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スピリチュアルの原体験がある人とない人

2022-05-09
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

神々あるいはそれに近しいものに遭遇したなどと言った原体験があれば、スピリチュアルというのはその原体験に近づくあるいは原体験を説明するための探求や理解のための道になります。

一方、原体験がなければ、スピリチュアルは悟りの道に限らず、苦しみからの離脱あるいは珍しさによる興味あるいは現世利益の追求あるいは流行りなど多種多様なものに都合よく使われてしまいます。

原体験がなければスピリチュアルの説明を聞いても頭で理解するものあるいは想像で作り出すものになってしまったりします。

一方、原体験がある場合は、スピリチュアルとはその原体験を思い出したり同様の状態になるべく戻ろうとしたり、あるいは、その原体験とは一体何であったのかを追求して理解するための道になるわけです。

ヨーガで言われている瞑想やプラナヤーマ(呼吸法)あるいはサマーディ(三昧)なども全て、スピリチュアルの基本的な事柄は全て、原体験に基づいているかそうでないかで解釈及びその実践がかなり異なったものになるような気がしております。

原体験があれば、瞑想やアサナ(体操)あるいはプラナヤーマ(呼吸法)をする際にもその原体験に近づくための行為(修行)として捉えられます。一方、原体験がなければ、それは何やら不思議な、しかしながら効果のある健康法あるいは何か平穏をもたらすであろう行為(修行)として捉えられるわけです。

まあ、そうは言いましても、どちらでも効果がありますので原体験があろうがなかろうが歩みは割と同じかなと思っておりますけど、原体験があるかないかで、理解にかなりの差が生まれるのかな、と思っております。

個人的に思うのは、原体験が全くない人なんてこの世にいるのだろうか、と思っておりますし、誰しもが原体験を持ってはいるものの忘れてしまったり重きを置いていないだけなのではないか、という気がしております、そうは言いましても、ヨーガの指導者などに話を聞いても、スピリチュアルな原体験、例えば幽体離脱でハイヤーセルフに会うなどと言った原体験をしている人は意外に多くないような気が致しますので、意外に原体験をしている方は少ないのかもしれません。そこは統計を取ったわけではありませんので割合まではわかりませんけど、意外に、スピリチュアルな指導者と言われている方であったとしても原体験がなかったりしますので、案外、スピリチュアル団体の地位と実際のスピリチュアルの階梯や現在の位置とはそれほど関係がないのかな、と思ったりします。

(続きます)



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