マントラに反応する箇所の変化(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)術が使えるようになると人は傲慢になりがち

神様に委ねるのか、自分が神と考えるのか、の違い

2022-11-05
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

他力本願なんて言葉もありますけど、基本的には、神様に委ねるという姿勢が必要なのです。

ですが、その一方で、自分が神という一面もあるにはありますけど、基本的には神様と自分とは大きく違っていて、自分は神の一部というのはそうですけど、かと言って、自分が神だと考えるということは、正しくもあり、間違ってもいるわけです。

神というものはヴェーダンタで言えば個としてのアートマンあるいは全体としてのブラフマンに相当して、それはサッチダナンダであり、それはサット、チット、アーナンダのことで、過去現在未来の永劫に存在しているという意味のサット、意識という意味のチット、満ちているという意味のアーナンダ(よく「至福」とも訳されるが元の意味はこれ)という属性を持っていて、どれもお互いに似たような面裏の質であって3つが複合しているわけですけど、いわゆる神の質というのはこの3つなわけです。

ですから、実は「自分」というものは存在しない、という理解に根ざしているのですけど、流派によっては、自分という概念を備えたまま「自分は神だ」という理解が先に出てしまい、せっかくスピリチュアルが成長しても、それに伴ってエゴ(自我)も拡大して傲慢になってしまうのです。

どうも、この世界にはいくつかのスピリチュアルの源流があって、その1つは魔術なのですけど、古来はソロモンやバビロニアですとかゾロアスターあるいはユダヤのラビなどに繋がっていると思います。その方々はある種のスピリチュアルな術を使う人がいて、その源流を遡るとおそらくアトランティスにまで辿れると思いますが、その特徴として、エゴ(自我)が残ったままスピリチュアルの波動を扱う、という傾向があるように思うのです。

魔術などの系統では、神あるいは天使は使役するものであり、術を使って神あるいは天使の力を引き出すのです。そこには「自分」というものが存在していて、多かれ少なかれ「自分は神(あるいはその顕現)」または、神に近づいている、とさえ思っていたりします。術は使うことができて、願望実現ですとか、ヒーリングとかが可能だったりします。

特に理解が難しいと思われるのがヒーリングの術を使う人たちで、本人たちがどのくらい気がついているのかわかりませんけど、ヒーリングというものはある程度は技術的なもので、必ずしも悟りとは直結していないのです。肉体の整体の施術をするのと同様に気の次元(ヨーガで言うプラーナ、アストラル次元)にて施術を行うことができたとして、整体師が悟っているかというと必ずしもそうではないように、ヒーリングができたからと言って、悟っているわけではないのです。

(続きます)



マントラに反応する箇所の変化(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)術が使えるようになると人は傲慢になりがち