スピリチュアルな直感は受動と能動とがある

2022-05-25 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

大抵の場合、直感というのは受動的なものです。しかし、自分で能動的に得ることのできる情報というものもあるわけです。どちらも情報ではありますけど、受動的な直感の場合、大抵の場合は守護霊あるいはそれに準じた存在がインスピレーションを与えてくれて、自分の側としては受け取る形でその直感を受け取ります。受動的なわけですから、その情報を選べないわけです。与える側からすると、与えるべき情報を選んで与えていることになります。受け取る側としては受け取るかどうかの選択肢すらなく、もちろん、どのような情報を受け取るかどうかという選択肢もないわけです。

それは、普通の肉体における普通の声と同じようなものです。意識が散漫になっていると人の声にも気付けなかったりしますけど普通の状態であれば誰かに話しかけられたら声というものは認識できて、それと同じように、直感においても誰かから直感が送られているのです。その直感は声として聞こえる場合もあればその具体的な内容のイメージや具体的なインスピレーションとして現れることもあります。色々な形がありますが、どちらにせよ、そのインスピレーションというのは与えられているものであるという点に関しては共通しているわけです。

スピリチュアルな人は割とこの種のインスピレーションを重要視してしまいがちで、何やら声がしたら「それが神様あるいは導きの声だ」とか思ってしまって、その導きに従うべきだと思い込む人もいたりしますけど、それが良い結果をもたらす時もあれば、そうでない場合もそれなりにあるわけです。

実際のところ、それは誰かから肉体の声で普通に何か言われたのと、実のところ、そうは変わりがないのです。肉体を持った人にとても感銘を受けることを言われることもあれば、そうでもない時もあるでしょう。それと同じで、インスピレーションにしても、それぞれなわけです。

そのように、インスピレーションが特別なものである時もあれば、そうでない時もあるのですけど、自分を見守ってくれているスピリットがいる場合は、ピンチの時とか、注意しなくてはいけない時は何度も心の声にインスピレーションとして呼びかけてくれます。「それはこうした方がいいよ」「こうした方がいいよ」「こうした方がいいよ」みたいに、時に、スピリット(守護霊)の方からするととても気になることがある時は何度でも語りかけるのですけど、普通の人の場合、そのような声を聞いたとしてもほとんど気付かないか、あるいは、気付いたとしても自分の声だと思ってしまって「私ってなんて細かいことに気付ける人なのだろう」みたいに勘違いしてしまうこともかなり多いように思いますけど、実際のところ、それは周囲で見守ってくれている人が話しかけてくれていたりするわけです。


■能動的な直感と場所的感覚

守護霊とかスピリットとか特別視してしまう人もいますけど、実際のところ、目に見えないだけで普通に近くにいる仲の良い人と同じですので、仲の良い人とか近所のお節介おばさんとかが気を使って話しかけてくれているのとそこまで違わないのです。そうしてお節介おばさんが色々言ってきたとして、それを受け入れるかどうかは受け手次第なわけで、話を聞いた上でもっともだと思うならそうすればいいし、そうしない自由だってあるわけです。

そのように、受動的なインスピレーションというものがある一方で、能動的なインスピレーションというものもあります。

能動的なインスピレーションは2種類あって、アストラルの体(いわゆる幽体)でどこかに行って時空を超えて確かめることが一つで、それはインスピレーションというよりは実際に幽体の目や耳で見たり聞いたりすることで、肉体の感覚からするとより自由なのでインスピレーションと言えなくもないですけど、幽体における、五感により近いものです。もう1つが、アストラルの感覚を超えた「場所的感覚」とも呼べるもので、地域的な感覚で物事を見抜く、という方法があります。これは組み合わせもできて、場所的感覚を使いながら幽体離脱で時空を超えて見聞きする、みたいなこともできます。

幽体離脱のように離脱をせずに、単にアストラルの感覚が伴う、という場合もよくあります。幽体離脱の場合はそれなりに体の感覚が自由になっていないとできないですが、アストラルの視野、ということであれば割と早くから出るように思います。最初は幽体離脱くらいから始まって、そのうち場所的感覚が伴ってきます。順番としては、その前の、単なる受動的なインスピレーションから始まってアストラルの視覚や聴覚が出てきて、次に幽体離脱あるいは場所的感覚、という順番になるように思います。

幽体離脱は割と技術と慣れと、あとは、元々生まれる前にガッチリと幽体と肉体を接続していた場合はなかなか幽体離脱しにくくて、幽体離脱しやすい場合は最初から幽体をちょっと外した状態で、幽体の視覚を体の外側(というか、少し後側)に移しておくと幽体離脱もしやすいです。まあ、しやすい、というだけで、それなりに純化されていればそんな小細工しなくても普通に幽体離脱できたりします。

最初は単なるアストラルの感覚から始まって、感じるというところから始まりますけど、次に視覚とか聴覚とかが出てきて、この段階では仏教でも魔境とか言われていますけどこの段階は必ず通るもので、この段階ですとまだオーラというか波動が高まっていませんから影響を受けやすくて疲れやすかったり悪霊に入り込まれたりしますから注意が必要ですけど、もう少し波動が高まると悪霊とか幽霊とかにも悩まされなくなって、そもそも波動が違うので視界にも入らなくなって、やがては幽体離脱あるいは場所的感覚、みたいなところに辿り着きます。幽体離脱の場合はちょっと技術的なところがありますので万人ができるとは限らないですけど、場所的感覚というところが一応の次の目的地で、いわゆるサマーディとかそのような状態の段階になります。そこに来るとようやく、場所的感覚に基づいた能動的な情報取得ができるようになりますけど、そのくらいになりますと既にかなりポジティブになっていて世間一般の細かい話に興味がなくなっていたりしますので、見れたからと言ってどうこうも無くなってはいるのですが。