり直したから一応は破棄なわけですけど、経験としては実際に起こっているわけです。こういうと、大抵の人は「それは気のせい」「ただの想像です」「ただの夢では」みたいに言うわけですけど、私にとってはそのほとんどが現実なわけです。むしろ、現在のタイムラインの過去の記憶よりも鮮明に覚えている別のタイムラインの記憶も多くあります。夢と解釈するのが一般的なのでしょうけど、夢と思うにはあまりにも現実的すぎることが多々あるわけです。他の人と共有している別のタイムラインの記憶も一部あります。そのうち、恋愛や結婚に関することを抜き出してみますと、まず、東京で育ったパターンでは大学時代に付き合った人とあまり盛り上がらず、情愛どころかお互いに性愛すらそれほど達せずに破綻して、愛の基本的なところも到達できなかったように思います。住む場所を変えてやり直して、田舎で育ち、高校時代に好きだった子(あだち充を勧めてきたのとは別の子)とは結婚したパターン。その両親に結婚の許しをもらう時に「もう少し考え直した方がいい」と再考を勧められて、当時のそのタイムラインでは謎なままだったわけですけど、今から思えばその両親は本当の愛を知っていて、自分の娘が愛を知らないのに結婚するなんて、そんなのは薦めなかったのだと思います。その後、離婚するに至った時もその両親は無表情で「やっぱりね」という感じでした。別のタイムラインのことですけど、鮮明に覚えています。その派生系として高校でその子と付き合ったけれども大学で同期の子を好きになってしまって選ばなくてはならなくなり、両方の板挟みにあって、ちょっと怒りっぽい同期の子と付き合ったパターン。このどちらも、ハートの愛というよりは割と低い程度の愛で、性愛が基本で情愛がわずか、という感じでした。このタイムラインも破棄されました。それで、その他、様々なパターンを検討したわけですけど、若い頃に付き合ってしまうとそのまま仲良くなって結婚し、家庭生活や子供などに手がかかってお金も消費され、私がこの人生で達成したかったことが達成できなくなってしまうので、強制的に高次から介入して、恋愛になりそうになると急に混乱させたり、状況的に1人だけでなく2人同時に目の前に提示して迷わせて結局どちらもうまくいかない、として高次の側から恋愛を必要以上にさせないよう介入してきたように思います。若い頃はそれで良かったのですが、30代にも色々タイムラインの分岐はあって、例えばインドで一緒だった20代の子と結婚する可能性もあってその将来もどうなるか記憶しているわけですけど、それも一つの選択肢ではありますけど、それは割と性愛での結びつきだったようで、高次からしたらその関係は満足できなくて、これまた破棄されたようです。はたまた、最初に入った会社の別の部署の子と結婚するタイムラインもあるにはあって、これは情愛のレベルでしたのでそこそこ良かったわけですけど、これまた、私の人生の目的が達成できなくなるので申し訳ないですが破棄したのでした。また、40前後になって知り合ったヨーガをする子と仲良くなるタイムラインもあって、これも情愛のレベルで仲良くなれてそれはそれで楽しい人生になるみたいでしたけど、この場合、その相手の子は結婚しない方がもっとヨーガに集中できるので結婚しない方がその子のためになるのかなぁ、と思ってそのタイムラインもやり過ごしたのでした。ただ、今から思えば「割と多くの良い子がいた」とは思いつつも、実際、当時にそのような余裕はなかったわけで、今のハートの愛の理解に至って初めてそう思えた、ということであります。これらの子たちは現在のタイムラインでは実際には関係をしていないわけで、普通の他人なわけですけど、そのうち、一部の子にはそのような記憶があって同じことを自覚していて、必ずしもタイムラインとしてではなく過去あるいは未来として認識している場合もありますけど、少なくとも、同じ自覚をしているわけですから、割と、私のこの認識は正しいように思います。とは言いましても一般的には夢とか妄想と言われるお話ではありますけど、一部の人との間は、割と共有されているお話ではあります。そのように、お互いに十分に自覚的であるならば、たとえ別のタイムラインではあっても、かつてのいわゆる過去生の家族のように準家族的なポジションとして扱う可能性も大いにあるわけです。これは普通は理解されにくいことではありますけど、普通の生活では単に友人や他人として暮らしているわけですけど、特に血のつながりはなくても、いざというときは困っていたら助ける、やりたいことを支援する、という種類のお話であります。過去生の繋がりだけでなく、お互いにある程度のスピリチュアルを達成していて他のタイムラインにまで多次元に意識を広げることができて、双方にそのことに自覚的であれば、十分に可能なことです。今のタイムラインでは結婚していないけれども、あの時の思い出と繋がりを元に、このタイムラインで支援する、ということはいくらでもあり得ます。逆に、別のタイムラインで酷いことをされたので今回は最初から避ける、ということも普通に起こりますし、私はそうしてトラブルを沢山避けてきました。様々な困難を乗り越えて、ようやく、ある程度の達成である、ハートの愛を知ることができて、今までの苦労が報われた感じであります。一方、未来の場合は可能性は多岐にわたって、可能性30%くらいのようです例のT大生の子と再開するタイムラインも一応はありますので伏線が生きてくるかどうかは今後次第ですし、そうではなく、普通に独身の可能性も大いにあります。使命としては最低限信頼関係があれば良いので結婚は必須ではないようですけど、その辺り、使命を果たすために選択肢がいくつかあって、今後、状況を見ながら調整していきますが、一応、伏線は張ってあるようなのです。まあ、普通に、ヨーガで知り合った別の子と仲良くなる可能性もあります。あまりスピリチュアルに頼りすぎるのもなんですし、まずは身近なところで地道にやるのがいい気がします。どうなるでしょうかね。将来のことは知りすぎても面白くないですし、変わって当然とは思っていますが、いざというところは高次から介入が入りますので、私としてはそこまで気にする必要はないと思っています。どちらにせよ高次からの介入には逆らうことができませんので色々と考えても仕方がない部分はあります。

それと、話は大きくなりますけど、私はおそらく地球の人生はこの時代としては最後ですので、今までやり残した伏線をなるべく多く回収してから最後にしたい、ということもあるのです。私の魂が死後にグループソウルに帰還して合流する直前に半分に分離し、半分はそのまま合流するのですが、もう半分は別の時代で1回だけ継続して終わりのようですが、この時代としては終わりなのです。ですから、今回の人生では細切れに時期ごとに様々なことを体験しているように思います。この種の、底辺の体験と愛の体験を交互に行ったりするのも、様々な伏線を回収するための高次からの設定と介入によるところが大きいわけです。自分で言うのも何ですが今回の人生は難易度が高くて、普通の人ならば若い頃に自殺して人生終了だったかと思います。今回、数週間に渡ってフラッシュバックで過去の十数年分を再体験させられている時は、過去に思ったのと同様に当時の自殺願望の感情までもが再現されていて、流石に今更その感情に飲まれたりはしませんけど、同じ感情を一通り再体験させられたわけです。当時はその感情がずっと続いていて、なんだかんだ言っても生きながらえているわけですから、底力はあったのかと思います。確証はないのですけど、私という分霊はグループソウルから分かれて2回しか転生してない若い魂といえばそうなのですけど、グループソウルはその前に、遥か昔に、私とは違う、私という分霊が分かれる前に生きていた分霊を作ったことがあって、その目的はというとどうやら「この地上の苦しみを理解したい」と言うところだったようです。その、一つ前に生きていた分霊は随分と長く転生をしたのですけど、通常以上に何度も何度も同じ時代に転生を繰り返したようです。それは、いわゆる昭和のバブル期で、同じ時代を何度も何度も別の人生として、おそらく30回くらいは繰り返していたようなのです。そして、それは全て男で、いわゆるビジネスマンで、それなりに良い大学を出て、お金も十分にあって、その全ての場合に淑女な妻がいたそうです。そもそも、その、私の1つ手前の分霊が目的を持って地上に降りたときは、実のところ、地上の生活のことがよくわからなくて、それでも、地上の普通の人の悩みを理解したい、というところがモチベーションとしてありました。ですから、最初はよくわからずお金持ちで生まれたのですけど、地上の生活に慣れたらもう少しだけお金のない生活を試すことで難易度を上げて、と言うことをしていたのですけど、傍目から見ると転生を繰り返すごとに生活レベルが下がってしまって、悪い方向に向かっているかのように見えたかもしれませんけど、実のところ、地上の生活スキルが上がることで生活レベルを下げることができるようになったわけです。必ずしも生活レベルが下がるだけでなく行ったりきたりをして広い家に住んだこともあったようで、普通の団塊のサラリーマンをすることで、せいぜい50平米くらいの狭いアパートかマンションに最後は妻と一緒に仲良く暮らしたり、はたまた、もっと羽ぶりの良い生活をして、妻は空気の如く当たり前に高級ランチに行くが本人は良い育ちなので散財とすら思わないが世間からすれば実はかなりお金を使っている、みたいなこともありました。それは傍目には良い人生なわけですけど、その分霊が作られた当初の目的である「この地上の苦しみを理解したい」と言う点においては目的の半分しか達成できていませんでした。グループソウルの最初の意図としては、もっと底辺の人々の苦しみを理解したいと思っていたのです。私の一つ前の分霊は人生のサイクルを終えて昇天してグループソウルに帰還して合流したのですけど、目的は半分達成して、肝心のところが未達だったわけです。そして、その分霊がグループソウルに帰還したた後に私と言う分霊が作られて分かれましたので、私の中にも一つ手間の分霊の人生の記憶が多少ながらあるのです。私と言う分霊は一つ手前の分霊の人生において達成できなかった、元々の目的を達成するためにどん底の環境へと叩き落とされた、自ら落ちたと言えます。

ですから難易度が高いのは当然で、一つ前の分霊はそこまで踏み込まずに、踏み込むことができずに割と「良い人生」を送ってしまったがために一見すると充実して幸せで妻も幸せだったわけですけど、今回は、自分という幸せを抜きにして、とにかくグループソウルが知りたいことである「この地上の苦しみ」を本当に理解するために自分自身のメンタルを崩壊させてどん底の状態に一旦叩き落としたのだと言えます。そして、私が成功しようがしまいが私の大元となるグループソウルは地球から離れて元いた世界へと帰るわけですけど、私はというと最後の伏線を回収して謎を解くことができれば大成功ですし、もしミッションに失敗して地球の転生サイクルに飲み込まれて輪廻転生を繰り返すようになったら当分の間は私は地球の地上に見捨てられる運命にあるようです。私というのは割と背水の陣なのです。ですから、私としては、確かにこの地上の生活はそれなりに大切ではあっても、使命を第一に考えて優先しているのです。そのために、世間的な地上の幸せが一時的に損なわれたとしても、この地上・地球に取り残されるかどうかという瀬戸際のことを考えたならば、瑣末なことなのです。SFで、宇宙船に乗った宇宙飛行士が未開の惑星に取り残されてそこに同化して長く生き続けなければならない、というストーリーはよく描かれます。例えばスター・トレックではそのように惑星に残された人が短くて数十年、長ければ数百年の何世代にもわたって惑星で現地人として正体を隠して生き続けなければならなかった、というお話がよく出てきます。私の場合は大元のグループソウルがまだ地球にいますが、そのうち地球から離れますので、離れたら実のところ高次の加護のうち大部分を失って平凡な地上の生活しか送れなくなりますので、置いていかれないよう、多少の緊張感を持っているところです。その時、私の一つ手前の分霊が人生を共にした過去妻たちや仲の良い子たちが本人の希望でついていきたいと願えばそちらの世界に一緒に行くことも可能なわけです。そこは王国で、アストラルな半霊半物質の世界で、ファンタジーのような世界ですが、とても平和な豊かな世界です。本人が希望すれば、そして、私にご縁があれば、その世界に行くこともできます。ただ、それを希望しない場合、その妻あるいは仲の良い子はこの地上に残されるわけで、こういうことがなければ多くの場合は地球の近くにあるあの世(天国、天界)とか来世とかでまた仲良くなりますけど、地球と私の帰る世界とで離れ離れになる場合はそう度々会えなくなって寂しい思いをさせてしまうことになりますし、私が今世の残りで地球との繋がりがあまりにも強くなってしまうと私が元の世界に戻れずに地球の人生サイクルを延長してやり直しになってしまうので、なかなか悩ましいところです。基本的には元の世界に戻るつもりで、あまりこの地上の情の繋がりを深くしないように気をつけています。みんな私の世界についてきてくれれば良いのですけど、全員が全員、そういうわけにはいかないと思いますし。とは言いましても、本当かどうかは分からなないお話であります。そんな気がしているだけです。ただ、スピリチュアルなカウンセリングや未来がわかるような人たちに、それとあえて聞かずとも個別にそれぞれから「あなた、地球の人生はこれで最後ですね」みたいなお話が自然に出て何度となく聞いていますので、やっぱりそうなのだとは思います。一応、世間に言うときは明言はしませんけど、幼少期に幽体離脱した時もそれがわかりましたし、様々なことがそれで辻褄が合いますし、まあ、多分そうなのではないかと思っています。実のところ、既に大体は今回の人生の当初の目的は達成していて、もう寿命でも良いのですけどまだまだ体は使えそうですので追加の任務がもらえないか掛け合ってたことにより新たな任務が考慮されて人生の設定がなされ、アストラルの雛形が作られて、その雛形を元に中年期以降の人生が大きく変わってきています。そのお話はまたの機会に。



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