(同テーマ&時系列の次記事)至福の感謝にはすぐには至らない

感謝の気持ちは涙と繋がっている

2022-01-28
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

「あぁ、ありがたい」と思うと涙が滲み出てきます。

特に理由もなく、ただ涙が出てきます。

よく、この種のお話で「理由」とかを持ち出す人がいますけど、感謝に「理由はいらない」と思うのです。

理由を聞かれるからその時の状況を語っているだけで、根源をいうながら感謝に理由などないのです。

本当に理由を言うのならばスピリチュアルを持ち出さざるを得なくて、それはヴェーダンタの言うところの「Sat Cit Ananda サット・チット・アーナンダ」、Sat=存在、Cit=意識、Ananda=満ちているから至福、と言うところが強いて言えば理由になります。

強いて言うのであれば、意識としての存在が自分あるいは周囲の空間に満ちているから至福になって、至福に満たされているから感謝の気持ちが出てきて、それと同時に涙も出てくるのです。

ただ感謝だから涙が出る、と言うのは言葉足らずで、満ちているから至福が溢れていて感謝の気持ちが沸き起こっていてそれ故に涙が出てくるような状態なわけです。

そのことを比喩的に言うならば「あぁ、ありがたい」と言うことになって、それと同時に涙も出てくるわけです。

単に「ありがとう」と言って涙を流すと言うだけでは言葉足らずになってしまうわけですけれども、満たされているからこそ涙が出て感謝の気持ちが自然に湧き上がってくる状態がヴェーダンタの言うところの「Sat Cit Ananda サット・チット・アーナンダ」なわけです。

この種のお話は割とヨーガの哲学として語られることが多くて、割と実践と切り離された理論的なお話として語られることが多いように思いますけれども、実際の実践と深く結びついたお話なのかなと思います。

あるいは同様のことがヨーガの神秘的な雲の上のお話として非現実的な空想のように伝説的に語られる語られることも時々ありますけれども、この種のお話は現実から離れた空想上のお話ではなくて、かなり現実的な、本質に近い、本当に実在する事柄なわけです。

言葉で言い表すならばそのようにサット・チット・アーナンダになったりするわけですけれども、そう言われて説明しても「ふうん」とスルーしてしまいがちだったりしますけど、それよりも、日本人にとっては感謝が身近にありますから、そのような理屈っぽいお話よりも、ただ「ありがたい」と思って涙が出る、みたいなお話の方がより直感的に理解できるわけです。

実際にはこれらのお話は同じことを言っているわけですけれども表現方法が違うと全く別物のように感じられて、しかしながら実のところ同じなわけです。

説明するとそのような言い方もできますけど、それよりは、直接的に満たされて「あぁ、ありがたい」と感深まって涙が出る、と、そのようなものが感謝であると思うのです。

それは特に理由なくそのように感謝することができて、その根源の理由をあえて言うのであればサット・チット・アーナンダであり、存在・意識が満たされているから至福、と言うことになるわけです。

このような意識というのは普段の生活で感じられるならばそれは良いですけど、技能的に行うのであれば瞑想、ということになります。座った瞑想で感謝を感じて涙が出るくらいの至福を味わうことで自らの存在が少しづつ高みへと近づいてゆくのを感じることができます。



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