一般教養の再学習

2023-05-15 記載
トピック:スピリチュアル: 回想録

話は少し変わり、あとは再学習について。コロナ以降にテレワークになったことにより時間ができましたので放送大学でリラーニング(再学習)を始めた背景も昔にこのような頭の良さの違いを感じたというのも多少はありますし、今年度にはその放送大学を卒業できそうなのですが、放送大学をこなす際にも高校時代に勉強した内容をすっかり忘れておりましたので、高校の勉強から一通りもう一度やり直しても良いかなぁ、とは思っております。そういうこともあり、試しに簡単な参考書を買ってみると、現役時代は理系受験で社会は受験に使わなかったとはいえ一般常識の歴史を知らなさすぎたり、慣用句や漢字の意味の忘れが酷すぎて驚きました。業務で英語は日常的に使っていて(読み書き、ヒアリング、スピーキング共に)不自由はないですけど前置詞や文法の表現が時々怪しくて、テクニカルな業務であれば内容が通じれば良いので割と十分ですけどテストとなると細かい間違いが多くて点はそこまで取れないように思いますので一通り再学習しても良いかなと思いました。このような基礎固めも今のうちにしておいた方が良いようです。センター試験(今は共通試験というみたいですが)くらいの内容を一通り3年くらいでおさらいしても良いかな、と思います。古文なんて高校時代は苦手でしたがしばらくぶりに見てみると意外に新鮮で面白いですし、漢文なんてすっかり忘れていますけど面白そうですので放送大学の最後の期に受講しても良さそうです。現代文のテストなんて当時は「なんでこんな変な文章を読まされるのだろう」と思っておりましたが今からすれば様々な人の考えのエッセンスに触れることができて面白いと思います。とにかく、今は(見えないガイドからの)「勉強しろ」というメッセージが強くて、これから何をするにしても、そのためには色々と勉強しないといけないので、今は基礎をリラーニング(再学習)すると良いようです。こういう頭の良い子と話すためにはもう少し自分が勉強しないとそもそも話が通じなかったりするようにも思います。放送大学で久々に勉強する習慣がついてきましたので本格的にリラーニング(再学習)しても良い時期かもしれません。今の私からすると基本的には教養のために勉強をしていますが、ガイドから「勉強してください」と言われているのでゆっくり学習している、という面もあります(そんな気がするだけです。本当かどうかはわかりませんけど)。

勉強できるメンタル状態というのは雑念が少なく情緒は安定していて物腰は静かな状態なわけですが、安定しているからこそ物事に集中できるわけです。勉強して「すごい」とか言われるとエゴ・自尊心が高まってしまって勉強の妨げになるため、周囲にある程度は自分より優秀な人がいる環境の方が良くて、そのように、周囲から凄いとか何も言われずに放っておかれて勉強できるほど静かで落ち着いていて、勉強していても周囲から何も言われない環境、足を引っ張られない環境、他の人がすることをありのまま受け入れて、しなくてもスルー、自由で、それでいて、良くない自尊心が周囲から刺激されない、エゴが増えないような環境、雑念が増えない環境にいると勉強もできて成績も上がるわけです。それはもう、都会の進学校に通う生徒の方が成績が良いのも当然ですよね。元々の素質に加え、環境が成長をブーストさせるわけです。あるいは、周囲とは段違いに飛び抜けていれば別枠でスルーされるでしょうけど、なまじ成績が多少良い程度では比べられてしまって好ましくない自尊心を多分につけてしまったり足を引っ張られていたように思います。私の田舎には、父の家系もそうですけど他人の失敗に対して笑ったり足を引っ張る人が多くて高校時代はメンタルを壊していて、あまり勉強できない状態でした。よくあのような劣悪な環境と精神崩壊の状態で一応は大学に受かったものだと思います。

高次のガイドからは学習について色々と細かな指示が来ていて、昔学習しても忘れていることを再学習して、上位の大学に一般入試で合格するくらい一般教養を身につけると良い、状況が許せばそのまま入学しても良い、と言われています。その理由は幾つかあって、まずは単純に現役の時に勉強にそこまで集中できる環境ではなかったので学習したいというのが一つ。もう1つはAI時代になって、私がやってきたプログラミングは淘汰される未来がある、ということ。更には、実はこれが高次からしたら一番重要なようですけど、私は死後に私の魂の半分が天のいわゆるグループソウルに帰る一方でもう片方は400年も遡ってとある人の中に融合する予定で、それはいわゆるウォークインのようなもので、ウォークインと一般的に言われているのは既に入っている魂が出ていって新しい魂が入ることですけど、この場合、既存の魂はそのままで、その人(私と同じグループソウルから分かれた分霊)の魂に加えて私の魂の(死後の)半分が体に入って融合して、今の私の知識や知見などを継承した上で新たなタイムラインの時代を作るので、その人生を有意義なものにするために、現代の学問はその人生に対して将来の未来の世界の学問になるので、今の時代の学問をしっかりしておきなさい、と言われていて、それは単なる個人的なものではなくて大勢に影響するために今のうちにしっかり勉強しなさい、と言われています。(実際には具体的な人名もわかるのですけど有名な人すぎてちょっと書けないです)ガイド(高次)が言うには、その新たなパラレルのタイムラインで貴方(私)の学習内容がその時に生きてきますから、そのために今から少しづつ準備するようにとのことですが、「本当かいな?」という感じではあります。勉強だけならともかく、その学校に行くとなると一旦は日中の仕事も停止になるわけで、「そう言われてもね? 仕事はどうするの?」と思っていますが、そのうち金銭面の制約はなくなり、仕事の時間に融通が効くようになって、自由な時間を持ちつつも生活基盤が整う理由や状況も見せられていますが、それもまた「ほんとに?」という感じでまだ現実感がないですけど、勉強それ自体は有用ですので少しづつ勉強を始めています。別に、それが本当かどうかは置いておいて普通に教養は面白くて勉強になるわけです。もし将来に指示の通りになるとしたら仕事をしながらの勉強は時間がかかりますから今のうちから始めておく必要がありますし、どちらにしても教養としては役立つわけですから無駄はないわけです。

今更ながら高校を勉強し直すと社会とか国語とかすっかり忘れていたり、社会は受験で使いませんでしたからあまり暗記もしておらず、そもそも高校時代にスルーしていたことが多くあって、今更ながら、なかなか再学習も面白いです。大学は理系科目だけの受験でしたので現代文とか古文とか、改めて勉強し直すと現役時代よりはっきりと具体的に理解できて面白いわけです。そもそも現役時代はメンタルを壊していて集中できなくて頭痛が毎日のようにしていて、集中しようとすると鬱のようになったりもしていましたから勉強も上手くできなかったのですが、今更ながらきちんと勉強できる下地ができて良い感じです。現役時代はメンタルを壊すこともマイナーな大学に入ることも全て計算づくで高次に指示をされていて、メンタル壊してフラフラしていたら学校の先生に視線とイラつき状態で時折馬鹿にされ、私が「(難関は無理だから)⚪︎⚪︎で良いよ」とか今から思えば割と舐めたこと言っていたら先生は「⚪︎⚪︎大学だって絶対受からない」と念押しされていたのに実際には受かったら「どうせギリギリだろ」と捨て台詞を何度も皆の前で吐かれていて、私は当時は割と生意気でしたから「落ちるよりマシ」と言い返したら先生は「チッ」とあからさまにイラついていましたけど、実のところ、私がその先生が現役合格じゃなくて浪人したことについて言った余計な一言がその先生のプライドを傷つけてイラつかせてしまったようでしたのでその点は大人気なかったですけど、そもそも、小学校までは教科書を暗記とかしていて記憶力は良かったのに中学と高校でメンタルやられて頭に全然入ってこなくなって、ことあるごとに父(兄はその頃には上京していなくなっていた)にゲラゲラ笑われていつもムカついて頭に雑念がグルグルするようになって集中できなくなっていたのですが、大して勉強していなくても一応は受かったのだからとりあえず良しとしていました。

高校時代はプログラミングでシューティングゲームを(機械語というもの、いわゆるアセンブラで)熱心に作っていて、あれは頭をよく鍛えたように思います。論理思考の学習になって、学校の勉強はあまりしていませんでしたから成績はぼちぼちでしたけど、その時に自分の頭で考えて構造を考え、プログラムの本を独自で頑張って読み解いて、機械語という割と難しい言語(しかし高速)でゲームを独学で組み上げたプログラミングのスキルはその後、数十年にわたって役立ちました。自機を動かす、敵の動きをそれっぽく動かす、背景をスクロールさせる、弾を発射する、メモリの使い方を考える、など、当時はメモリも少なくてCPUも遅くて制限がありましたから今よりもっとゲーム作りのハードルは高くて、高速化とメモリ効率を考えつつ一つ一つ深く考えて組み上げたのでした。そうして出来上がった2つのシューティングゲームが高校時代の成果で、学校の文化祭に展示しましたけど学校の先生は全く理解せずスルー。部活の顧問の先生すらスルーしていたように思います。ゲームばかりしていて受験勉強もせず遊んでいる、とでも思っていたようです。私がゲームを作っている状況を理解していないようでした。顧問の先生はゲームの成果を見るどころか、他の部員にしっかり指示をしていないと言って私を小馬鹿にしていましたけど、そうは言いましても、普段部活に出てくることもないような素人が文化祭の時だけちょっと顔出してきても基礎が違いすぎるので何もしてもらえないわけです。学校の先生には理解されてはいませんでしたけど、学校の勉強はそっちのけで高校時代はずっとプログラミングを楽しんでいて、充実していました。その後、大学は情報系の学部でしたので授業でも一応はやりましたけど、高校時代に自分の頭で考えたことが基礎となって仕事でも役立ちました。それが一応は高次からの指示でしたし、就職してからそのスキルは役立ちましたから、その時はそれで良かったわけです。大学でやるプログラミングは基礎でしかなくて、大学の同期は課題をしてかなりできる気になっている人もいましたけど、実際、就職してから作るものはその10倍以上も複雑でプログラミングの行数で言うと10万行(10万ステップ)とか100万行(100万ステップ)の世界ですから高校時代に自分の頭で考えたことが役立ったわけです。高校の先生にしても、大学の先生にしても、おそらく就職してから働いた時の関係者にしても、プログラミングの難しさというものを理解している人はそれほど多くなかったように思うのです。高校の別の選択肢としては自称進学校にバスと自転車で片道1〜2時間(往復3時間)かけて通うという選択肢もありましたけどそんなに毎日移動したら疲れてしまいますし進学校だと宿題や休みの講習に時間を取られますし、自称進学校に行ったところでどれだけ違うのか微妙でしたし、プログラミングの時間も取れないですしね。そういう状況でしたので、普通の勉強は疎かにしていて、大学に入るまで、割と、常識が足りない状態だったように思います。中学までは割と漢字も国語もできる方だった気がしますが大学受験で国語はあまり勉強しなかったので、世間の普通の大学生と比べると常用漢字や慣用句も割と知らない方になっていて、いわゆる頭の悪い学生だった気がしますが、それでも田舎から出てきて田舎の中では一応はできる方とされていましたのでプライドがついてしまっていて、プライドをなくす、エゴをなくすのに苦労しました。若い頃の学校の教育というのは罪作りで、自分にそういうつもりはなくても周囲から(本当に優秀な人と比べたら実際は大したことがないのにも関わらず)「すごいすごい」と(田舎の狭い社会で)言われたら良くない勘違いの自尊心が高まってしまい、エゴとプライドを解消困難なほどに堅固に作り上げてしまっていたように思います。それはその後、上京した後の社会生活において様々な困難を引き寄せていて、傲慢な態度が相手から嫌われることも多く、私はその自分のエゴが嫌で嫌で自己嫌悪に陥っていました。学習というものと自己嫌悪が最近まで強く結びついていて学習しようとするとブレーキがかかるというように学習が困難な状況が長らく続いていましたが、最近はそのようなメンタルの障害も解消されてきましたので普通に再学習できる状態になってきています。そもそも、特に上京したばかりの自分の発言が今から思えば本当に頭が悪かったと思います。全然わかっていなかったのだなぁ、と思うわけです。その根本にあるのがメンタル不調と雑念の多さで、高校時代まではとにかく周囲からゲラゲラ笑われて自己肯定感を削がれていてストレスが高く、その後、長きにわたって不満とフラストレーションによる雑念が常に頭の中でグルグルしていたかと思います。

私は中学の頃からプログラミングを始めて、高校時代は時間を作ってパソコンに熱中したかったので、そこまで勉強しなくても良い地元の普通高校に通いたいと思い、それは中学の時にそう考えて選択したというのはそれはそうなのですけど、小学校時代にメンタルを壊した時に精神の辛さでそのまま幽体離脱してしまい、その状態では時空を超えて将来を見たり様々な可能性を踏まえていくつものタイムラインを確認した上で人生を改変することができましたから、将来の選択肢の幾つかを見て、頑張って片道1時間半の自称進学校に通うより地元の高校でプログラミングに集中した方が良いと、将来を実際に見てきた上で判断したのでした。それは自分が幽体離脱をしたので自分自身=スピリットが選択をしたということも言えますが、高次のスピリットが選択をした、とも言えます。わかりにくいかもしれませんが、その選択は、高次の次元における時空を超えた判断なわけです。それはその面では正解で、授業のスピードはノロノロで楽勝でしたから宿題もせず勉強も適当にしてプログラミングに集中できましたけど、その反面、学校の先生からは「この学校の生徒は馬鹿だから」という扱いをされることがあったり、思った以上に荒れた校風でストレスを感じていました。ですがまあ、それすらも高次からの指示だったわけで、当時もそれを自覚していましたので受け入れていました。男は荒れた感じの人が多かったですけど、女の子は進学校やキャリアウーマンみたいにガツガツしていなくてほんわり癒し系の人が多くて、いい子が多かったように思います。その地元の学校は一応は進学クラスという名のものがありましたけど名ばかりで、最初の半年まるまる中学校の復習をするような進度で授業を聞くのも眠くなっていましたけど、その分、ずっとプログラミングに集中できましたので想定通りでした。きっと、学校の先生は「お前たち、勉強して大学に行きたいんじゃないのか? 勉強やる気があるのか?」とイラついたり馬鹿にされていたりしましたから、きっと私の態度を理解できなかったと思いますけど、割と予定通り、完璧でした。こんなこと説明しても先生には理解できないでしょうから特に説明もしませんでした。勉強してもしなくても高次の指示により行く大学は決まっていましたから、たぶんどうにかなると思って、当時は勉強とかあまり気にしませんでした。高次からの指示がある場合は目的の大学にいける程度の頭にまでしか学習させてもらえない一方で、試験に必要な問題とかは一通りそこだけしっかり勉強させてもらえるので、実のところ、入試の試験の結果は割と良かったようです。受験の日、予想以上に回答できて、「あれ? なんか見たことある問題ばかりだ。意外にできるな。こんなのでいいのかな?」と思ったように思います。一方、他の入試は全然できませんでしたから勉強はあまりできなかったように思います。高次の意思としては、目的の大学に行くために制限をかけてそのようにしたけれども、あまり勉強していない状態は好ましくない、とずっと思っていたようです。ポテンシャルはあるかもしれないけれども勉強が足りていないと薄々自覚はしていたもののエゴが強くて認めにくかった若い頃がありました。それでも英語は必要ですから少しづつ勉強したものの、メンタル不調のままでは勉強は捗りませんから英語学習をしようとすると頭痛がして意識が朦朧になって苦労しました。他の教養に関しては今の今まで先延ばしになっていた感じです。ここ3年ほど放送大学を受講してあと少しで卒業できそうなくらいになったところですが、次の課題として、今回、若い頃とは全く違った指示が降りてきていて、しっかりと受験勉強と同じものをし直してください、ということですので、少しづつ次の勉強の準備を始めています。時代的にも当時から数十年経ち、AIのChatGPTなどがプログラミングをする時代にもなりつつあって、そろそろ昔ながらのプログラミングの時代も終わりに近づいていることを感じていますので私の立ち位置もそろそろ潮時かもしれないと思っていますから、時期的にちょうど良いのかも知れません。AIによって事務職、特にITエンジニアなんて直接的にAIの影響を最初に受けるところなので働き方に影響しますから再学習をしないと時代に取り残されますし、単にITを勉強するというよりは基礎学力が問われる時代になると思いますから再学習の指示が降りてきているという面もあると思うわけです。当時はプログラミング黎明期でしたから始めるのが早かったことは仕事にも役立って、成果が他の人の倍以上と周囲から評価されることも多かったのでプログラミングのスキルは役立ちましたけど、今後は違う視点が必要だと思います。IT系の仕事なので成果が他人の倍で評価されてITプロジェクトで海外赴任とかもできましたけど、おそらくIT系の仕事についていなければ役立たず扱いされてもしかしたら精神を病んでいることを理由に精神病院に何十年単位で押し込められていても不思議ではなかったと今なら思います。そういう意味では昔は虐めもありましたけど、様々なところで対応が大雑把でしたので、時代が良かったですね。ITの仕事で何とかなるどころか成果を出して同年代よりはずっと良い給与をもらっていましたし、その点、中学や高校時代からプログラミングをしていたことは長らく人生に役立ちました。昔はIT業界にはメンタルを病んでいる人が特に多かったのでそこまで私は目立たなくて、ある程度技術があって仕事に使えればメンタル面はある程度は目を瞑って雇ってもらえていたように思います。私の周囲には、メンタルを病んで治療中でも働いていたものの病気が再発したことを会社に報告したら退職勧奨されていた人がいましたので一応は会社は精神病に対して厳しい態度を取っていたようで、そう言う理由の退職勧奨なんて今では特に上場企業だと社会的に許されないですけど昔は中堅どころですとそのような精神病の人がクライアント先でおかしな態度を取ったら取引先を失うからと言うことでプロジェクトから引き上げさせたりしていました。そう言うのを横で見ていましたから、精神病院に行って精神病と診断されたら人生は終わりだと思って精神病院にも行くことができないでいました。

再学習はそこまで急ぐものでもないのですけどダラダラやっていても仕方がないので期間は3年半で計画を立てています。実のところ、幾つか検討したタイムラインではもう少し良い大学に行く選択肢もあったみたいですけど(本当かどうかは分かりませんけど)そこではエゴとプライドが膨らんでしまいスピリチュアルな成長が妨げられるようでしたので現役では勉強も大学もそこそこ、社会でも苦労する道を選んだ、という背景もあるみたいで(本当かどうかは確かめようがないですが)後から再学習というのが一番と判断してのことだと思います。とは言いましても、現実をみれば、単純に勉強ができない、というだけのお話でしかないわけですから勉強した方が良いわけです。人によっては難関大に受かりつつもプログラミングでゲームを作っていたりしますので、私は時間を思いっきりプログラミングに振って大学はそこそこでしたけど、本当に優秀な人は勉強とゲーム作りを両立できていたりするので、私はそこまで優秀ではなかったということだと思います。私は環境に問題があったとはいえ、基本的には、上には上がいるようです。それに、環境が悪くてモラハラを受けていても乗り越えて勉強した人もいますから、私はそこまで器用でもなく優秀ではなかったということだと思います。色々書きましたけど、概略としてはまず、現役であまり勉強に集中できなかったので勉強したしたいというモチベーションが基礎にあって、更には、現実的に時代的に再学習が必要という面がある一方で、実のところ高次の長期的な視点としては死後に魂の半分が次のタイムラインを作るベースの知識になるので今世でしっかり学習する、という背景もあって、高次としてはむしろ最後の背景が重要のようですけど、そのような将来のお話はさておき、ひとまず今の人生の現実をまずこなす必要がありますので、まずその大学に入ってから人脈を作って、あとは・・・ と続けば良いようで、大枠は見せられていますけど今のところ「ほんとかなあ?」という感じはしますけど、そのためにも、ひとまず、今、基礎の勉強をすることが重要のようです。

頭の良さと愛とは関係が深くて、頭が悪いと愛も理解できないですし、本能的な愛になるわけです。世間で、「パートナーがつまらない」みたいに言っている人は、結局、頭が良いかどうか、という点だと思うのです。これは学校の勉強ができるかどうかではなくて地頭の問題と愛を理解できるほどに頭が良いかどうかというお話なわけです。話して通じる、話して理解し合えるというのはベースに頭の良さがないとできないわけですけど、例えば、私の父は私が何か言っても「うるせえ!!!」と怒鳴りつけてきて話も通じず、「うるせえ!」と言って話を聞こうともせず、それでいて私に「ああしろ、こうしろ」と言うばかりで、かつ、私が何か失敗すればゲラゲラ笑って(家族である私に対して)バカにするようなモラルのなさで常識がなくて恥ずかしいですし、モラハラなだけでなく頭も悪かったので、はっきり言ってこのような常識のない人とパートナーになっていても仕方がないように思うのですけど、そのことを母に聞くと、若い頃から離婚したかったけど昔は離婚なんてする人がいなくて、離婚しようとしたら「親戚で離婚した人なんていない」とか親に言われたらしくて結局離婚できずに今まで我慢してきた、そんなで過ごしていたらいつの間にかそろそろ結婚50年になる、とか少し前に言っていて、頭の悪い人と結婚すると後で苦労するわけです。頭の悪い本当のクズというのは世の中にいるわけで、そのような人を好きになってしまうと私の母のように苦労します。

そのように、いくつかの理由により一般教養の再学習を始めています。