エゴを愛で包むとエゴ(自我)とハイヤーセルフが協調する

2022-05-18
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

これは比喩的なお話ではなくて、ハイヤーセルフの愛が溢れ出てからエゴ(自我)が十分に浄化されるとエゴがハイヤーセルフの中に留まって落ち着くのです。そのハイヤーセルフとは愛と感謝に満ちていて、その愛と感謝でエゴを包んであげるのです。

そうしてエゴが浄化された時にエゴが自分の核としてハイヤーセルフの中に留まります。それは、留まると言えばそうなのですけどハイヤーセルフとエゴは次元を異にしているようで、しかも、そもそもエゴというのは幻影で、エゴは思考(ブッデイ)の反作用であるアバンカーラでしかありませんので常にはなくて、ハイヤーセルフの方は常に満ちていてなくならない愛と感謝ですけどエゴの方はそのハイヤーセルフに重なるようにして胸の中に現れては消える、ということを繰り返します。そのエゴこそがこの世を生きる上でのかりそめの私、ヴェーダンタで言うところのジーヴァ(エゴであるアバンカーラを自分だと思っている私)であるわけですけれども、そのジーヴァがあってこそ人生を生きられるわけで、核になるわけです。

この核は、思考の核、判断の核、感情の核、全てのこの世の選択がエゴであるジーヴァによって判断されるわけですけれども、エゴがハイヤーセルフと協調して愛に包まれていればエゴは安心・安全なわけです。

これは、割とスピリチュアルでは似たようなことを言ってその気にさせるという罪作りな人が多いですけど、この状態は最初からそうな時もありますけど割と多くの場合はそうはなっていないように思います。セミナーに参加してその気になって、実のところ何も現実が変わらなかったりするのは、本当にハイヤーセルフが現れていないからだったりします。セミナーとかでその気にさせる人の、なんと罪作りなことでしょうか。

エゴを愛で包むと言われてすぐできる人は既に生まれた時からそうだあるとか、あるいはそれなりに修行みたいなことしていたり、あるいはいろいろとスピリチュアルを実践してからのことであって、できる人はすぐできると言いいますか、既にできていることを言葉で説明されて納得する場面の方が多くて、それまでできていなかったのにセミナーとかでいきなりできるようになるなんてことはあまりないわけです。

例外として、守護霊が気を使ってその瞬間だけかなり頑張ってくれる場合もありますけが、割と一時的なものであったりするわけです。それに、この種のお話は自分から湧き出てくる必要があって、他人からの働きかけで一瞬、その感覚を一瞥する時もあるにはありますけど、やはり一瞥にすぎなわけです。

(続きます)